記者クラブタブー スポンサー・広告代理店タブー
  メディアタブー 報道におけるタブー
 
 
正力松太郎
1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日。
日本の警察官僚、
実業家、
政治家、
元読売新聞社社主

略歴
1913年6月:警視庁入庁
1924年1月:讀売新聞の経営権を買収、社長に就任
1940年9月:大政翼賛会総務に就任
1945年12月:A級戦犯に指定され、巣鴨プリズンに収監
1947年9月:不起訴、釈放
1952年10月:日本テレビ初代社長に就任
1955年2月:第27回衆議院議員総選挙に富山2区から出馬、当選
1957年7月:第1次岸内閣改造内閣で国務大臣(国家公安委員会委員長、科学技術庁長官、原子力委員会委員長)に就任



日本の原発問題はここから始まった
原発推進の原点
日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3,500万円は、ウラン235にちなんだものであった。
参考資料

■正力松太郎は1954年正月から読売新聞で大キャンペーン「ついに太陽をとらえた」を連載させると、3月の「原子力予算案」の可決に向けた準備に目を輝かせていた。
参考資料
■当時の時代状況のなかでは、正力にとっての原子力発電は戦前の新聞に似ていた。つまり、それを手に入れれば、てっとりばやく財界と政界に影響力を持つことができる。いや、直接政治資金と派閥が手に入るという点で、新聞以上の切り札だった。
参考資料
■正力はアメリカの情報機関(国務省、合衆国情報局、CIA、国防総省)が第5福竜丸事件以来大変な窮地に追い込まれており、日本の反原子力・反米世論の高まりを沈静化させるために必死になっているという情報を得ていた。テレビを導入したときと同様、自分が手を挙げさえすれば、アメリカ側の強力な支援が得られ、「原子力の父」になれるという感触を得た。老新聞王はこれ以後この原子力導入という切り札を使ってなんとか総理大臣になろうと執念を燃やすのだ。
参考資料
■『日本テレビとCIA』を書き終えたあとわかった事実
■“日テレ”こと日本テレビの正式名称は、「日本テレビ放送網株式会社」。なぜ東京の一放送局の名前が「放送“網”株式会社」なのだろうか。その背景は、あまり語られる事の無い日本テレビ設立時の経緯にある。そしてそこには、アメリカとCIA、日本の保守政治家たちの影がある。
 正力はメディアを一挙に手中に入れるためマイクロ波通信網を構築しようとし、アメリカも共産主義勢力に対抗するためCIAを中心として正力を応援した。正力はそれを実現するために、衆議院議員となりさらには総理大臣を目指した。
参考資料
■ポダム、ポハイク、ポダルトン、ポジャックポット
■正力松太郎と渡辺恒雄がCIA工作員として、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍を創立し、その経営資金がCIAから出ている事実は、米国政府の心理戦争局の内部文書Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53に明記されている。
参考資料
■言いたい放題な毎日: 読売新聞は原発推進派
■日本に原発をもちこんだCIA工作員 | Seetell.jp

原発問題の本質


■読売新聞が社説で堂々と「核武装のための原発推進」論を展開 - Everyone says I love you !
■原発推進派のホンネは「核武装」だった!? |地球のココロ@nifty
NEWSポストセブン|自民・石破氏 「核攻撃を受けたら核開発」発言の真意を語る

日本でも核兵器をもつことを検討したことがあった。そしてその基礎技術は原発で培った核技術である!
NAVERまとめより 全て読む>
日本の原発問題はここから始まった

水島 宏明 生年1957年

"水島 宏明"(みずしま ひろあき 1957年10月21日 - )は、日本テレビ解説委員。
北海道出身 [略歴] 東京大学法学部卒業後、1982年札幌テレビ放送に入社。1988年~1992年、NNNロンドン特派員。1998年~2003年、NNNベルリン支局長。
現在は日本テレビ解説委員。「NNNドキュメント」チーフディレクターも務める。 札幌テレビ放送勤務時代、札幌市白石区の母子家庭で母親が生活保護の申請をさせてもらえず餓死した事件を知り、問題点(→生活保護問題)をまとめたルポルタージュ『母さんが死んだ―しあわせ幻想の時代に』が大きな反響を呼ぶ。


[現在の出演番組] *ズームイン!!SUP...

読売新聞グループ本社

前史

  • ■1874年(明治7年)11月2日 - 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊。
  • ■1917年(大正6年)12月1日 - 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。
  • ■1924年(大正13年)2月25日 - 経営難から、前警視庁警務部長、正力松太郎が買収。
  • ■1934年(昭和9年)12月26日 - 正力が大日本東京野球倶楽部(プロ野球・東京巨人軍)を創設。
  • ■1942年(昭和17年)8月5日 - 報知新聞社を合併。
  • ■1947年(昭和22年)2月15日 - 大日本東京野球倶楽部の全株式を買収。読売興業に商号変更。
  • ■1950年(昭和25年)1月25日 - 読売興業から読売巨人軍が分離。
  • ■1951年(昭和26年)3月30日 - 読売巨人軍、読売興業に吸収合併。
  • ■1952年(昭和27年)11月25日 - 大阪讀賣新聞社によって大阪市で「大阪讀賣新聞」を創刊。
  • ■1959年(昭和34年)5月1日 - 読売新聞社が北海道札幌市に「読売新聞北海道支社」を設立、「讀賣新聞」の現地印刷を開始。
  • ■1961年(昭和36年)5月25日 - 読売新聞社が富山県高岡市に「読売新聞北陸支社」を設立、「讀賣新聞」の現地印刷を開始。
  • ■1964年(昭和39年)9月23日 - 読売興業が北九州市に「読売新聞西部本社」の名で「讀賣新聞」の現地印刷を開始。
  • ■1975年(昭和50年)3月25日 - 中部読売新聞社が名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。
  • ■1988年(昭和63年)2月1日 - 中部読売新聞社が読売興業に合併。
  • ■1992年(平成4年)6月22日 - 読売興業は株式会社よみうりに商号変更。
  • ■1999年(平成11年)2月1日 - 経営難に陥った中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
  • ■2010年(平成22年)10月1日 - 東京本社の大手町社屋建替え・再開発工事の実施に伴い、中央区銀座6丁目17-1(旧日産自動車本社屋ビル)に仮移転。(電話番号は変更せず。専用郵便番号は「104-8243」に変更)3年強の暫定ではあるが39年ぶりに銀座に本社が復帰。
大株主の状況
 2012年(平成24年)3月31日現在
  1. 読売新聞グループ本社役員持株会 31.69%
  2. 公益財団法人正力厚生会 20.96%
  3. 社会福祉法人読売光と愛の事業団 9.78%
  4. 関根達雄(正力松太郎の孫) 7.83%
  5. 学校法人読売理工学院 6.03%
  6. 正力源一郎(正力松太郎の孫、正力亨の子) 4.97%
  7. 正力美緒 4.94%
  8. 小林梅子(正力松太郎の娘、小林與三次元社長の妻) 4.25%
  9. 小島あき 2.77%
  10. 正力峰子 1.96%
現在は、正力厚生会など3つの法人と個人94人の計97人が株主となっている。特に個人大株主には正力松太郎の子孫が多く名を連ねている。2011年度には、本社役員持株会、正力厚生会に次ぐ第3位株主だった正力亨(正力松太郎の長男)が8月に死去し、2011年3月期末時点で彼が保有していた11.86%の株式は譲渡・相続されたものと見られる。
役員の状況
■代表取締役会長・主筆
渡邉恒雄 (株)読売巨人軍取締役会長、日本テレビ放送網(株)取締役、(株)よみうりランド取締役
  • ■代表取締役社長
  • 白石興二郎(株)読売新聞東京本社代表取締役社長、(株)読売巨人軍取締役オーナー
  • ■取締役編集担当 老川祥一
  • ■取締役大阪担当
  • 中村仁 (株)読売新聞大阪本社代表取締役社長
  • ■取締役西部担当
  • 太田宏 (株)読売新聞西部本社代表取締役社長
  • ■常勤監査役 高羽延雄
  • ■監査役 山口信夫 (旭化成(株)代表取締役会長、日本テレビ放送網(株)取締役
    ■監査役 間部耕苹(日本テレビ放送網(株)代表取締役相談役、(株)日テレ・グループ・ホールディングス代表取締役会長
  • ■副主筆 朝倉敏夫
  • ■執行役員営業担当
  • 杉山美邦
  • ■執行役員社長室長・コンプライアンス担当 山口寿一
中核5社
  • ■(株)読売新聞東京本社
    • ・北海道支社
    • ・北陸支社
    • ・中部支社(旧・中部読売新聞社、並びに読売新聞中部本社)
  • ■(株)読売新聞大阪本社
  • ■(株)読売新聞西部本社
  • ■(株)中央公論新社
  • ■(株)読売巨人軍
その他関連会社・法人
  • ■(株)報知新聞社(スポーツ報知)
    ■(株)スポーツ報知西部本社
    ■(株)福島民友新聞社 (福島民友)
    ■(株)旅行読売出版社
    ■東京メディア制作(株)
    ■日本テレビ放送網(株)
    ■讀賣テレビ放送(株)
    ■(株)シーエス日本
    ■(株)読売映像
    ■(株)読売情報開発
    ■(株)読売インフォメーションサービス
    ■(株)よみうりコンピュータ
    ■(株)よみうりランド
    ■(株)読売旅行
    ■読売ゴルフ(株)(よみうりカントリークラブ)
    ■財団法人 読売日本交響楽団
    ■読売文化センターユニオン
    ■(株)読売・日本テレビ文化センター
    ■(株)大阪よみうり文化センター
    ■(株)よみうり文化センター(よみうり文化センター千里中央)
    ■よみうりFBS文化センター株式会社
    ■西部読売文化センター(株)(よみうりKRY文化センター)
    ■学校法人 読売理工学院
    ■(株)プランタン銀座
    ■(株)東京読売サービス
    ■大阪読売サービス(株)
    ■読売不動産(株)(東京・有楽町の読売会館(よみうりホール、ビックカメラ有楽町店が入居するビル。かつては有楽町そごうが入居)を所有)
    ■(株)読売メディアセンター
    ■(株)ヨミックス
    ■(株)読売システック
    ■読売香港有限公司
    ■(株)読売エージェンシー
    ■社会福祉法人読売光と愛の事業団
    ■(株)読売観光バス(読売旅行関連会社の位置づけ)
報道におけるタブー
報道におけるタブー(ほうどうにおけるタブー)では、マスコミが不祥事などの否定的な報道を行うことを控えている特定の事柄について記述する。
 概説

およそ表現の自由が認められている国では、報道の自由が認められており、少なくとも建前上は報道にタブーなるものは存在しない。日本においても日本国憲法により言論の自由・報道の自由が認められており、見かけ上はタブーは存在しない。しかし、実際には諸事情により、マスメディアが特定の事件や現象について報道を控える話題・問題が存在する。
日本ではキー局や全国紙など広範囲に影響を与えるメディアほどその傾向が著しく、こうした姿勢に対する批判も存在する。

しかし日本と欧米を中心とした諸外国では、表現の自由に係る根本的な考え方に大きな違いがある(詳しくは表現の自主規制を参照)。
すなわち報道内容に係る責任の帰属が、欧米を中心とした諸外国では表現者であるが、日本ではマスコミであり、日本では訴訟となると、マスコミ側にまず勝ち目はない。
従って日本では読者や視聴者、官庁、企業や団体、他国から抗議・圧力を受けたり、訴訟を起こされたり、物理的ないし経済的な損失を被る危険がある話題について、大多数のマスコミは触れたがらないのである。すなわち、タブーの本質はマスコミという組織の中にある。

一方、欧米を中心とした諸外国では表現者に責任が帰属するため、報道内容は多様であるのが普通、被取材者の表現を肯定あるいは否定するマスコミ自身の表現も加わり、日本では偏向報道として問題となるような、自由な報道内容もある。
すなわち一見、タブーは存在せず、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミが多数あるように見えるが、表現の責任の所在は原則、個人であるため、タブーは表現者個人(被取材者のみならず、各マスコミや個別案件ごとの担当者)の中にそれぞれある。
また、過去の歴史的経緯などから特定の内容の報道について、法律による一定の規制を課しているところもある。一方で「いちいち規制するものという概念」そのものがないことも多く、結果、むしろ無数に存在する。

日本にも、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミもあるが[1]、欧米を中心とした諸外国ほど多くはない。

(ウィキペディアより)
報道におけるタブー

記者クラブタブー
 
  • 日テレ元解説委員 311翌日に辞意を伝え退社した経緯語る

 震災以降、視聴者が抱いたテレビ報道への不信感を、一番肌身で感じていたのは当事者であるテレビマンたちだった。

 テレビ各局が震災後1年の特番を放送した3月11日の翌日、日本テレビ解説委員だった水島宏明氏(54)は周囲に辞意を伝え、古巣を後にした。同氏は『NNNドキュメント』ディレクターとして「ネットカフェ難民」シリーズなどを制作し、芸術選奨・文部科学大臣賞などを受賞。
『ズームイン!! SUPER』にはニュース解説委員として出演していた。現在は法政大学社会学部教授となった水島氏が、「報道現場が良くなる一助になれば」と退社の経緯を初めて明かした。


 きっかけは、原発報道です。


震災後、報道局の幹部が突然、「今後はドキュメント番組も基本的に震災と原発のみでいく」と宣言しました。もちろん、あれだけの大災害ですから報じるのは当然ですが、それだけだと報道の多様性がなくなってしまいます。
私のライフワークである貧困問題は「そんな暇ネタはボツだ」という扱いを受けました。

 しかも、NNNドキュメントの企画会議では、うちは読売グループだから、原発問題では読売新聞の社論を超えることはするなと通達された。そんなことをいわれたのは初めてでした。

 昨年3月28日に日テレの氏家(齊一郎)会長が他界しましたが、グループ内で影響力を誇る人物が亡くなったことで、読売の日テレに対する影響力がどうなるかわからないという配慮から、そうした発言が出たのかもしれません。

 これは日テレに限らず、今のテレビ局全体の問題だと思いますが、プロデューサーやデスクの幹部・中堅社員が、あらかじめ報道内容のディテールまで会議で決める傾向が強まっています。

 現場に出る若手社員や下請けの派遣社員は、その指示に沿った取材しか許されない。でも、我々は社員である前にジャーナリストですから、本来は自分の目で現場を見た上で、自ら報道すべきことを判断すべきです。
震災以降、現場軽視をますます痛感し、私は会社を辞める決意を固めました。

 震災1周年の日、私は各局の特番を早朝から深夜までザッピングして見ていましたが、正直、日テレが一番ひどいと感じた。被災地と直接関係のないタレントの歌を流し、キャスターは被災地を訪れて「復興」を強調するものの、そこには報道の基本である視聴者の教訓になる情報がない。

 取材も表面的で、被災者のリアリティが伝わってきませんでした。そのことを皆感じていたのに、放送後の報道局会議では、幹部の「良かった」という声に押され、誰も何もいえなかった。

 最後の出勤日となった3月30日、私は報道フロアに集まった同僚に対し、「ひどい番組をひどいといえない。それではジャーナリズムとはいえない。事実を伝える仕事なのに。もっと議論して、いいたいことをいい合おうよ」と話しました。幹部が同席していたため、その場はシーンと静まり返っていましたが、後で何人かが「僕もそう思ってました」と寄ってきた。「じゃあいえよ」って(笑い)。


週刊ポスト2012年6月1日号

原発報道で日テレ辞めた元解説委員 学生に真の報道精神伝授
  テレビ各局が震災後1年の特番を放送した3月11日の翌日、日本テレビ解説委員だった水島宏明氏(54)は周囲に辞意を伝え、古巣を後にした。同氏は『NNNドキュメント』ディレクターとして「ネットカフェ難民」シリーズなどを制作し、芸術選奨・文部科学大臣賞などを受賞。

『ズームイン!! SUPER』にはニュース解説委員として出演していた。現在は法政大学社会学部教授となった水島氏は、辞任のきっかけは原発報道にあると明かした上で、現在のテレビジャーナリズムの構造的な問題点を指摘する。

 この間の震災・原発報道を通じて露わになったのは、自らのありようを検証できないテレビ局の体質です。

 日テレ系列の福島中央テレビは震災翌日、福島第一原発1号機の水素爆発の瞬間をメディアで唯一、撮影して速報しました。
ところが、その映像が日テレの全国ネットで流れたのは1時間後のことです。報道局の幹部が専門家などの確認が取れるまで放映を控えると決めたからです。状況が確認できないまま映像を流せば、国民の不安を煽って後で責任を問われる状況になりかねないというわけです。
 しかし、影響がどこまで及ぶかわからないからこそ、本来なら確認は取れていませんが、爆発のように見える現象が起きましたといってすぐ映像を流すべきでした。実際、あれを見て避難を始めた人もいて、国民の命に関わる映像でした。
私自身、福島中央テレビの人間から「すぐに放映しなかったのはおかしい」と責められました。しかし、その経緯は未だに社内で検証されていません。
 その後も、本社や記者クラブ詰めの記者の多くは、原発事故で信頼を失った後でさえ、国や東電など「権威」のいうことを机に座ってメモするだけでした。発表内容をそのまま報じるものの、実際の現場に行って、たとえば本当に除染の効果が得られたかどうかを確かめるようなことはほとんどしません。カネと時間と労力がかかるので、楽なほうに流れてしまうのです。
 本当に独自性のあるネタを報じれば、かつてのテレ朝系『ニュースステーション』の「ダイオキシン問題(※)」のような問題を生みかねないと、先んじた報道を避ける傾向があります。ワイドショーの現場では、報道局が撮ってきた映像を使い回し、短時間だけ現地に入るレポーターが番組名のついたマイクを使うなど、見せかけだけの独自性で勝負している。
 テレビ報道が「権威」から離れる道もあるはずです。たとえば霞が関の官僚たちを、匿名を許さず「原子力安全・保安院 ○○課長補佐 ○歳」というように実名にして、何をいってどう行動したか詳しく伝えるだけでも、責任を追及する報道に変わるはずです。
事実、すでに地方局ではやっていることなのに、キー局は変わろうとしない。私はこの現状を変えるため、何色にも染まっていない学生に、本来のジャーナリズムを教えていく道を選びました。

※テレビ朝日系『ニュースステーション』が1999年2月に埼玉県所沢市産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと報道したことを契機として、同市産の野菜価格が急落。同市の農家側が損害賠償などを求めて提訴し、テレビ朝日は謝罪した上、1000万円を支払うことで和解が成立した。

週刊ポスト2012年6月1日号
デモで露見したマスコミの「不都合な真実」

 大手マスコミ企業で働く人の多くは「デモ嫌い」だ。「デモをするような人間」「社会運動する人間」にうさん臭さを感じて嫌悪する。これはテレビ局で働いてきた筆者の実感だ。
デモをする人たちは突然明日やるなどと連絡してきて取材しろと要求する。こっちだって取材予定があるのにそんな勝手な人々に振り回されたくない。警官を挑発してわざと小競り合いを起こすような輩もたまにいて虫唾が走る。決められたルールさえ守らない人間が政策についてもの申す資格なんかあるのか。そんなマスコミ人の「感じ方」が、脱原発デモをめぐる当初の報道には見え隠れしていたように思う。

 毎週金曜日に行われる首相官邸前の脱原発デモや集会はどんどん拡大する様相を見せている。国家権力の中枢の前でモノ言う市民が大勢集まったことだけでも大きなニュースになってよいはずだが、当初、テレビや新聞は報道に消極的だった。官邸前デモが始まった6月15日(金)。1万人近く集まったと伝えられているが、ほとんどのテレビ局はその夜のニュースで報じず、新聞も記事にした社は数える程度だった。

 重大な原発事故が起きた国で、止まったままの原発の再稼働をめぐり、首都の政府中枢の建物前で大勢の国民が抗議の声を上げている。冷静に考えれば国際的なニュースのはずだ。ワシントンで、モスクワで、北京でと、もし他の国で同様のことが起きたらと想像したら、即、ニュースとして取材するのが報道人の常識のはずだ。
実際、この日のCNN、BBC、アルジャジーラなどの海外テレビは一斉に東京発で報じている。だが、日本のマスコミの反応はすこぶる鈍かった。既存のメディアは報じない一方、インターネットでは映像や原稿を配信する市民メディアがこぞって書き立てたのが対照的だった。

 6月22日(金)のデモは、主催者発表で4万5千人、警察発表でも1万1000人。テレビではその規模に驚いたのか短いニュースで伝えた局もあったが、夕方や夜のニュースで黙殺・無視を決めこむ日本テレビのような局もあった。
その翌週の6月29日(金)は主催者発表で20万人(警察発表で1万7千人)の規模となり、それまで消極的だった日本テレビも短い時間ながら報じ始めた。これらのデモが労働組合などの運動の玄人によって組織された従来型デモとは違い、普通に日常生活を送る一般の人たちが自発的に参加する新たな形のデモだという認識がマスコミの中でも広がりつつある。


 もともと政治にはノンポリで反原発運動に関心があったわけでもない人たちが、それぞれの素朴な思いを届けようと仕事帰りに駆けつける。
イデオロギーと無縁な人たちによる身の丈にあった自然な動きが生まれていることに既存メディアも気がつき出している。
7月に入って新聞やテレビではこの運動が従来の運動とはどう違うか、民主主義の観点から分析する報道を始めている。若者や主婦など一人ひとりの参加者を追いかけて個々の目線で追うスタイルの報道も増えた。

 私はテレビ局の特派員として、80年代終わりから90年代始めのイギリスに4年間、90年代終わりから2000年代前半のドイツに5年間、計9年間をヨーロッパで暮らしてきた。
そこで感じたことの一つが、ヨーロッパでは「デモ」という表現行為が、政治であれ、労働問題であれ、あるいは増税反対や戦争反対であれ、環境問題であれ、さらにはそこで暮らす外国の少数民族や性的なマイノリティーの問題であれ、頻繁に行われ、日常生活の中で定着していることだった。

 数多くのデモを取材したが、天気が良ければ家族を連れてピクニック気分で出かけるイベントという感じだった。
警察も過度な警戒をせずにデモの雰囲気を壊さない形で規制し、デモをする側も警備する側も互いに尊重し合う「大人の関係」が築かれていた。
中には悪乗りして暴動に発展させるグループもいるため、そうした極右や極左のグループに対する取り締まりは厳しく時に威圧的だったが、それ以外は警察も友好的だった。
おおむねデモをする側と警備を行う警官とが時折、談笑しながら、楽しげに歩く。そんな光景はイギリスでもドイツでも当たり前のように見られた。場合によっては・・・・

展望なき原発推進と決別を 国民のいのちと健康を守るために
 YOMIURI ONLINE
 YTV
 
記者クラブタブー
 記者クラブとは官公庁や業界団体などに設けられた特定の報道機関でのみ構成された事実上の「封建的な報道」を助長する組織である。
官公庁なども記者クラブのみを対象とした定例の記者会見を開くなど持ちつ持たれつの関係も見られる。
 記者クラブは官公庁内に記者室とよばれる一角を占めることが許されている。記者室の賃借料は無く、光熱費も官公庁丸抱えなど、指摘点は多岐にわたるが、「官公庁の無駄な出費」「税金の無駄遣い」と指摘(報道)されることは全くない。
 記者クラブに非加盟の報道機関に対しては取材活動が制限されることも多い。また、非加盟の報道機関が記者クラブに新たに加盟するには記者クラブ加盟報道機関の同意が必要で拒否されることも多い。
日本の報道における最大のタブーといわれる。
閉鎖性が堅固になったのは1969年の博多駅テレビフィルム提出命令事件最高裁判決以降であり、「利益衡量」基準の生み出した「怪物」ともいわれる。
 海外の報道機関からは「日本の閉鎖性・封建的報道制度」を象徴する制度として有名で、度々批判を受けるが、根本にある「利益衡量」基準が撤廃されない限り「報道機関が単独で行動するのは危険」。
つまりマスメディアが制御不能に陥る危険性すら孕んでいる。
 従って「当然のように」記者クラブが存在している。また一般の国民の認知度も低い。ちなみに、世界中で未だにこのような制度が残存しているのは、日本以外にはガボン、ジンバブエのみであり、また先進国では唯一日本のみである。
 普通に言う海外の「プレスクラブ」とは、自前の建物に娯楽設備などを用意し、勉強会や、ピクニックなどのイベントで国籍などにかかわらず記者としての交友を深めるのが目的である。すなわち記者同士の親睦を深めるための私的な団体であり日本のそれとはまったく趣旨が違う。
スポンサー・広告代理店タブー

スポンサーからの広告収入によって事業が成立している民放(特に東京キー局において)では、広告媒体として視聴者のレスポンス、消費意欲を損ね得る番組内容は実現し難いのが通例である。

2008年6月1日放送の『新ニッポン人』(テレビ東京)において司会者久米宏は「民放というのは、物が売れない、人々が物を買わない、という番組は非常に難しいんですよね。よくこの番組ができたと思います」と述べた。また、CMを軽視する発言をした乱一世が一時的に番組から外された例がある。

このため、民放で昼夜を問わず通販番組が多く放送されている。とりわけ一日の多くがテレビショッピングで占められている局(特に在京独立UHF局、衛星放送局)が存在している問題について報道されることはほとんどない(この批判は従来からあり、2011年には各局が量を明確に削減するよう求められた)。
『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)において出演者の岡村隆史はテレビ放送でのお笑いについて述べたのに加えて「報道と通販しかやらなくなったらどうする?」と述べた(それに対して相方の矢部浩之が「それでも見るけどな」と返した)。

同じ理由で、マスメディア、特に民間放送や新聞に対して大きな影響力を持っている大口スポンサーや広告代理店の事故や不祥事、雇用環境の問題など、不利な報道を行うことは巨額のCM・広告収入を途絶えさせる事であり、死活問題につながる。
上記のことから社会問題すら見過ごされることすらある。
例として、大口スポンサーである電力会社に対する配慮から、原子力発電所の危険性についての報道が福島第一原子力発電所事故以前にはほとんどなされなかった事があげられよう。

ただし、いわゆる中小企業や、大企業であっても民間放送への影響の小さい企業はこの限りではない。

 メディアタブー
テレビ報道や新聞各紙、即ちマスメディアそのものの在り方などを批判するようなことはタブーである。
これは自分自身を否定してしまうことに繋がるため、マスメディア自身が電波を通して公式の見解として発表することは勿論、視聴者である国民が一意見として投稿したものを大々的に認めることは有り得ない。
つまり、テレビや新聞等のメディアに、メディアそのものの是非を求めても無意味であり、たとえ機会があったとしても当たり障りのない議論しかなされない。
その為、国民はマスメディアに対する批判をBPOに寄せたり、インターネットを使って世間に発信することになる。
官房機密費の謎 官邸とメディアの癒着構造  
 
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LastUpdate 2015/03/08
〈東日本大震災追悼式〉 天皇陛下のおことば全文 
 
日本の頭脳 世界も驚く名言集

 
北大工学部・情報工学科 計算機室にて
 
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耐震偽装隠蔽事件 「巨悪は政治家と官僚、 記者クラブ」
 
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「官房機密費」 まみれの札付き 「悪徳政治記者」
後藤謙次、田崎史郎、伊藤惇夫・・・この三人は「官房機密費」まみれの札付き「悪徳政治記者」
(山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)より

つまり、誰かに、カネで雇われた「情報宣伝工作員」と思われる。
テレビ報道番組を中心にした彼等の「小沢バッシング工作」は、根拠のない誹謗中傷だらけで、その捏造報道は目に余るものがある。
 ■官房機密費まみれの札付きの政治記者、政治評論家リスト
 彼らがしゃべり始めたら「あっ、また、あの売国工作員が…」と思いつつ、チャンネルを切り替えましょう。>後藤謙次(元共同通信) 岸井成格(毎日) 与良正男(毎日) 田崎史郎(時事通信) 大越健介(NHK) 杉尾秀哉(TBS)
 ■彼らが、誰かに言わせられている「馬鹿の一つ覚え」のセリフ
「追い込まれている。」 「後がない。」 「その後の展望がない。」 「非常に厳しい。」ソース http://bit.ly/LGIXgC
 ■気を付けよう。
無知無学な情報工作員の発言に!!!

 彼等、政治記者や、政治記者上がりの政治評論家は、誰かに「官房機密費」をシコタマ貰い、せっせと「小沢潰し」に精出す情報宣伝工作員(スパイ)です。思想も良心も、そして独立国・日本の国民としての自覚も、何も持ち合わせてはいません。
 
言論統制

言論統制(げんろんとうせい)とは、政治権力が報道・出版・その他の言論に対して行う規制である。

規制の対象や方法は様々である。マスメディアが対象となることが多いが、集会、デモ行進、個人の会話まで規制されることもある。

 概要

言論統制は主に対内的に流布する利敵情報、例えば国家政策への批判、治安・風紀を乱す主義思想、国家的に重大な機密、暴動・国内的混乱の扇動などが出版・報道・流布されないように調査や検閲を行い必要に応じてこれらの情報を操作・管理防止することである。
テレビ、新聞、ラジオ、映画、学校教育などが情報統制、世論操作に使われているが、近年ではさらにインターネットを通じてもおこなわれている。

 冥土への置き土産に爆弾投下 野中広務
外交の情報収集などを目的とした官房機密費予算は、年間14億6000万円が計上されている。内容が公開されることのない機密費は、国会対策等に流用されているのではないかという疑惑が囁かれてきた。そんな中、官房機密費を一手に扱う官房長官を務めた野中広務氏が番組の単独インタビューに応じ、その実態を初めて証言した。野中「国会対策に使うことが多かった。

総理の部屋に月1000万円。それから衆議院国会対策委員長、参議院幹事長室に月500万円ずつもっていかなきゃならなかった。」機密費はもともと外交の情報収集などに使用される経費とされる。だが、金は別の目的にも使われていた。

定期的に機密費が渡る先の一つ。それが歴代の総理経験者だったという。盆暮れ100万円ずつ。野中氏によれば、政界を引退した歴代首相には機密費から毎年200万円が渡されていた。支払いは自民党の元首相だけで長年行われていた可能性があるという。

では機密費はどのように使われてきたのか。機密費は記録が存在しないとされてきた。
だが野中氏は長官就任の際、内閣官房の担当者からノートを手渡されたという。そこには、これまで金を渡してきた相手が記されていた。

官房機密費は情報公開もされず、会計検査院のチェックを受けることもない。野中証言で分かった一部が流用されていた実態。機密費は歴代の元総理に顧問料のような形で定期的に(年2回100万円)渡されていたという。永田町では――。

官房機密費は内閣官房長官がその時々の判断で自由に使える金とされる。野中氏の時代は、最高で1億2000万円に上った。当時はそれに群がる政界関係者がいたという。「家の新築祝いに3000万くれ」。総理に電話をかけてきたのは、引退した政治家で、その時政治評論家をしていた人物だったという――。「結果的にはね、1000万円やそこらは出したのではないかと思ってますよ。」
さらに、国会議員のなかにも、機密費をもらいにくる人々がいた。外遊、海外視察に向かう餞別として。それは長年続く慣例だったと言う。機密というベールの影でその使い方が問われている官房機密費。年間予算は今年も年間14億6000万円が計上されている。