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熊の糞 |
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ウジ虫治療 |
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現在の白雲岳石室遠景
(避難小屋) |
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現在の白雲岳石室
(避難小屋) |
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現在の石室のトイレ |
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私が若い頃は2週に1回くらいの割合で、登山にいきました。この話は、大雪山の裏大雪(トムラウシ山〜黒岳縦走)山行の思い出話です。
トムラウシ山から五色ヶ原を通り、中別岳を経て、高山植物群落の美しい高根ヶ原を抜けたところまで来ると、白雲岳が静かに、たたずんでいるのが見えます。
私達のパーティは、長時間の山行の疲れを癒すために、白雲岳の麓にある白雲石室(いしむろ)に向かいました。登山道は、一直線に石室に向かっています。
その登山道の所々で、熊の糞らしきものが見え隠れしているので、私たちは、熊が近くにいるかも知れないと危険を感じ、ザック(リュックサック)に付けた熊よけの鈴を点検したり、ラジオの音を大きくするなどして前進しました。太陽は旭岳の方角に沈み、周りは段々と暗くなってきました。そして、熊の糞らしきものを、懐中電灯で照らして、よーく見ると、なんと紙が付いているのです。
熊が、紙を使って、尻を拭くわけがないので、私は、こ、こ、これは人糞ではないか、犯人は誰だ!、登山道のド真ん中でキジ(注※)を撃つとは、怪しからんと思いましたが、気を取り直して、白雲岳石室(避難小屋)に向かいました。
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ようやく石室に着いたら、先発隊の連中が酒盛りをしていました。私達のパーティは、石室の中が、酒とタバコの臭いで、空気が悪いので、外で夕食をして、テントを張って寝ることにしました。
翌朝、私は、御来光を拝んでから、石室のトイレに行きました。大小兼用、しかも男女兼用で、便器が一つしかないトイレの中は薄暗く、アンモニアの強い刺激臭で、目から涙が出るほどでした。
また、あちらこちらに”メシ粒らしきもの?”が、たくさん落ちていたので、私は、トイレでメシを食ったメンバーは誰だろうか、と想像をしながら踏ん張りました。
しかし、なんだか、下の便槽の様子が変なのです。
私は、恐る恐る、懐中電灯で便槽の中を照らしてみると、ビックリ仰天。
便槽全体がウジ虫でいっぱいなのです。
更に、まわりにいた、たくさんの”メシ粒らしきもの”が、一斉にニョロニョロと動き出したのには腰が抜けました。オェーッ!。なんと、それはウジ虫だったのです。
私は、出る物も出ないまま、慌てながらトイレから逃げ出しました。
【白雲岳石室(避難小屋1982年】
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登山者が、登山道のド真ん中で、キジを撃つ謎も解けました。
大量のウジまみれの石室のトイレよりも、美しい高山植物とお花畑に囲まれ、雄大な大自然を味わいながら、キジが撃てるのも、北海道の山であるからこそできるのです。
できれば、登山道から離れたところで用を足してもらいたいものです。それから数年後、白雲岳石室は、新しく改装されたそうです。
【怖い虫のお話「ウジ虫の巻」終わり】
長い間、「怖い虫のお話」をお読み頂きありがとうございます。今回でひとまず終了といたします。
<注釈※> 【キジを撃つ】:当時、私が、会長をしていた山岳会で用いている専門用語で「大便をする」という意味です。狩猟のときの姿勢が、それと似ているらしいのですが、詳しくは分かりません。 |
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私が5歳くらいの頃(昭和20年代、1952年頃)、母に連れられ、札幌から普通列車で6時間くらいかけて、北海道黒松内村(現在は黒松内町)の実家に行ったときの事です。
私は、母の実家の農耕馬に乗って遊ぶのが楽しみでした。馬には鞍が付いていなかったため、手綱をしっかり握っていなければ落馬してしまいます。
また走る度に、馬の背骨が股に当たるためゴツゴツして、乗り心地は決して良いとはいえませんでした。
そのとき、家の玄関のほうから、母が弟を抱いて出てきたのです。何を始めるのか馬に乗りながらじっと見ていたら、弟を抱きかかえながらウンチをさせているのです。
私は、トイレでさせれば良いのに〜、と思ったとき、母はキャーと悲鳴を上げたのです。私は、何が起きたのだろうと近くに寄ったとき、弟の尻からウドンのようなものが出ているのです。母が場所を変えたら、またウドンのようなものが出てきたのです。
そして、そのウドンのような物をよーく見たら、なんとニョロニョロと動いていたのです。それは回虫でした。私の子供の頃は、腹の中に虫が住んでいるものと思っておりました。
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それから数年後、小学校に入学して、私が給食当番をしていたときの話です。
給食室から教室に、給食のけんちん汁を運んでいるとき、ワイワイガヤガヤと、何だか階段付近が騒がしいのです。同級生に「何が起こったの?」と聞いたら「同級生が回虫を吐いた」と言うのです。私の隣で、その話を聞いていた給食当番の女の子は、キャー!と叫んで逃げていきました。
そこで私は、事の真相を究明するために、階段を上がって行きました。そして、踊り場まで来たとき、あっ!と驚きました。
長さ10センチくらいの白っぽい回虫が、ぐったりと横たわっているのです。
私は、黒松内村(当時)の母の実家で見た時のことを思い出し、回虫は、尻から出る物と思っていましたが、口から吐いたのを見たのは初めてです。
寄生虫の話をする度に、検便のことを思いだします。最近は、O−157に関して、よく検便という言葉が出てきましたが、私が子供の頃は、少なくとも1年に1回は、検便がありました。
いまは、細い棒に検体(便)を付けて、容器に入れるだけですが、当時は、小さいマッチ箱に便を入れて、学校に持っていき、担任の先生に渡しました。
自宅のトイレは、まだ水洗化されていなかったため、便を採取するときは一苦労でした。そこで、トイレで便(検体)を取るのが難しいので、そとで便を取ったことがあるのですが、放し飼いをしていた飼い犬が寄ってきて尻を舐められたことがあります。
私はようやく採取した便(検体)を、マッチ箱に、ギッシリ詰めて持って行き、担任の女性教師に渡したら、突き返された経験があります。
その検便の箱を家に帰って母親に見せたら、いきなり「捨ててきなさい!」と言われてしまいました。
私は、何が何だか分からず、家の外に捨てました。
しばらくして、父親が、勤めから帰ってきて「おい、こんな物が落ちていたぞ」と言って、包み紙に包まれた検便の箱を見せるのです。それは、さっき、私が母に叱られて捨てた便が入った箱だったのです。
それを見た母親は、呆れてトイレに捨てに行きました。私は、初めからトイレに捨てれば良かったのに〜、と思いながら笑いました。
当時、鉄道公安官だった父親は、職業柄のためか、あるいは、単なる貧乏だったためかよく分かりませんが、落ちている物は、何でも拾ってきたものです。
【怖い虫のお話「回虫の巻」終わり】
次回は最終回「ウジ虫の巻」お楽しみに |
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「昭和30年代前期」 私が小学5年生の時、札幌市中央区の生まれ育った家から、父が北区に新築した家に引っ越しました。
当然、中央区の小学校から、北区の小学校に転校したのでありますが、クラスの生徒からは、”よそ者”扱いされて、私には、あまり良い環境ではなかったという思い出があります。
しかし、新しい家には、テレビや洗濯機、照明は、当時流行したマツダサークラインなど、当時(昭和30年代)では中流以上の家にしかない電化製品が備えられました。
当然、白黒テレビなんですが、その価格は、14インチのテレビが、なんと7万円以上もしておりました。(父の月給が2万円位のとき)。つまり高級品だったのです。
そのため家電販売店は貴重品として扱い、テレビが破損しないようにハイヤーで配送しました。
当時は真空管式のテレビでしたので、振動で壊れやすかったのです。
近所の子供達が、毎日のように大勢で私の家にテレビを見に来ましたので、多少優越感がありました。
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それはそうと、子供ながら、新築の家というのは、なかなか気持ちがよいものと思いました。
何と言っても新しい畳の匂いが格別です。ところが、我が家の周辺一帯は、牛の餌になるレントコーン畑があり牛舎が多く、そのためかハエが群になって飛んでおりました。
近年、牛の餌とされている肉骨粉もない時代で、当然、狂牛病も口蹄疫問題もありませんでした。
当時の殺虫剤と言えば、DDTくらいしかなく、殺虫のための「ハエ取りリボン」は、数日で取り替えなければならないほど、ハエが多かったという記憶があります。 そこで私は、吹き矢でハエを落として遊ぶことを思いつきました。
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ある日曜日、吹き矢で遊んでいた時、廊下の窓に、青虫(モンシロチョウの幼虫)がいるのを発見しました。
よく見ると、青虫は死んでいて、その体内からウジ虫が数匹、ニョロニョロと出ているではありませんか。 |
私は、ウワーッとビックリ仰天し、吹き矢を間違って吸ってしまいました。吹き矢の先には、マッチ針が2本付いており、そのまま、口から胃の中に飲み込んでしまいました。
しばらくして、母親が買い物から帰ってきたので、この事を話したら、母親もビックリし、急いでハイヤーを呼んで、病院に連れていってくれました。
私は、マッチ針を2本も飲んだら、もうダメか、そしてハイヤーに乗れるのも、これが最後かと思いました。
札幌鉄道病院に到着。レントゲン撮影後の医師の説明では「心配はありません、食道を通過した針は、便と一緒に排出されます」ということでした。
結局、何の処置もされずに自宅に帰りましたが、以後、吹き矢で遊ぶことは止めました。
【怖い虫のお話「ハエの巻」終わり】
次回は「回虫の巻」お楽しみに |
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皆さんは、ワラジ虫の行列を見たことがありますか。
札幌北区に住んでいた時、妻から聞いた話ですが、廊下を行列を作って歩いているワラジ虫軍団を見て背筋が寒くなったそうです。北区は昔、畑地だった土地なので湿気が多く、ワラジ虫の天国だったのでしょう。
今は岩盤の土地に家を建てたので、湿気は少なく、家の中ではワラジ虫は見かけません。しかしワラジ虫は、花畑の土の中に住んでいます。
ある夏の日、姪の子が、花畑でワラジ虫を見つけて、何を思ったのか「逃がしてあげる」と言って、灼熱のアスファルトの道路に放しました。
ワラジ虫にしてみれば、小さな親切、大きなお世話だったに違いありません。
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さて、これからは、私がまだ独身時代のお話です。
北海道では、ゴキブリは見かけませんが、ワラジ虫はどこでも見ることができます。1匹や2匹なら、まだ可愛いのですが、数十匹や数百匹ともなると気持ち悪くなります。
ワラジ虫には、ばい菌や毒はなく(と思う)、また、刺したりはしないのですが、色は黒っぽく、ワラジに足を生やしたような、その格好は、グロテスクそのものです。
結婚式まで、あと1週間というある日、私は婚約者に気を遣いすぎ?、急性胃炎にかかり、寝込んでしまいました。
二、三日は七転八倒だったのですが、ようやく起きられるようになったとき、枕もとを、大きなワラジ虫が行ったり来たりしていたのです。
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私は気持ち悪くなり、そのワラジ虫をハエたたきで、叩きつぶしました。これで安心して眠れると思いましたが、つぶれたワラジ虫の腹の中から、白っぽい色の幼虫がゾロゾロゾロゾロと這い出してきたのです。
私は思わずオェーッと叫びました。
そのワラジ虫の幼虫の数は、数十匹はいたと思います。
幼虫には既に足がありました。
私は、慌てふためき蒲団を抱えて、隣の部屋に逃げるしかありませんでした。
いやー驚きました。非常に気持ち悪かったです。
【怖い虫のお話「ワラジ虫の巻」終わり】 |
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次回は「ハエの巻」お楽しみに |
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皆さんは、”自分の影が勝手に動きだす”ように見えた、という経験はありませんか。大抵の人は、そんな馬鹿なことは信じられないでしょう。
しかし、まさか?、ということが、現実に起こるものです。
新しい家に移った翌年、私は庭づくりに励みました。
庭木は、親戚から頂いたり、以前住んでいた北区の家から移植したりして、結構庭らしくなりましたが、どうも花が足りません。そこで、畑用の黒土を10トンほど入れて花畑をつくり、私が好きな桔梗や、水仙などの花を植えました。
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それでも少し寂しいので、庭の中央に、池を作ることにしました。地盤は岩盤ですので、スコップでは掘れません。
私は、物置からツルハシを持ってきて、掘り始めました。ところが地面に刺さったツルハシを抜こうとして、柄をバキッと折ってしまいました。 |
弟にも助っ人を頼み、数日後、ようやく、直径約4メートル、深さ50センチメートルの池が完成しました。さっそく、池に水を張り、金魚を入れましたが、それでも何か物足りません。
そこで燈篭の形をした、フィルター付の循環ポンプを設置したところ、水が燈篭から滝のように勢い良くでてくるので、金魚も元気良く泳ぐようになりました。
仕上げは、水草を浮かべて終了です。
弟と二人で万歳をして、月見酒で楽しみました。
元帝国軍人で、あのように元気だった父親は、腎臓を患い、透析を受けていたので、好きな酒も飲めなくなっておりました。
そのとき、ぴょんぴょん跳ねる小さな虫がおりました。弟は「バッタか?」と一言つぶやきました。 |
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それが、今回の騒動の始まりだったのです。
それから、数ヶ月経過したある日、勤務が終わって帰宅途中、自宅まであと2分というところで、クルマの前に、トンボの大軍のようなものが出現しました。
クルマのフロントウィンドウに、バンバンぶつかって来るのです。
私はトンボのような虫を殺さないように、ゆっくりとクルマを進めました。
しかし、ようく見ると、それはトンボではなく、バッタだったのです。
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バッタは、住宅地の道路を占拠するように、群れをなして飛んだり跳ねたりしていました。
夕食後、それを見ながら父親に「佃煮にでもしましょうか」と冗談を言っておリました。
その時はまだ、バッタから害を被るとは思ってはいなかったのです。 |
翌年の春の事でした。庭木や野菜そして花の葉を見ると、虫に食われたように、穴だらけでした。私は、毛虫でもいるのだろうかと思いながら、周りを見渡しましたが、どこにもおりません。
多少、気になったのは、梅の葉に、ゴミのようなものが沢山ついていたことです。私はそれを払おうとしたら、風もないのに、煙のように消えてしまいました。
何故だろうと思い、葉をよく見ると、体長が僅か5ミリくらいの茶色のバッタが、梅の葉を食べていたのです。
調べて見ると更にビックリ!。
それは、梅の葉だけではなく、花や野菜のありとあらゆる葉を食べているのです。私は、どうしたら良いものかと思いながら、道路に出て自宅の庭を眺めました。
夕陽が、山に隠れようとしておリ、私の影が長く伸びていました。その時、自分の影が二つ?あることに気がつきました。 |
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すると、小さいほうの影のようなものが、ザワ、ザワ、ザワっと移動したではありませんか。!
私は、ウワーと驚きながら、影のようなものの動きを眺めていると、少しづつ移動を始め、庭のほうに入っていきました。よーく見ると、影に見えたのは、バッタの大軍だったのです。
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これから私と、バッタとの戦いが始まります。
製薬会社に勤めていた弟に、大量の殺虫剤を注文し、そして、近くの金物屋さんから、草刈りガマを買ってきました。
殺虫剤が届いた数日後、私は、白衣を着てマスクをかけ、長靴を履いて、右手に草刈りガマ、左手に殺虫剤を持ってバッタとの戦いに出陣しました。 |
これからバッタに対し電撃作戦を決行します。
以前から調査しておいた、バッタのたまり場に対し、殺虫剤による空爆を加え、害虫の発生原となっている空き地の雑草を、カマで刈りとリました。
一定の戦果を上げた数時間後、もう太陽が沈んで、辺りは暗くなっていました。
一休みしているとき、どこかのオバさんが、小犬を散歩させながら、こちらの方に向かって歩いてきました。そして、その小犬が、私の方にチョロチョロと寄ってきたのです。
私も犬が好きなので、撫でようとしたそのとき、オバさんが、「チビー、危ないからこっちへおいで!」と、悲痛な叫びを上げました。
どうやら、飼い主のオバさんは、白衣に長靴姿の私を見て、野良犬を捕獲している「保健所の職員と勘違い」したようです。 |
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バッタ軍団との戦いは、数ヵ月に渡って行なわれました。
私が通った後にはバッタが、バッタバタと倒れ、バッタの死骸の山が築かれ、圧倒的勝利に終わりました。
その後バッタは消え去り、私の武勇伝だけが語り継がれていったのです。
【怖い虫のお話「バッタの巻」終わり】 |
次回は「ワラジ虫の巻」お楽しみに |
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