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みなさんこんにちは。
七夕の候、日を追うごとに夏らしくなるこの季節、いかがお過ごしでしょうか。私、今年の3月にかかりつけの医師から「心筋梗塞(中隔梗塞)」の診断をされましたが、今のところ体調に大きな変化はありません。多少、不整脈と息苦しさを感じる程度です。おそらく処方された心臓と血圧のクスリが効いているのでしょう。
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2023年から近況報告を、管理人(石川)の「著書・論文集」のサイトに移転しました。宜しくお願いします。 |
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50歳の頃 墓参り(左から 私、母、娘)
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※インストール方法
手順1 オペレーションシステムを選択
手順2 ブラウザを選択
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人違いはよくある事です。たとえば、ネットで「石川栄一」を検索すると、会社社長やボディビル、競馬関係者などの方々が検索されますが、その中には「革命的共産主義者同盟」の機関紙である「週刊『前進』」に投稿している同姓同名の石川栄一氏もありました。
小生は、電子情報工学と自動制御工学関連の技術者であり、評論家ではありません。「週刊『前進』」の石川栄一氏と小生・石川栄一とは、全くの別人であることを申し上げます。もし間違えば、お互いに迷惑すると思います。
また、北大紛争当時の1960年代後半~1970年代には、同学科(北大工学部電気工学科)に、「石川」姓が3人おりました。
その教職員を思想信条的に分類しますと、共産党系の石川氏と過激派(闘う集団「創造」※1)の石川氏、そして工学部封鎖阻止行動委員会※2(無党派)の石川(小生)となります。(大学紛争当時の思想信条と言動による)
この事についての証明は、小生の元同級生(下記参照)に問い合わせて頂ければ判明します。
※1 闘う集団「創造」には、ベ平連系の学生や全共闘シンパの学生が多く、機動隊導入(1969年11月8日)後も暴力的に、度々、工学部を封鎖した。
※2 北大工学部封鎖阻止行動委員会(自警団)の目的は、全共闘や革マル派による工学部の封鎖を阻止するために組織された。また、他学部を封鎖から守り、封鎖を実力で解除することも目的とされた。
また、北大学長(総長)を全共闘や革マル派の攻撃から警護することも任務とした。小生も警護要員の一人であった。 |
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