平沢勝栄との裁判
2003年11月、『週刊新潮』(2003年11月27日号)の中で上杉が執筆を担当した「パチンコ業者から平沢勝栄代議士に渡った4000万円」で、元警察官僚の平沢が朝鮮系パチンコ業者数社からあわせて4000万円のウラ献金を受け取っていたと書いた。
これに対し、平沢は新潮社に対し名誉毀損による損害賠償を求めて提訴した。2005年7月10日、最高裁が上告を棄却し、300万円の支払いを命じて新潮社の敗訴が確定した。
「麻生クーデター」説
2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事[13]を書いた。
麻生と与謝野馨内閣官房長官(当時)が首相を退陣に追い込む「クーデター」を起こしたという説(クーデター説)について麻生、与謝野は公然と反論した[14]。また、安倍も公式の記者会見で否定している[15]。
麻生内閣に関する報道
2008年10月2日、自身のブログの中で、マスメディアが報道していた麻生内閣成立直後の「冒頭解散説」を、麻生首相周囲に解散の気配が無い事を理由に否定した[16]。
その後、麻生首相が臨時国会冒頭の衆院解散を決意した可能性[17]があったが、上杉は麻生本人に解散の意向がそこまで強かったかについて、否定的な見解を示している[18]。
その後、上杉は10月16日の補正予算の成立を理由に、初めて解散の可能性が出てきたことを述べたが[19]、麻生が実際に10月中旬以降の衆院解散を望んでいたという情報[20][21]が、新聞報道などで11月になって明らかにされた。
外務省による抗議
2008年10月21日発売の『週刊朝日』(2008年10月31日号)「麻生『外交』敗れたり」において、上杉は、担当記者とのオフレコ懇談会で外務省齋木昭隆アジア大洋州局長が、「いい加減な記事を書くな」と激高したこと、匿名の外務省幹部が「中曽根外相ほど無能な大臣も珍しい」と述べたことを書いた。
外務省は、10月22日、「(斎木局長の)発言内容も激高したという点も、いずれも事実と異なる」、外務省幹部の大臣に関する発言も、「幹部が上杉氏の取材を受けた事実は確認されず、信憑性は疑問だ」と、朝日新聞出版に対し、記事内容についての抗議を行い、訂正を求めた[22]。
これに対し上杉は、『週刊朝日』(2008年11月7日号)において、懇談会の様子と斎木局長の発言内容[23]、匿名の外務省幹部の発言「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」[24]を記述し、反論している。
その後、鈴木宗男衆議院議員より、「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」が提出され、政府は、斎木局長の発言事実はなかったとする答弁書を閣議決定している[25][26]。
民主党主催ゴルフコンペ
2008年10月28日、ジャーナリストの山岡俊介により、同年5月5日から翌6日に民主党主催のゴルフコンペに参加していたと報じられる。
上杉はゴルフに参加していた事実を認めた上で、「費用は自腹で払った」と釈明(領収書などの物的証拠は一般公開されていないが上杉は「山岡に見せた」としている。後述)し[27][28]、逆にゴルフをプレーするだけで癒着や接待とみなすことは、ゴルフ競技への無理解だと弁解した。
山岡は、取材対象相手とは節度ある付き合いをするのが鉄則であり、マスコミ関係者が抵抗感もなく参加することは問題だと批判した[27]。
上杉は2009年2月11-13日のtwitterにおいて、これに関する一連の書き込みを行った。
たとえば「自民党秘書会ゴルフコンペにて現在トップスコア、と山岡俊介氏に強くアピールしてみる。ちゃんと正しい記事を書いてください、山岡さん(怒)。」との記述があり、twitterの字数制限のため簡略な記述だが「自民党関係者ともゴルフはしており、一党派に偏っているわけではない」との意味を込めたと見られる。
その後の記述ではウィキペディアのゴルフ問題の項目にもリンクを張った上で
- 二年前に抗議し、山岡は『ああ、直します』と約束しながら無視している
- コンペ参加費込み2万1千円(※の領収書という意味か)を当時山岡に提示した
- ジュニア時代含め自腹以外のゴルフは一切ないとも伝えた
と主張している。
朝日新聞記者批判記事
2008年12月、著書『ジャーナリズム崩壊』にて、朝日新聞の記者本多勝一と疋田桂一郎がフリージャーナリストの岩瀬達哉を名誉毀損で訴えたとして、名誉毀損で訴えたことは「言論の場での論争を放棄して、司法という権力に判定を委ねることは、反権力を標榜してきた「ジャーナリスト」にとって自殺行為」などと本多と疋田を批判した。
しかし、本多が週刊金曜日12月19日号にて「『ジャーナリズム崩壊』に見るジャーナリスト崩壊」と題して、疋田が岩瀬に対する反論書を自費出版して、岩瀬がその反論書を名誉毀損として訴えたというのが事実であり、本多と疋田が訴えたとする上杉の記事は事実と違うと反論した。
青山繁晴批判記事
著書『ジャーナリズム崩壊』にて、元共同通信社の青山繁晴が安倍政権崩壊時に涙を流したとして「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと批判した。
しかし、青山は涙を流していない、間違っていると上杉に指摘した。上杉は調べて返事すると約束しているが、青山は自身のブログなどでその後、ただの一度も、ただのひと言も連絡はないとしており、『ジャーナリズム崩壊』を書く前に自身へ確認の取材がなかったことも含めて批判している。一方で上杉はツイッター上で青山には説明済みと発言している。
安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」と題する記事について
2009年2月19日発売の『週刊文春』(2009年2月26日号)に「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」」と題する記事で、安倍元総理を批判した。
これに対して安倍事務所は、「事実無根のでっち上げの捏造記事」として週刊文春編集部を通じて上杉に公開質問状を送付した[29]。 「週刊文春」名義で回答したが、『当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください。』と記してあったと、安倍事務所は安倍のホームページで批判した。
安倍事務所は、「週刊誌という媒体を使い大々的に安倍議員を誹謗中傷しておきながら抗議されると『それは密室でやりましょう』というのは虫が良すぎる」などと指摘し、HP上に上杉隆の主張を否定する証拠写真などを掲載し、上杉に再度公開質問状を3月5日付けで提出した。
しかし上杉は、安倍側が設定した回答期限に従わず、2度の「回答延期のお願い」をした上で[30]、3月22日に回答した。
さらに上杉が「二千人以上収容可能な事務所を設営」と書いた記事について、上杉は回答の中で「読売新聞」[31]から引用したと説明したが、安倍事務所は、週刊文春の記事に引用元が示されておらず、元の読売新聞の記事自体が誤りであり、さらに上杉はその記事の内容を改竄して記事をデッチあげた、と批判した[32]。
また安倍事務所は、「当初は週刊文春編集部の影に隠れ、今度は文春の顧問弁護士に任せるという卑劣な手段に出た」「上杉隆氏のデタラメさがはっきりし、これは大変と弁護士に依頼されたのだと思います」と批判している[33]。
これらに対し上杉は、「安倍晋三氏のHPの質問についての当ブログでの対応は、これから誠実に行なう予定だ」と述べ、「安倍氏からの数回にわたる通知書については、「週刊文春」編集部を通じて、正式に回答を出している」、「「逃げている」という安倍氏の筆者に対する批判は当たらない」とし、「強く抗議する」と自身のブログで主張している[34]。
ただし、安倍と並べて抗議の対象となった阿比留は「彼から抗議や撤回要求の申し入れは来ていない」としている[35]。
安倍事務所は2009年7月3日にホームページで、上杉のブログでの発言「責任ある回答は、必ず、届ける」を引用し、上杉から何の回答もなく嘘つきだと批判した[36]。
これに対し、上杉は2010年1月7日のTwitterにおいて、自身に寄せられた「安倍に謝罪したのか」という趣旨のコメントに答える形で「多いんです。
wikipediaを鵜呑みにする方。反論せずに逃げているのは安倍元首相の方ですよ。wikiの記述が逆に書かれているだけ。ずっと放置してますけど(笑)」「過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています」と発言。
この「2009年の週刊文春記事への安倍側の批判」と「自身の長年の、質問・取材要請への安倍の拒否」を対比させて問題をすり替え、「逃げているのは安倍である」とする主張は、2009年3月27日付のブログ記事でもなされている。
また、『たかじんのそこまでやって委員会』の動画でも、上杉は「安倍さんに対して現地で取材をしたときにこの件に対して直接反論したにもかかわらずホームページには反論を載せずに”一回も反論をせずに逃げ回っている”と嘘を書いている」(ただし上杉自身も反論を公表していない。)、「この記事で間違っていたのは壇上には上がっていたが真ん中ではなく端っこだった。これについては私の記述ミスです。それ以外の内容には間違いがない」と話している[37]。
検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題
上杉が2010年2月3日のTwitterに、東京地検特捜部から『週刊朝日』編集部に出頭要請が来たことを記載した[38]。
『週刊朝日』は公式サイト「週刊朝日 談」にて出頭要請の事実を否定した[39]。
その後、ジャーナリストの岩上安身がTwitterに検察の出頭要請があったことは事実であることを記載し[40]、検察が記者クラブを通じて朝日新聞本社に「圧力」を掛け、それに屈した朝日新聞本社が、『週刊朝日』に対して、出頭要請は伏せ検察から抗議文が来たことだけにしろと指示したことも記載した[41]。
上杉も、2010年2月3日午前10:56に東京地検から編集長に面会の要請があったことをTwitter上で記載している[42]。
これに対し、元NHK報道局ディレクターの池田信夫は、朝日新聞東京本社のTwitterの出頭要請を否定した記載[43]などを元に、『「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした』、『こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が「検察がマスコミを自由自在に操っている』と思っているからだろう」と自身のブログにて上杉を批判した[44]。
しかし後日ネット上にて上杉と討論した際、上杉から当該記述について取消しを求められ、自らの非を認めて取り消すことを約束した(しかし、2010年3月1日現在、記述は取り消されていない模様)。
『週刊朝日』は、その後、公式サイト「週刊朝日 談」に山口が経緯説明を載せ、自身が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」「事実はありません」と記したが、東京地検の谷川恒太次席検事から記事に対する抗議の電話があり、谷川より「こちら(検察庁)に来ていただけますか?」と伝えられたことは明かした。
この説明の中で、出張中の山口が当日出向くことが出来ない旨を伝えると、抗議書を送るとしそれが編集部に送られ、後日、山口は谷川に対して直接連絡が取れず、検察庁の広報官を通じて、「現時点でご足労いただく必要はありません。
また、改めての取材には応じかねます」との返事が来たことを明かした[45]。
岩上は、検察と朝日本社に逃げ道を用意した編集長の談話であり、実際に起きたことは「出頭要請」であると記し[46]、上杉も、検察官という一捜査機関である谷川から「こちらに来ていただけますか」と連絡を受けたことは、出頭=本人自ら、ある場所、特に、役所などに出向くこと(広辞苑)であるから、紛れもなく「出頭要請」であると記している[47]。
福田元首相批判記事
週刊朝日2010年4月16日号にて「『赤いファイル』(公文書)廃棄疑惑・・・外務省の゛暴挙゛を認めたのは福田元首相だった。」という記事を書き、福田元首相が公文書廃棄の共犯であると批判した。
しかし、福田元首相の事務所より「『公文書廃棄疑惑』についてはまったく知りません」「文書廃棄について了承を与えた事実はない」と抗議を受け、確認を怠り虚偽の記載をしたことを認め、週刊朝日5月26日号の巻末の編集後記の隣に小さく謝罪文を掲載した。
フジテレビ新報道2001の降板
『報道2001』から『新報道2001』にリニューアルされ、竹村健一の代わりに毎週出演していた。
しかし2009年3月15日の放送で検事の実名を挙げて検察を批判した際、笹川堯自由民主党総務会長、弁護士の宗像紀夫から猛抗議を受け、同番組を降板した。
ただし、過去にブログで『新報道2001』レギュラー出演と矛盾する発言を書いている。2008年12月30更新のブログでは、『新報道2001』から何度も出演依頼があったが断ったのでVTR出演した、と書かれており、毎週出演していたとの話と矛盾している[48]。
2009年1月1日更新のブログでは、レギュラー出演をしているテレビ番組を今年度末までに降板すると書いていた[49]。
東日本大震災関連
2011年3月に発生した東日本大震災直後より、twitterを通して現地から次々と寄せられる深刻な状況を、情報が取れず被害状況を過小評価していた政府へ伝えようと奔走した。
一方で、内容の正確性や事実関係の確認が疑問視されたリツイートもあり、“デマ”を流したなどの物議をかもした。池田信夫からはデマゴーグだと批判されている。
青山繁晴が3月中旬に現時点では東京は大丈夫と発言したのに対して安全デマだと断言し、INESがレベル7になると半径600kmも人が住めなくなる、東京だけでなく大阪も住めなくなると主張した(2011年4月12日、INESは暫定評価レベル7と発表された)。
2011年4月の東京都知事選における期日前投票期間中には、東京電力の第5位株主が石原慎太郎都知事であるとの誤報を発信した(これに対し、「【記者クラブ的お詫び】先程のリツイートに誤解をまねくものがありました。お詫びして訂正します。
」とのツイートは行われている)。
「火事場泥棒。言論の自由への挑戦。情報暗黒内閣の正体露に。 ⇒菅政権、震災のドサクサの中で「ネット規制強化法案」を閣議決定」との不確かな情報を発信(閣議決定したのは震災発生の数時間前)し、佐々木俊尚にデマだと指摘された。これに対しては自身ではなく週刊ポストの誤報であるとツイートしたり、誤報ではあるが日付を間違えただけでデマではないとしている。また、佐々木に対して政府公認安全デマアカウントに認定されましたと批判している。
自由報道協会主催の会見でルールについての議論
2011年10月20日、上杉が暫定代表を務める「自由報道協会」が主催した小沢一郎元民主党代表の記者会見が行われた[50]際に多くの質問者が出ることが見込まれたため出来るだけ多くの人に質問させる意図から「原則一人一問」というルールを設けていたが、読売新聞の恒次徹記者が、司会者の再三の注意にも関わらず複数の質問をしたところ、ルール違反したとして会見終了後、上杉は自由報道協会代表として岩上安身とともに「記者会見について司会者に従うこと」について恒次記者に暴言を交えながら詰問し、恒次記者が「回答が曖昧な場合、記者が続けて行う関連質問」として反論をしてやり取りの模様がネット上に動画で公開された[51][50][52]。
恒次記者は最終的に別の協会メンバーの「次回からルール厳守をお願いします」という言葉にうなづいて会場を後にし、自由報道協会ルールを守ることに同意した模様[53]。読売新聞は「恒次記者の質疑応答時間は約4分30秒、その後に質問した4人の平均質疑応答時間は約5分」としている[51]。
翌10月21日付けで、自由報道協会は代表の上杉隆名義で、読売新聞の恒次記者宛に、司会者の指示に従わなかったことを挙げて、「記者会見上のルールを無視し、進行を妨げたことは誠に遺憾」旨の抗議文を送付[54][51]。
一方22日には上杉が恒次記者に対して複数回の暴言を吐いたことが同協会の健全性と信頼性を傷つけたとし、同協会幹事長及び会員に対して、代表辞任届を提出(不受理)[55]。
読売新聞によると、読売新聞読者センターに寄せられた意見は10月26日時点で141件寄せられ、恒次記者を支持する意見があったが殆どは恒次記者に対する批判であり、批判意見には「読売バカ記者」「恥を知れ」と同じ文言のメールが多数あったとしている[51]。
なお、上杉は2010年1月9日に「日本文化チャンネル桜」で放送された「新春討論・平成22年この国の行方」においては、「(日本の記者クラブでは)2問目の質問が出来ない。
これは日本だけですけど、こんなことをやっているのは。世界中で普通ジャーナリストは権力を追及する時に、相手がごまかした場合は次の質問者もその次の質問者も、ちゃんと答えるまで追求できる訳ですよね。これは。
ただ、日本だけは記者クラブの訳の分からんルールで、一人一問とかですね、助け舟を出すと。」と述べたことがある[56]。
町山智浩による指摘
2012年1月27日、映画評論家の町山智浩がツィッター上で、上杉がレギュラー出演していたTBSラジオの番組「キラキラ降板の理由は、(海外で報道されていたメルトダウンの可能性を公表しなかった)東電批判をしたためでなく、震災前に上杉さんが放送で官房長官が機密費を「ネコババ」したと発言、長官の抗議に対してTBS(ラジオ)が上杉さんの意思に反して謝罪して揉めた件ですよね?」と質問した[57]。
町山は、上杉が鳩山元首相主催勉強会にて、東京電力や電事連批判のあとに降板されられたと発言している記録、上杉が東電批判のせいで降板させられたと発言しているドイツのシュピーゲル誌のインタビューなどを挙げた。
ただ、上杉は、2011年4月、鳥賀陽弘道との対談(『報道災害 【原発編】』幻冬舎新書、2011年7月に掲載)において、「降板は、東電批判以外なら、官房機密費くらいしか考えられない」と、どちらの可能性もあることを示唆していた。
直接是正したいという上杉隆本人の希望により、2012年3月14日、『ニコ生×BLOGOS番外編』にて直接対談が実現。この放送は延べ19万人が視聴した。
これで、上杉隆が認めた事実は三つ。
①上杉のNHK時代という経歴は正社員ではなく、あくまで見習い(アルバイト)だったこと。
②NYタイムズには署名記事はひとつも書いていないこと。
③キラキラ降板については、震災前に既に話を聞いていた、ということ。
しかし、4月19日のドイツ国際放送のインタビューでは、TBSラジオの番組で福島第一原発の3号機から放射能が出ていると話したら降板になった、と再び語っている。
このままのペースで行くと2011年の自殺者が5万人を超える
2011年8月11日に行われた自由すぎる報道座談会6内で、ある政治家が調べたんですけど4月5月6月7月、このペースで行くと自殺者が5万人を超える。放射能事故を起こすと自殺者が増えるのに政府やマスコミは無視していると発言した。
この発言に対して、ジャーナリストの江川紹子により、警視庁が公表している自殺者情報を元に6月、7月の自殺者は減っているためこのペースで行っても5万人を超えないと批判された。
その後、2012年3月11日に行われた号外!ニコニコニュース「3.11特集号」~あの日から1年~内で、この件について4月、5月のペースで行くと5万人を超えると6月か7月に話した。
その後、6月、7月と自殺者が減った。自殺者5万人を超えるというのは4月、5月ペースでの話だと釈明した。
朝日新聞の2012年2月9日の記事「記者、つぶやく つながる ツイッター開始、読者と対話」で「朝日新聞は(2012年1月下旬、)ツイッターで記者が情報発信する試みを始めた」とあったことについて、『Voice』2012年5月号における茂木健一郎との対談(「ミドルメディア」で日本の言論界が変わる)において「記者はツイッターをしてはいけないという言論封殺を天下の『朝日新聞』ですらしていた」と発言した。
これに対し、現職朝日新聞記者である伊丹和弘は「2012年2月9日の記事は2011年1月から朝日新聞は個々の記者によるTwitter配信を会社として促進する趣旨のものであり、記者の実名でのTwitter利用を禁じたことは一度もない」「2010年8月制定された朝日新聞のTwitterに関するガイドラインは『Twitterの個人利用は基本的に自由だが、朝日新聞記者など社名を名乗る場合は事前に上司の了解が必要』というもの」「会社が記者のTwitter利用を促進する2012年1月以前から朝日新聞記者が実名でTwitterをし始めた例として、2009年7月以降の丹治吉順、2010年6月以降の伊丹和弘、2010年8月以降の神田大輔の例がある」とし、上杉の発言について事実誤認があるとして訂正を求めている[58][59][60][61][62]。
郡山市役所の空間線量
夕刊フジの連載で上杉隆が郡山市役所の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超えた。
一方、「福島民報」や「福島民友」では同じ日の同じ場所での空間線量が0.6マイクロシーベルトになっている。数値が低いのは計測前に水洗いをしているからと書いている。
しかし「福島民報」や「福島民友」では郡山市役所での計測結果を載せておらず、別の場所にある郡山市合同庁舎の空間線量しか載せていなかった。
「記者クラブ制度」糾弾
多くの著書や連載で、「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、日本の大手メディアに属す記者クラブメンバーのみの参加者・質問者、という日本の制度を批判している。
世界レベルで見てもニューヨークタイムス、ワシントンポストなど海外大手メディアも記者クラブには入れないため、直接会見に参加できないことでアジア支社の日本完全撤退・縮小となる原因となった。[63]
なお、記者クラブ制度は、世界の中で日本とアフリカ・ガボン共和国の2カ国のみに存在する制度である。
記者会見でも政治家、大臣に対してこの問題に関し、開放を求める立場から質問。2009年の民主党による政権獲得以降、複数の省庁が記者会見をオープンにしたり、フリー記者やネットメディアを対象とした懇談を行うきっかけとなった。
その中でも有名なものに、2009年3月24日、民主党・小沢一郎代表の記者会見がある。
同会見で上杉は「政権交代が実現したら記者クラブを開放し(続け)て首相官邸に入るのか」と質問。
小沢は 「日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。(略)どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」と回答した。[64]。同種の質問を、その後同党の代表になった鳩山由紀夫にもぶつけ、オープンな会見への方針に変化が無いとの言葉を引き出した。民主政権になり一部の記者会見ではオープンになったものの、菅内閣時代に再度記者クラブ独占となった。
2011年1月26日に自由な記者会見の場を提供すべく「自由報道協会」を結成した[65]。
福島第1原発3号機の爆発隠蔽
日本の新聞やテレビは3号機が爆発した時の映像を公開せずに隠蔽していると批判しているが、実際には各社報道をしていた。 またこの時、枝野官房長官が「3号機でポンという爆発的事象がありました。」と爆発がなかったかのような発言をしたと言っているが、 この発言は3号機についてではなく2号機についての発言を3号機だと言い換えている。
ウィキペディアへの疑問
自らのブログやtwitterで、自身の項目内容が間違っていると主張して、ウィキペディアへの疑問を投げかける。曲解・誤解して書かれると事実と離れたことが出回ってしまう可能性があると示唆する。
自身のブログでは、「日本版『ウィキペディア』なんか、酷いもんです(笑)。 いつものように放置ですが、本物の英語版『wikipedia』とは大違い。
実は、書き込んでいる人を調べてもらいました。( -д-)ノ なんと、記者クラブ所属の○○記者と○○○記者などを発見。(笑)」と語っている[66]。
2010年1月7日に記述された上杉の公式twitterでは、安倍晋三について書いた記事の話題から、上杉のウィキペディア批判となり、
- 「wikipediaを鵜呑み」にする人間が多い。
- 反論せずに逃げているのは安倍元首相だが、「wikiの記述が逆に書かれている」
- 講演会でウィキペディアが資料として配られるなど実害がある
など不満の例や経験を挙げ、「そろそろ、対応しようかな。時間のかからない効果的な方法があったら、誰か教えてください」と表明した。だが、その約12時間後、従来と同じく「放置する」ことを基本方針とすることを記している[67]。
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