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経歴
東京府出身。のちに代々木ゼミナール創設者の一人となる勝俣久作の四男である。世田谷区立太子堂中学校[1]、東京都立新宿高等学校、東京大学経済学部卒業。1963年、東京電力入社[2]。企画部・営業部などを経て[1]、1996年6月に取締役企画部長、1998年6月に常務取締役、1999年6月に取締役副社長に就任する。2002年10月、原発データ改竄事件で引責辞任した南直哉の後任として東京電力社長に就任する[3]。 「カミソリ勝俣」の異名をとった社長在職時は、社内改革、特に原発部門を含めた部門交流に尽力したが、先代に引き続き多くの不祥事を露呈した。周囲には「そろそろ疲れてきた」と漏らすものの、他電力への影響を恐れ、辞めるに辞められない時期を過ごした。2008年2月、柏崎刈羽原子力発電所のトラブルの責任を取り引責辞任する。代表権は保持したまま、東京電力代表取締役会長に就任した[4]。 2012年6月27日の株主総会で、福島第一原子力発電所事故を受け、西沢俊夫社長、皷紀男副社長、藤本孝副社長らとともに役員を退任し、東京電力社友。 会長在任中は多忙を理由に一度も福島県を訪問しなかった。 人物
発言
役職
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本日の日経新聞朝刊に、東京電力勝俣会長の退任を前にしたインタビューが掲載されています。東京電力の問題では何か書くたびに「言っても無駄」と、コメントをいただくことも多々あるのですが、無駄を知りつつも一応言っておくべきとは思いますので書くことにしました。 この時期に勝俣氏が新聞社のインタビューに応じると言うは何か思惑があってのこと。もちろん普通に考えれば、会長辞任を目前に控え今一度公式な形で福島第一原発被災者の皆さんはじめ世間の人々に謝罪の弁を申し述べてきたい、そのような意図でのメディア登場であると受けるのが正しかろうと思い読み進めた次第です。しかしながら、いきなりその受け止めは、力一杯打ち砕かれることになります。 日経新聞インタビュー要旨冒頭にある質問「東電の実質国有化」の項の回答を、以下に転記します。 「一言で言えばやむを得なかった。(原子力損害賠償法の免責条項である)3条ただし書きという選択肢もあった。免責を主張して勝つ可能性も弁護士らに指摘されたが、難しそうだと感じた。被災者の皆さんから損害賠償請求の提訴を受けた際に『免責だ』といって何年も裁判できるのか。社会的に激しく糾弾される。銀行借り入れも難しくなる。こうした原賠法の欠陥を認識していなかったのは、反省材料のひとつかもしれない」 勝俣会長が言っている「3条ただし書き」とは、原子力損害賠償法3条1項にある「異常に巨大な災害で原発事故が発生した場合は電力会社の賠償責任が免除される」旨の規定のことを指しているようです。すなわち、氏の言いたいことは、「本来東電は今回の件では、免責されると読み込める法的根拠もあったのだ」ということのようです。 そして、でありながらその主張をしなかった理由は、「社会的に糾弾される」「銀行からの借り入れが難しくなる」といった、組織防衛上の理由をあげているのです。日経新聞はこの部分のやり取りを「賠償を優先したことを強調」と書いていますが、私にはどう読み込んでも被災者保護の心情は全く感じられず「組織防衛を優先したことを吐露」としか読み取りようがありません。 もちろん経営者として、有事における行動の判断基準として組織防衛の優先順位を高めて、あるべき手立て考えることは誤った方向ではないと思います。 しかし、自社が引き起こした事故により被害者や被災者が出ているのであるのなら、その被害者・被災者の保護は最優先されるべきであり、自己防衛をそれに優先させることはできないはハズなのです。 仮に被害者・被災者の保護を最優先することによって、組織崩壊のリスクを負うことになろうともそれはやむを得ないこと。ましてや、公共的色合いの濃い企業体の長であり、また人命がかかわる事態であるのならなおさら、被災者保護は最優先されるべき判断材料であるでしょう。 しかしながら会長の弁では、「被災者保護ではなく組織防衛上の判断から、3条規定の主張を断念した」と読み取れます。私は勝俣会長のこの言い分を聞く限りにおいて、氏が今回のインタビューで述べている被災者に対するお詫びの言葉も非常に空虚なものに聞こえてしまいます。 氏は27日の会長職辞任を前に、被災者はじめ迷惑をかけた世間の人々に改めて謝罪をしたかったのではなく、「本来は自分たちも被害者であるのだ」「本当は免責されるべき事態でありながら、法の規定の甘さを容認していたがためのミスであったのだ」「法の未整備による混乱を避けるために国有化を甘んじて受け入れたのだ」等々の、これまで言いたくとも言えなかったことを、最後に会長として言いたいがためにメディアの取材をこのタイミングで受けたと思われるのです。 日経新聞には、勝俣会長を評して「カミソリ」と言われた論客であったとありますが、経営者としてはその姿勢において最後まで最低であったなと思います。 この期に及んで、自分たちは免責されるべきであったという主張ともとれる一言、被災者救済よりも組織防衛を優先しての苦渋の決断であったという心情の吐露、法的規定の詰めの甘さの放任に関する自己批判形式での不満の表明等々、どのひとつをとっても被災者が耳にしたときにむしろその神経を逆なでするのではないかと思えるような発言の数々は、「カミソリ」であるが故の上から目線は如何ともしがたく、勝俣氏が東京電力の悪しき風土を作ってきた張本人であるということを明らかにする以外の何ものでもないと思います。 東電のあるべき再生がしっかりと進むか否かは、この古き悪しきトップの発言を耳にして、東電組織内部から「恥ずかしい」という一言が誰ともなく発せられるかどうかにかかっているように思います。 |
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◆東京電力の勝俣恒久会長、廣瀬直己・次期社長、清水正孝・前社長、武井優副社長、荒井隆男常務、高津浩明常務、宮本史昭常務、木村滋取締役、藤原万喜夫監査役、松本芳彦監査役らは、みな無責任極まりない経営者ばかりだ。 東京電力が6月20日公表した「福島第一原子力発電所に関する社内事故調査の最終報告書」で白日の下になった。経営陣の責任は一切認めず、被災者などから損害賠償を請求されている裁判や株主代表訴訟から身を守ることばかりを考える姑息さだけが、際立っている。 福島第一原発大事故の元凶を「大津波」という自然災害のせいにして、大津波から原発を守る備えを怠った「人災」であることを認めようとしていない。「想定外」(報告書のあちこちで連発)の一言で片付けて、丸で被害者であるかのような顔をして、責任回避に躍起である。 現代科学技術の粋を集めた原発に最優秀学者、研究者、技術者を投入し、原発を稼動させているので、天災、人災による大事故が、「想定外」ということは、本来あり得ない。大災害発生の可能性とその結果を予見するのが、科学者の務めであるはずだからである。 予見していなかったとしたなら、科学者としては怠慢であり、責任は重い。併せて、抱えている最優秀の科学者に、大災害発生の可能性とその結果を予見させていなかったか、予見していたのに、経営陣が、これを無視していたかとすれば、その責任はさらに重い。 にもかかわらず、責任を感じず、これを隠蔽し、糊塗しようとしている醜い姿態を天下に晒して、平然としている態度は、これから日本の将来を担う子どもたちにとっては、有害である。先祖に顔向けできないばかりか、自分の子どもや孫たち、ひ孫たちに恥ずかしくないのであろうか。 とくに東京電力の頂点に立って、絶対的権力を振るってきた勝俣恒久会長に聞いてみたい。 ◆勝俣恒久会長(1940年3月29日~ )は、大学進学予備校代々木ゼミナールの創設者の一人である勝俣久作の4男として。東京府で生まれた。 新日本製鉄元副社長・九州石油元会長の勝俣孝雄は実兄で、丸紅元社長の勝俣宣夫は実弟である。孝雄・恒久・宣夫で産業界の勝俣三兄弟(実際は5人兄弟)として知られている。他の2人の兄弟は、日本道路公団の勝俣邦道元理事、東京大学の勝俣鎮夫名誉教授である。 勝俣恒久会長の略歴をザッと見ると、以下のような足跡を踏んでいる。東京都世田谷区立太子堂中学校、東京都立新宿高校、東大経済学部を卒業し、1963年、東京電力入社した。日本の最高学府と言われる国立大学の頂点で君臨する東大が、こうした無責任男しか養成、輩出できない大学であるとすれば、国民の血税の無駄使いである。 東京電力では、企画部・営業部などを経て、1996年6月に取締役企画部長、1998年6月に常務取締役、1999年6月に取締役副社長に就任、2002年10月、原発データ改竄事件で引責辞任した南直哉の後任として東京電力社長に就任。 社長在職中、社内改革、とくに原発部門を含めた部門交流に尽力し、「カミソリ勝俣」の異名を取った。先代に引き続いて、数々のスキャンダルに見舞われた。このころ、周囲には「そろそろ疲れてきた」と漏らしたという、ほかの電力会社への悪影響を警戒して、辞めるに辞められなかったという。 2008年2月、柏崎刈羽原子力発電所のトラブルの責任を取り社長を引責辞任した。だが、代表権は保持し、東京電力代表取締役会長に就任して、実質上、絶対的権力を行使し続け、東京電力の組織全体が、自由闊達な社風を築くことのできない閉鎖的企業となり、天災、人災に対する備えを整えることができなかったようだ。・「想定外」という言葉が、これを象徴している。 ◆さらに、勝俣恒久会長ら経営陣の「卑しさ」が、衆院経産委員会(6月20日)で明らかになった。経済産業省が明かしたもので、朝日新聞が6月21日付け朝刊「7面」で「東電役員8人「天下り」 原発事故の引責退任後」という見出しをつけて、以下のように報じている。 「経済産業省は20日の衆院経産委員会で、27日に退任する東京電力の16人の常勤役員(取締役と監査役)のうち8人が、退任後にグループ企業や業界団体の役員に就いたり、そこでの役職を続けたりすることを明らかにした。東電は16人の退任について、福島第一原発事故や1兆円の公的資金を受け入れざるを得なくなった経営責任を明確にするためと説明している。ただ、勝俣恒久会長が、日本原子力発電の社外取締役に再任されるなど、8人がグループ企業のトップなどに就く。このほかの8人にしても、うち3人は執行役として東電に残る。完全に「東電」を離れるのは、西沢俊夫社長ら5人だけだ。昨年6月に退任した清水正孝前社長も、東電の関連会社「富士石油」の社外取締役に今月から就き、月額20万円の報酬を受けることになる。(「退任する東電役員の行き先」の一覧表付き)」 これらの卑しい所業を見ると、東京電力の経営陣が、自分たちの私利私欲しか関心がなく、被災者には謝罪の気持ちも一片の誠意も示したくないというのが、アリアリである。こうなると、東京電力柏崎刈羽原発が、再稼動して万が一、大事故が起きても、東京電力の経営陣は、相変わらず無責任であり続けるつもりであることが、十二分に予想される。従って、決して再稼動を許してはならないのである。同様に、関西電力の経営陣も同じ穴のムジナであろう。大飯原発が起きても、だれも責任を果たさないだろう。泣かされるのは、地域住民である。それを承知のうえで、再稼動に賛成するがよい。これも自己責任である。 |
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