天下無双の名教授列伝
北大工学部 大野池
 現在は、何処の大学でも、圧倒的多数である教職員の意向を無視して、大学改革と称した大改悪を推し進めているが、その中核となっているのが、総長(学長)や副学長そして教授という人達である。
 その問題点は多々あるが、その代表的なものとして、

1.教員の研究費や非常勤講師手当の削減
 法人化初年度から、大学では 各研究室の教育研究費の半減や非常勤講師
 賃金の減額などが続出している。
2.「役員会の姿が見えない」あるいは「財政などの情報が公開されな い」といった役員会の密室化。
3.連日のように遅くまで業務をしても、残業手当が一円もつかないサー
 ビス残業
(法人化まで続いた)。その結果、いずれ身体が持たない職員
 が大勢出てくるのは、時間の問題である。
4.法人化によって教員任期制の導入が推進
 つまり、三~五年の任期がきたら失職する任期制の導入。これでは生活設
 計が出来ないため、結婚も遠のくし、家のローンも組めない。

 これらの問題は、過去の封建的な大学(師弟関係や研究室の家父長制など、医歯系では白い巨塔と呼ばれてきた)の歴史から生じたものといえる。


北大工学部 大野池で遊ぶカモ

 現代の教授は、昔と比べると、かなり民主的になってきているように思えるが、その反面、権力、特に人事権や予算を握っている者に対しては、非常に弱い人達が多い
 つまり、自分よりも強いものには逆らわないが、自分より目下の者に対しては、態度が極端に大きくなるのである。
 昔の教授は、親分肌の人もいて、目下の者には面倒見が良かったようである。
 しかし、かつて北大工学部の玄関が、教授専用玄関一般職員玄関と別々に分かれていたこともあり、教授は特権階級であった。
 また、電気工学科には「一般職員とは同席しない」という、K教授もいた。
 昭和43年春、私が北大工学部 電気工学科に配属が決まり、学科の教授に挨拶回りをしたときのことである。
 私は、配属講座の助手に引率されながら、各教授室に挨拶に出向くのだが、それには、偉い教授からという順番があるというのである。
 職種が教授であっても、上、中、下といったランクがあったのである。例えば、先輩と後輩でも、先輩教授のほうがランクが上であった。
 私は、赴任の挨拶だから、順番はどうでも良いと思っていたが、そんなことをすると、うちの講座の教授に迷惑がかかるそうである。
 これ自体が、当時の大学という組織の最大の疑問であった。


北海道大学 中央ローン

 さて、大学に勤めて数ヶ月後、O(オ)名誉教授という人物が、私の実験室に工作を頼みに来たことがあった。
 工作といっても、金属に10ミリ程度の穴を開けるのみであったが、鋼のように、たいへん堅い金属だったため結構時間を要した。O名誉教授はヘリコプターの研究をしているようであった。
 名誉教授と呼ばれるくらいだから、凄く偉い人物だと思っていたら、北大工学部に教授としての在任期間が20年以上あると、誰でも名誉教授の称号が与えられたようである。
 そのO名誉教授の工作を、数日間手伝ったある日、私は実験室に施錠して会議に出席したことがあった。
 そのことが、O名誉教授としては気に入らなかったらしく、酷く怒っていたそうである。挙げ句に「あの技官は労働組合員で悪党だ」と言い残して帰ったそうである。
 当時(1970年代)の北大職組の組織率は、30%程度だったが、技官の組織率は70%以上はあったようだ。しかし、技術部の立ち上げに反対して、教職員組合を脱退した後は、技官の組織率が何%なのかは分からない。


北大農学部

 1970年代に入ると、70年安保反対闘争が始まった。
 私は昼休み、安保反対署名を集めに回った。そうしたなかで凄いと思ったのは、Y教授の発言である。
 私が、憲法九条の戦争放棄の会話をしようと思ったが、Y教授は、「皆さんはそのように教わったのかも知れませんが、私は違います。」という素っ気ない返答であった。
 そしてY教授は、少し間を置いてから「教授は皆、ノーベル賞を目指して研究をしています。」と、きたもんだ。
 私は、そこで教授は偉いんだとは決して思わなかったが、安保条約とノーベル賞と、どのような関係があるのかを知りたかった。
 つまり、Y教授は、”我々はノーベル賞を目指している。いま70年安保を闘っている貴方とは違うのだ。”と言いたかったのだろう。
 それから数年後、Y教授は北大を定年退職したが、教授の在任期間が20年に満たなかったため名誉教授の称号は与えられなかった。
 恐らく、(Y教授は)NHKでの在任期間の方が長かったせいだろう。
 その後、Y教授は、ひっきりなしに私の研究室に訪れるようになった。
しかも、わざわざ東京都世田谷からである。
 Y教授は「私は日航の株主だから、航空機の優待券で安く利用できるんです」などと自慢げに話していたが、私は、日航の経営破綻の原因にもなるのではないかと思った。
 Y教授は、定年退職後、東京のアルミホイールメーカーの顧問になり、その設計のために、私からCADソフト関係の説明を受けたかったようである。しかし、Y教授は何のためらいもなく、J社とA社のコピーソフトを使っていたのが気になった。
 そんなある日、Y教授と、うちの助手と私の三人でウナギ屋に行って、うな丼をご馳走になったが、あまり美味しくなかった記憶がある。


北大工学部 大野池のカモ

 1980年代に入ると、教職員の入れ替わりが激しくなってきた。
 そうした中、T助教授がカナダに外国出張することになった。
 カナダのS大学からはT助教授から、実験依頼や計算依頼が、毎日のように送られてきた。
 私は、それに沿って北大での実験結果や計算センターでの計算結果を返送した。こんなことが2年間続いた。
 T助教授は、短編も含めると二年間で三十編以上の論文を書くことが出来たと喜んでくれた。私も嬉しかった。
 また、10年近く一緒に仕事をした同じ講座の助手も、教育大学に転勤することとなった。


北大工学部正面

 最近は、よくセクハラという言葉を耳にするが、それによって処分を受けた教授もいるようである。
 しかし、いまから20年以上も前になると、セクハラという用語さえ知らなかった教授も多い。
 工学部では、まずセクハラ教授で筆頭に上げられたのは、I教授であった。I教授は、自身が雇用した女性秘書に手を出して裁判沙汰にもなったようであるが、どういう訳か、警察沙汰にも新聞沙汰にもならなかったのが、当時(1970~1980年代)の大学の特徴でもある。
 また、例年、年度末になれば、慣例のように教職員の歓送迎会があった。
 歓送迎会が盛会のうちに終わった時である。
 皆が席を立った時、T教授(1980年代、同学科に頭文字がTの教授が3人在籍)は、いきなり主賓の女性秘書の上司の教授(同じくT教授)に対し「この女性の手を握っても良いですか」と聞いたのである。
 私は、それほど女性の手を握りたかったら、直接その女性に問いかけるべきだろうと思っていたら、女性秘書の上司の教授は、すかさず「握ってもいいですよ」と答えたのである。
 このような行為は、セクハラになるかどうか分かりませんが、T教授はたいへん喜び、女性の手を握りしめたのであった。
 この事について、周囲にいた教職員も何も言わなかったし、当時は、そのようなことが罷り通る時代でもあった。


北海道大学 銀杏並木

 「教授は皆、ノーベル賞を目指して研究をしています。」などと名言を吐いたY教授が定年退官したその後釜に就任した教授は「技官を退治する」と言いながら、工学部内を回っていたF教授であった。
 F教授は、私の父親の後輩(旧制北海中学時代)であったため、技官の私に対しては、退治という言葉は一度も使わなかった。
 退治という言葉を使ったのは、技官に対してだけではなかった。
 F教授による「助手の三羽烏を退治した」という悪口雑言は、原子工学科など、他の学科でも有名であった。
 F教授は、原子工学科のY教授から「そのような事を言うと、教職員から嫌われますよ」と窘められるほどであった。
 そもそも「助手の三羽烏」と呼ばれていた助手は、既に亡くなったか退官した助手であった。
 どうやらF教授は、自分より地位の低い者や、論敵に対しては、このように悪口雑言を並べ立てたらしい。しかも、対象者がいない場所で悪口をたたくのだから、かなりの小心者であったことには間違いない。
 しかし「技官を退治する」とか「助手の三羽烏を退治した」と大口を叩いていたF教授も、数年後、60代で亡くなった。


北大工学部 大野池

 さて、小心者と言える教授は他にもいた。
 旧学科制の頃は、毎年、講座(研究室)の持ち回りでレクレーションを計画していた。昭和43年には、泊り掛けで、然別湖に旅行にいったこともあった。
 私の研究室が幹事を担当したのは、延べ4~5回あったが、一番思い出に残ったレクレーションは、参加者40名くらいで積丹に行ったときで、海の幸で会食をした事であった。
 三時間位かけて現地に到着したとき事件が起きた。
 運転手が、路肩にバスを寄せすぎたためか、K講座のH助手が運が悪く、約5メートル下の波打際まで落ちてしまった。
 H助手が怪我をしたようなので、幹事講座の職員(私とT助手)が、近くの病院まで、K講座のH助手を連れて行った。運良く、擦り傷程度であった。
 そして数時間後、海の家で会食をして、皆、ほろ酔い気分で帰途についた。ところが酒に弱い私は、ほろ酔いではなく酩酊状態であった。
 私は、海の家に免許証などが入った上着を忘れて帰ってしまった。
 気が付いたのは、工学部に着いてからだった。私は弟に電話し、積丹までクルマの手配と運転を頼んだ。


北海道大学 古河記念講堂

 その後、K講座のT教授が問題にしたのは、H助手の怪我の件であった。 T教授の抗議の内容は「部下のH助手が怪我をしたのは、バスの運転手が路肩に寄せすぎたのが原因なのだから、バス会社に補償させるよう交渉できないか」という趣旨だった。
 幹事講座であったうちの助手が「そんなことは当事者同士で行うべきだ」と言ったら、T教授は「幹事講座が責任を取るべきだ」と反論してきた。
 うちの講座では、バス会社に対し、怪我人の補償をするよう申し入れたら、落ちる方が悪いなどと簡単に断られてしまった。
 交渉の経緯をT教授に伝えたら、今度は事もあろうに、私がH助手を突き落としたようだから補償するよう伝えて欲しいときたのである。
 そもそも、バスの一番後ろの席に座っていた私が、最前席にいたH助手を突き落とせる訳がないのである。
 K講座のT教授は、それほど他人に責任を擦り付けたいのであれば、自分で行動すべきであったのではないか。こういう教授を小心者と言わずして何というのであろうか。


北海道大学 中央通り

 小心者といえば、元工学部長のK教授もそうだった。
 それは北大紛争の頃である。
 1969年11月8日の機動隊導入により収まったかのように思えた北大紛争([動画]激動の北大史参照)だが、1970年代に入ってからも、工学部が断続的に過激派の学生に封鎖されることがあった。
 私は、その過激派に対し「封鎖を解除して、勉学に励んだらどうか」と抗議したら、その学生は私に殴りかかってきた。
 それを見ていたK教授は、殴りかかった学生に注意しないで、殴られた私に「やめなさい」と注意したのであった。
 これではあべこべではないか。
 このK教授は、学長(総長)選挙でも、有力候補の一人であったが、結局、落選した。またK教授は、工学部長にもなれずに、工学部事務取扱「ジムトリ」を数年間続けざるをえなかった。
 その理由は、非民主的な学部長選挙制度を、多くの教職員がボイコットしたからであった。
 教授会は、近い将来、全教職員に対し一次選挙権を与えるという約束をしたが、O(オ)学部長の時、文部省の介入によって、全てご破算になった。このO学部長は、原子工学科の教授で、あだ名を「ポチ」と呼んだ。その訳は、名前がそう読めたからである。
 このO学部長は、北大の評議会でも、おかしげな主張をするために、当時のA学長(機械工学科教授)からも、安易な発言を控えるように忠告されていたそうである。
 また、更に大衆の前で恥をさらしたのが、K工学部長(資源開発工学科教授)である。
 それは、K工学部長が元工学部長の大野名誉教授(工学部大野池を作った教授)の葬儀で、工学部を代表して、弔辞を読んだ時のことである。
 K工学部長は、どこをどう間違えたのか「弔辞」と読まずに、こともあろうに「祝辞」と読んでしまったのである。
 しかも、300人以上の弔問客の前で「祝辞」と読んでしまったのだから、工学部長としての見識や格式が、地に落ちてしまったようなものである。

工学部前庭

 また、教授の一般常識、価値観、判断力にも不可解な事も多かった。
 当時(1980年代~)は、工学部内にもPCコピーソフトが氾濫し、オリジナルのソフトが、どこにあるのか分からないような状況であった。
 そもそも、工学部長がコピーソフトを持って、私に年賀状の作成や印刷方法を尋ねに来るのだから、もう終わっている。
 このように、大学民主化の以前に、まず、一般常識を身につけることが先決であったのかも知れない。
 さて、教授会では、全教職員に対して発行した覚え書き文書では「各研究室でも教職員との意思の疏通をはかる」と学部運営を民主化することも呈示されたが、現在では、それさえも反故にされている。
 これが、当時の教授や教授会の実態である。


クラーク像

 また、旧原子工学科に、I教授というユニークな教授が居た。
 そのI教授は、戦時中、旧日本海軍にいたので、私が「海軍司令長官」というあだ名を付けてあげた。例えば、こんな事があった。
 昼休み、私がバンデグラフ研究室の前で洗車していたところ、どこからか現れたI教授から「ここは洗車場ではないぞ、やめなさい」と注意を受けた。
 私は、あと2~3分で終わるため洗車を続けていたら、I教授が、リニアック研究室の方から戻ってきて、立入禁止の標識(放射能標識)を指差しながら「この標識が目に入らぬか」と私を怒鳴りつけた。
 それに対し私は、聞こえないふりをして洗車を続けた。
 その後、バンデグラフ研究室の技官に聞いたところ、I教授本人も、普段から、ここで洗車をしているという。
 その時、私は、I教授も例外ではなく、自分自身には甘いんだな~と、つくづく感じたのである。
 本来の大学であれば、自由な研究と教育を発展させる事で、社会に寄与できるのであるが、時の国家権力からの干渉、経済界からの干渉、そして原子力発電や福島第一原発事故、放射能の拡散や汚染水問題、被曝問題など、解決すべき問題は山ほどある。
 そうした状況の中で、全ての教授ではないが、このように、自分には甘く自分よりも地位が低い者には厳しい教授が山ほど居ると言うことは、情けなく、北大の将来を憂えるのである。
 石川 栄一
おわり
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北大工学部 大野池
奇談(第1話)「夜泣き人」
 10年ほど前、私が、胃潰瘍で入院していた時の奇談である。
 夜9時になると、全ての病室は消灯させられるのであるが、どうも病院というところは夜になってもなかなか眠れないものである。
 私の病室は6人部屋で、他の患者さんは肺ガンなどの重症患者ばかりであった。年齢的にも、殆どが私よりも20歳以上も年上で、中には病院内を徘徊してまわる患者もおり、まるで老人病院のようであった。
 また、他の患者さんと会話をしても、昔話的な内容になってしまうのである。しかし完全な昔話なら良いのだが、現在の事と昔の事が、ごちゃ混ぜになるため、何がなんだかわけが分からなくなるのである。
 これもまた良い経験だと思いながら、そろそろ寝ようとしていたある夜、「うぇーん、うぇーん」とどこからか赤ちゃんのような泣き声が聞こえてきた。
 いつまで経っても泣きやまないため、”赤ちゃんの親や看護婦さんは一体何をしているのだろう”と思いつつ、泣き声のする方に行ってみた。

病院の廊下
 北側の端の病室に近づくと、赤ちゃんの泣き声が段々と大きくなってくる。そして、泣き声がする病室の前についたとき、急に静かになった。
 病室のドアは開けっ放しで、カーテンで目隠しをしているだけだったので僅かな隙間から中を覗いてみた。
 しかし、赤ちゃんらしきものは見あたらなかった。
 ただ、ベッドに老婆が一人、寝ているのが見えた。
 私は、”赤ちゃんの泣き声は気のせいだったのか”と思いながら、自分の病室に戻ろうとしたとき、また病室の方から「うぇーん、うぇーん」という泣き声が聞こえた。
 私はビックリし逃げ出したかったが、もう一度その病室の中を見渡すと、なんと、老婆が赤ちゃんの声で泣いているのであった。
 私は気味悪くなって、その場から逃げ出した。
 私と同じ病室の患者さんにこの事を話したら、その老婆のことを詳しく話してくれた。
 その話によると、老婆は3年ほど前に、脳の血管が切れて入院し、一命は取り留めたが、三歳児程度の能力に低下してしまったという。
 その後、老婆の夫が看病していたが、その疲れが響いたためか夫も倒れ、そのまま亡くなったそうである。
 夫が元気だった頃には、老婆も機嫌が良く、周りの患者さん達に、童謡を歌って喜ばせていたそうである。
 しかし、夫が亡くなったことを知ってか知らずか、毎夜、老婆は夫を呼ぶように「うぇーん、うぇーん」と泣いているという。
おわり
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奇談(第2話)「気配」
 今回は、少々怖い話になりますので、本当にトイレに行くのが怖くなるかも知れません。
 さて、どなたでも人の気配を感じることがあるでしょう。
 自分のそばに誰かがいると感じるのは、何か考え事をしている時に多いようです。時には人の気配ではなく、犬や猫の気配を感じることもあります。
しかし、1日に何回も同じ人の気配を感じることは、まずないでしょう。
 今回も、私が入院していた病院での話です。
 私の病室の向かい側に洗面所があり、そこから男子用トイレと女子用トイレ、および身障者用トイレに分かれておりました。
 それぞれのトイレには、1日の尿の量などを調べるための採尿パックが各病室の患者の数だけぶら下げてありました。
 採尿パックには患者の氏名が書いているため、間違って他人の採尿パックに自分の尿を入れ違えることはありません。
 また、掛けてある採尿パックがなくなった場合は、その患者が退院したか、あるいは死亡の場合です。

病院の怪談

 さて、入院してから2週間経ったある日の朝食後、採尿のためトイレで用を足しているときです。
 青白い顔をした患者が、私の隣の便器で用を足しているような気配を感じたのです。しかし周りを見渡しても誰もおりません。
 同日、午前のリハビリの後、小便をもようしてきたためトイレに行きました。その時、またしても、隣に誰かがいるような気配を感じましたが、誰もおりません。何か、いやな予感がしたため、急いで病室に戻りました。  案の定、隣の病室の様子が何か慌ただしいのです。と、いうのは医者や看護師が出たり入ったりしており、また患者の家族らしき人々が、病室の前にたたずんだり、うろついたりしているのです。中には涙を流している家族の姿もありました。
 私は、隣の病室の患者の誰かが危篤状態だという事を察しました。
トイレで私が気配を感じたのは、恐らくこの危篤の患者さんだったのかと思い、一応納得しましたが、冷や汗をかきました。
 しかし、人の気配を感じたのは、これで収まらなかったのです。
 夜、就寝前にトイレに行ったのですが、やはり自分の隣に青白い顔をした人の気配を感じたのです。私は、そそくさとその場を去り、自分の病室に戻り、一体何があったのかと思いながら布団に潜り込みました。
 もう、夜中の11時をまわっておりました。
 その日もなかなか眠れず、うとうとしていたら、今度は反対側の病室が慌ただしくなりました。また誰かが亡くなったらしいことが分かりました。
 やけに死亡者が多い病院だなと思いましたが、今度は自分かも知れないとは思いませんでした。
 翌朝、トイレに行って採尿パックを見たら、私の隣に懸けてあった患者の採尿パックがなくなっておりました。
 やはり昨日、亡くなったのは、この患者かと思い、一応これで安心してトイレに行けると思いました。
 ところが、午後のリハビリが終了後、トイレにいって採尿していたら、また隣の便器で用を足している患者の気配を感じました。
 私は周りを見て驚きました。
 青白い顔をして立っている患者は、なんと自分と同じ顔をしているではありませんか。
 私はビックリ仰天して逃げだそうとしても足が動きません。
 誰かを呼ぼうとしても声も出ないのです。その時、耳元で私を呼ぶ、やさしい声が聞こえたのです。
 目を覚ますと看護師さんが血圧を測りに来ていたのです。
 そうか、夢だったのかと思いましたが、どこからどこまでが夢なのかは、今でも分かりません。
おわり
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奇談(第3話)「白い猫」
 皆さんはペットを飼おうとして、犬か猫か迷った場合どうされます。
 私は断然、犬ですね。犬はペットに限らず様々な方面で活躍しています。例えば盲導犬、警察犬、麻薬探査犬、災害救助犬などなど。
 それに対して猫はどうでしょう。
 昔はネズミを捕るために、猫を飼う家庭が多かったと思いますが、現在はネズミ退治の目的で猫を飼う人は、殆どいないと思われます。
 かつて、ある国の主席が「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ」と述べたそうですが、私の周りでは、ネズミを捕る猫など聞いたことがありません。従ってその主席の言葉を借りれば、ネズミを捕らないため悪い猫ばかりになってしまいます。
 また、盲導猫とか警察猫なんて聞いたことがないですし、そもそも、日本語入力システムのATOKの辞書には「盲導犬」は登録されていますが「もうどうねこ」は登録されておらず、無理に変換すると「妄動猫」や「盲動猫」になってしまいます。
 それでは、なぜ猫はペットとして飼われるのでしょうか。これは言うまでもなく可愛いですし、人間の思い通りになるからでしょう。
 ところで、私の自宅の付近では、野良猫が住み着いているのですが、飼い猫と違って目つきが悪いのです。
 また、花壇や野菜畑は猫の糞尿だらけになりますし、クルマのボンネットは、爪で傷を付けられるため家族が迷惑を受けているのです。


 さて、私がまだ5歳くらいの頃のお話です。
 札幌市中央区の自宅の前は電車通りで、すぐ近くには路面電車の停留所があり、いま住んでいる西野の高台では考えられないほど、交通の便が良いところでした。
 当時、私の自宅は店舗兼用共同住宅でした。そのうち1戸は電気屋に貸しておりましたが、何故か2~3年で店じまいしてしまいました。
 やがて、私の自宅は電気屋の方に移ることになりました。
 しばらくして、うちに下宿していた私の叔父が、そこで電気屋を始めることになったのです。
 何故、叔父が私の家で電気屋をやることになったのかと言いますと、私の父は鉄道公安官であったため兼業ができなかったのです。その為、名義は叔父で、私の母が店番などをしておりました。
 居間と店舗は、ガラス戸で仕切られていましたが、お客さんが来れば、すぐに分かりました。
 電気屋と申しましても、当時の電化製品は、真空管ラジオと電気蓄音機、略して電蓄、そして電気アイロンくらいで、テレビや電気洗濯機、電気冷蔵庫などは、まだ普及していませんでした。
 昔の、電化製品は壊れやすいものばかりでしたので、修理業という商売はうまくいっていたようです。例えば、電蓄やラジオの真空管交換、アイロンのヒーター交換、また住宅の蛍光灯や白熱灯の取付けや電球の交換などは、かなりの収入になったようです。

 本題に入ります。ある夜、屋外に置いてあった自転車を店舗に入れて、店じまいしてからの話です。
 夜9時を回った頃、居間から店舗の中を見ますと、誰もいないのに自転車の車輪がカラカラカラと回っているのです。
 よく見ると、白い猫が自転車のペダルをクルクルと回しながら遊んでいるように見えるのです。
 いつ店舗の中に入り込んだのだろうか、と思いながら、ガラス戸を開けてみたら、ネコの姿はどこにも見あたりません。
 しかし、ガラス戸を閉めたら、また自転車のペダルを回す白いネコが見えるのです。白い猫を見たのは私だけではなく、両親や叔父も同様に見ているのです。
 特に母親は大騒ぎでした。そして、もう一度ガラス戸を開けて店舗内を見渡しましたが、やはり白いネコはいません。
 今度は、店舗側から居間を眺めてみました。
 すると、ストーブの側に白っぽい干し物が干してあり、暖気の影響なのかヒラヒラと揺れておりました。
 母親はとっさに、白いネコの正体は、この干し物かもしれないと判断し片づけました。
 白いネコの正体は、やはり白っぽい干し物だったのです。
 つまり、その干し物が、店舗に置いてある自転車と合成されてガラス戸に映り、白いネコがペダルをクルクルと回しているように見えたのです。
 しかし何故、犬ではなく、白いネコと決めつけたのでしょうか。
 その理由はこうです。
 非番で休みだった父親が、白い野良猫を捕らえて虐待したらしいのです。 その光景を母親が見ており、大変気にしていたそうです。
 あまり気にするので、ガラス戸に写った干し物が、白いネコに見えるという結果になったのでしょう。
 翌朝、自宅の花畑に、花を見に行った時、白い猫の遺骸がありました。
それを見た私は、やはり昨晩の白い猫は、亡霊だったのかも知れないと、背筋が凍る思いをしました。
おわり
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奇談(第4話)「賀老橋」
 私が子供の頃(昭和20年代)、母の実家はブナ北限の里で有名な黒松内町(当時、黒松内村)にありました。
 黒松内町は、ニセコ町(当時、狩太村)から、車で50分くらいのところで、町の中央を朱太川という大きな川が流れており、夏から秋にかけて、サケやマス、ヤマベやアユ、そしてヤツメウナギなどが収穫できました。
 市街地から2キロくらい離れたところの中里地区賀老橋(がろうばし)という名の橋がかかっており、橋の上から朱太川を見渡すと、子供たちの元気な歓声が聞こえ、楽しそうに河原で魚を取ったり、泳いだりして遊んでいる光景が目に入りました。
 賀老橋を渡り、坂道を少し上がったところに母親の実家がありました。
町に出るときも、近所の家に行くときも、この賀老橋を渡って行きました。


賀老橋

 当時は電気がなく、照明はランプなので、夜になると、ほんのりとした明かりが、幻想的に居間を照らしていました。
 住宅は農家造りで、玄関は広い土間になっており、中央に長い廊下があり、向かって右側に居間と子供部屋、左側に寝室と大きな座敷がありました。
 トイレには、居間と子供部屋の間の廊下を通って行きますが、薄暗くて気持悪かったため、その前まで行っては、用を足せないまま居間に戻り、母親にトイレの前までついて来てもらったのを思い出します。
 ある夏の日、私は賀老橋を渡って、近くの知り合いの家に行こうとしましたが、街灯がないため周りは真暗闇で、おまけにゲロゲロゲロゲロと耳を裂くような沢山のカエルの鳴き声で薄気味悪く、途中で引き返したこともあります。
 賀老橋の反対側には砂崩れという場所があり、放牧している農耕馬が、崖から落ちて死んでいたという話も聞きます。
 また、祖母が「街に買い物に行く」と家を出たと思ったら、すぐに帰ってきたことがあったそうです。
 それは、街に向かって歩いているつもりが、いつの間にか家に戻っていたそうで、祖母は「狐に化かされた」と青ざめた顔をしながら話したのを思いだします。



 また、賀老橋に関わる奇談がありました。
 それは、ある村の子供が、賀老橋の上から、野良ネコを朱太川に投げ捨てたことがあったのです。その日から、その子の様子が変わりました。
 それは、毎日、夜になると、賀老橋から投げ捨てたネコの霊が乗り移ったかのように、寝室を歩き回ったり、壁をよじ登ろうとしたそうです。
 その子の両親は、我が子が、何かの病気にでもかかったと思い、病院で診てもらったようですが、特別異常はないと言われたそうです。
 しかし、その後も毎晩、猫のように部屋中を歩き回るため、その子の両親は祈祷師の所に連れていきました。
 祈祷師は「柳の枝を枕の下に入れて寝かせなさい」と言ったそうです。
 両親は、毎晩、我が子の枕の下に柳の枝を入れて寝かせました。
すると、いつの間にか、部屋中を歩き回ったり、壁をよじ登ろうとすることはなくなったと言うことです。


朱太川

 現在、賀老橋の上から朱太川を見渡しても、河原で遊ぶ子供達の姿はありません。ただ、川の流れる音だけが、懐かしく聞こえてくるのです。
おわり
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自分は不遇か
 私は、もし自分が不幸にみまわれた時、次のように考えて、そういう人達よりも恵まれているのではないかと自分を励ますようにしております。
自分は不遇だと思っていても、世間には恵まれない人々が大勢おります。
 例えば、会社の倒産やリストラなどで職を失った人達。
 現代医学でも原因が分からない難病に冒されている人々。あるいは目が見えない、耳が聞こえないといった身障者の人々。
 そういう人たちが抱えている悩みと比べれば、いまの自分の悩みなど、ぜんぜん軽いものであると思うのです。
 

[不可思議] 日本上吊聖地(富士山樹海)
※這篇口味比較重一點,請未滿18歲的同學先迴避
 このように世間には、いろいろと悩みを抱えた人達が多いと思いますが、そういうときこそ人間の真価が発揮されるときと思います。
 まずは、健康が第一。
 「病は気から」何事も、あまり深く考えない方が良さそうです。
おわり
目次
別れと出会い
 私の若い頃は、道庁、市役所、新聞社や電気店など、いろいろな職場でアルバイトをしてきたのですが、入る時よりも辞めるときの方が辛かったという思い出があります。
 ドカタなどの肉体労働以外は何でもやりました。その中で、一番、想い出として残っているのは、電気店でのテレビやラジオ修理です。
 当時(昭和30年代)は「真空管式のテレビ」でしたので、テレビが正常に映らない場合は、真空管の交換で殆どのテレビは直りました。
 また、その頃はステレオも出始めでしたね。
 テレビを一台直すと修理代が当時(昭和30年代)のお金で2000円くらいになりました。
 現在、テレビの修理代は、その10倍くらいはかかりますので、買い換えたほうが得かも知れませんね。

北海道庁赤レンガと池
結婚記念日(10月17日)に撮った写真です。
 人生は、生まれるときは出会い、死ぬときは別れですね。やはり、これも別れの方が辛いと思います。
 人間の死亡率は100%ではありますが、今まで元気に過ごされていた人が、いつの間にか亡くなると言うのは、本当に辛いですね。
 しかし、何れは自分の番が来るでしょうから、今から心の準備をした方がよいのかも知れません。
おわり
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ストーブが恋しい季節が到来
 今年の夏は本当に暑かったですね。本州では、30度以上の真夏日が続いたためエアコンがフル稼働だったようですね。
 本州の場合、冬場でもエアコン暖房を行うと、エネルギー源は電力ですので、灯油代と比べ電気代が莫大でしょうね。
 北海道の暖房は灯油が主流ですが、住宅には断熱材をふんだんに使って、住宅全体が魔法瓶のようになっておりますので、それほど灯油代が気に掛かることはありません。
 しかし、灯油は年間、ドラム10本(約2000リッター)は焚きますので、年金生活者は、室温を下げて灯油代を節約しなければなりません。
 特に今年は円安と、シリア、エジプト情勢の悪化により、原油が更に高騰していくことが予測できますので、出来るだけ灯油の消費を押さえなければ家計を圧迫してしまいます。
 昨年は、室温を20度程度に抑えたので、ドラム缶にして約2本分も節約できました。室温20度というのは、少し厚着をしないと肌寒い温度です。
 我が家は、築35年になりますので、新築の家と比べますと、やはり断熱効果が劣ります。老後のことを考えると、新しい家が欲しくなります。
 しかし、これから家を建てられる経済力も気力もありませんね。
 こういう時は、夏は比較的涼しい北海道に住んで、冬は暖かい九州・沖縄のほうに住めるだけの余裕が欲しいものです。
富士通ゼネラル
温水ルームヒーター「ホットマン®
自宅の老人(母親)室に設置した
温水暖房機(ホットマン)
室内で火を使わないので安全です。

 いくら狭い日本と言いましても、距離にして、端から端までは約2千キロもありますので、そう簡単には移り住めないと思います。
 もし永住するとしたら、日本列島のほぼ中央に位置する仙台市当たりが住み心地がよいと思われます。しかし、いまは福島第一原発事故による放射能汚染と相次ぐ地震が心配ですね。
 九州、沖縄そして四国は台風、一方、東北と北海道は雪害。
 このような現実を見ますと、日本には安全なところが少ないようですね。
 今年は、北海道の夏も暑かったですね。
 札幌でも、30度以上に気温が上がった日が、一週間くらいはあったと思います。
 我が家にはエアコンがないので、そういう日には、部屋の窓を全部開けっ放しにして、風通しを良くするしか方法がありません。
 また、温めの風呂に入り、外で夕涼みをすると結構涼しくなります。
 あとは風鈴の音で、涼しさを感じるしかないでしょうね。
 9月に入りますと、朝晩冷え込むようになります。
 いよいよ、ストーブが恋しくなる時期になりました。
おわり
目次
人口問題は婚期の問題か
 私のような団塊の世代でも、若年結婚した人もいれば、高齢結婚する人もいます。現在は30代に結婚するカップルが多いと聞きます。
しかし、30代も後半になると高齢出産になり、何かと問題が生じます。
 現在の人口を維持せよ!とは申しませんが、人口が少なくなれば、国民生産性も落ち、国勢にも影響を及ぼします。
 かつて、女性が結婚相手を決める基準は「家付きカー付き(クルマ付き)、ババ抜き(姑抜き)」とよばれてきましたが、その後、バブル全盛期には「3高」が基準となりました。
 つまり「高学歴(大卒以上)、高収入高身長」の男性であることが最大の条件でした。現在は、イケメンであれば良いのかも知れません。

婚活・結婚おうえんネット(北海道版)
 是非、良き結婚相手を探されることを願っています。しかし、女性が幸せになる条件としては、やはり結婚相手の収入(経済力)になるでしょう。
 さて、我国は、21世紀前半に、完全に高齢化社会となり、その頃になると高齢者を支える勤労者が減少するため、もはや年金や福祉に頼ることはできないと推察できます。
 ある統計学者の調査によりますと、少子化の為、200年後の我が国の総人口は、僅か6人になるそうです。
 自分の生活の維持は、福祉行政に頼ることはできないということを、今から覚悟しておいたほうが賢明かも知れません。
 その対策の為には、地方の安い土地(北海道の場合、数千円/坪)を買って、芋やトウモロコシでも栽培しながら、自給自足をするのも一つの方法です。地方は空気がよいので、長生きもできるでしょう。
おわり
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スタッドレスタイヤの”誇大宣伝”
 北海道には、もうすぐ、厳寒の冬がやってきます。
テレビでは、スタッドレスタイヤの”誇大宣伝”も始まりました。
 その宣伝文句「アイスバーンやツルツル路面にネバル」とか、「スタッドレスは効くのが一番」、「乾いた氷は滑らない」とか、スタッドレス化の仕掛人でもあるタイヤメーカーがよく言いますね。

水面ではありません。これは道路です。交通量の多い交差点などで、
クルマの発進・停止によって磨かれてできるミラーバーン
 また、ブリザックやガーデックスは、私も以前、履いた経験がありますが、横滑りに弱く、酷いものでした。
 役所も役所です。節電の為にロードヒーティングを停止して、道路整備もしないで「ツルツル路面を放置」するような道路管理を続けています。

一見濡れた路面に見えるが、日中溶けた雪が、
夜中に再び氷ったブラックアイスバーン

Car Watch
 かつて、後付の「金属ピン」という滑り止めがありましたが、その金属ピンを使用しているドライバーの約70%が女性だったそうです。
 しかし、スピードを上げると、どこかに飛んでいってしまう金属ピンですが、まあ圧雪アイスバーンでの、運転が未熟な女性ドライバーには、おまじないのようなものだったのでしょう。
ちなみに、スパイクタイヤが許可されている車両は
「特別にスパイクタイヤの使用が許可される自動車 緊急自動車」
 ■公安委員会に届けられた除雪車
 ■道路運送車両法の適用除外の自衛隊車両
 ■災害時の緊急輸送車両
 ■身体障害者手帳、戦傷病者手帳を持つものが運転する自動車
スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律
おわり
目次
DISCOVER北海道
 本州の旅行者が東北に旅する時、仙台まで来ると、青森まではもうすぐ、と錯覚する人がおりますが、これは大違いで、東京から仙台よりも、仙台から青森の方が遠いのです。 
 我々の祖先は、東北を大昔から「陸の奥」と書き、”むつ”、または”みちのく”と読みました。
 【みちのく】とは道の奥であり、はるかに遠い国であることをしめしていました。仙台も青森も同じ陸奥の国であったため、仙台が東京より青森に近い感がするのは無理からぬことでしょう。
 北海道は、その遠い【陸の奥】からさらに海峡を越えて行くのですから、地の果てに行くようなものです。その昔、朝廷に反抗した者たちが住む場所と言われていました。
 北海道は、それらの者が住む場所と考えられ、蝦夷(えみし)の国と呼び、蝦夷(えぞ)と音読したのです。
 それが、子々孫々に語り伝えられ、現在になっても、北海道は遠く寒い所だとの感が残っていると思います

シャクシャイン像
コシャマインの戦い・シャクシャインの戦い
 日本の歴史を覗くと、西暦700年代の律令国家の時代には、西はすでに大路が九州の太宰府まで通じていたのに、東はようやく中路が、仙台から山形県の遊佐まで通じており、小路が衣川の少し北まで開かれていただけで、それから先は蝦夷征討の軍が往来するような始末でした。
 このことは近年まで尾を引き、特に海をへだてた蝦夷地は、中央文化の影響はなく、アイヌ人たちの文化が深く根をおろしていました。
 その名残は、いまも北海道のいたるところで見られ、地名、生活となって残っていて、本州の旅行者が北海道を訪れると、異なった地に遊ぶ思いをさせられます。
 また、都会に住む人間にとって、農村風景に接しますと、そこに古里を感ずることが多いのですが、北海道にはそれがありません。
 広大で雄大な原野の北海道では、こじんまりまとまった古里は感じないのです。いいかえますと、どこか日本ばなれしており、オホーツク海に面した紋別地方などは、シベリアのある地を訪れた思いがしてくるといわれます。

オホーツク海
紋別観光協会フォトライブラリー
 開発の遅れた地には、それだけ自然が残っているのは当然で、ましてや地味で、やせた土地の多い北海道は、やむなく開発を放棄されていたのもしかたがありません。
 しかし、北海道の開発も明治以後には進み、北海道はようやく百数十年をかけて、その基礎ができつつあります。そして、これからも大規模に開発されようとしています。
 しかし、日本の各地に見られるような野放図な開発を、自然を大切にすることを知った国民がもう許すはずはありません。
 開発という、うたい文句にのって、ほとんど自然をほろばしてしまった日本人にとっては、この北海道こそ、日本に残った唯一の大自然として大切に保存しようと努力することになります。
 だから、北海道はいつまでも緑豊かなネーチャーランドとして残ることになります。
 北海道の大自然は、豊かな緑や原野に咲き競う色とりどりの花ばかりでなく、日本を代表する野獣や野鳥に、こよない住処を与えています。

ヒグマの親子
 日本最強の猛獣であるヒグマや海獣トドがいるかと思えば、かわいい鳴き声をあげるナキウサギがおり、ゆうゆうとあたりを睥睨するオジロワシがいますし、端正な姿をしたタンチョウヅルや、端正美の化身と思われるオオハクチョウが舞います。
 川にのぞめば、産卵のため身体をすりあって、多数のサケがのぼってくるなど、大自然は惜しみなく彼らに楽しい日々を送らせています。このように北海道は日本ただ一つ残った大自然郷なのであります。
 最後に、北海道は味の宝庫といえるでしょう。そして豊かな産物は簡単な調理で、すばらしい味を発揮してくれるものばかりです。
 水産物としては、カニ、イカ、ホタテ貝、ウニ、コンブ、サケ、シシャモなど。原野のものはトウモロコシ、バレイショ、カボチャ、豆類があり、広い牧場からは牛乳やバターを始めとした乳製品がありますが、そのいずれもが簡単な調理で最高の味をだしてくれます。こんな所は日本では北海道を除いてほかにありません。

北海道「地名の起源」

オタモイ海岸(小樽市)
 北海道の地名は、アイヌ語から採ったものが殆どといってよいでしょう。函館付近には一部、和名のものもありますが、多くはアイヌの呼び名に漢字を当てはめています。
 たとえば、「積丹」は「しゃこたん」と呼びます。
その語源はアイヌ語の「サク・コタン」で、夏の部落(コタン)という意味です。
 アイヌ民族全盛のころ、春から夏、秋にかけて魚類に恵まれていた積丹半島にアイヌ人たちが漁労に集まったといわれています。
 このように、北海道には耳なれない響きをもつ地名が多く、時刻表や地図を見ても判読がむずかしいでしょう。
 次にいくつかの地名をひろって、その起源をご紹介しましょう。


アシリベツの滝(札幌市)
■ 札幌(さっぽろ)=「サリ・ポロ・ペツ」
 (葦原が広大な川)が「サチポロペツ」となり、下部が略されて「サチポロ」となり、さらに「サツ」(乾いている)に付会されて「サッポロ」になった。

■ 滝川(たきかわ)=現在の滝里をアイヌ名「ソ・ラプチ」
 (滝が並んでかかっているところ)といい、その意訳。

■ 旭川(あさひかわ)=市内を流れる忠別川「チュウ・ぺツ」
 (瀬の早い川)が後に「日の川」と解され「旭川」と訳。

■ 函館(はこだて)=昔は臼岸といいました。
 アイヌ語「ウス・ケシ」の転訛したもので「湾の下手」の意味。

■ 長万部(おしゃまんべ)=本来は「オ・シャム・ペツ」 
 川尻が横になっている川)でありましたが、シャマンベ(カレイ)を連想して「オ・シャマンベ」となり、川口付近にカレイ漁が豊富であったところからこの名がある。


ニセコアンヌプリ(蘭越町)
■ 倶知安(くっちゃん)=「クッ・サム・ウン ・ぺツ」
 (岩崖・のそぱ・にある・川)が語源。

■ 小樽(おたる)=「オタルナイ」すなわち「オタ・オル・ナイ」
 (砂浜の中の川)から転訛。

■ 室蘭(むろらん)=「モ・ルエラニ」
 (小さい・下り道)の意。

■ 苫小牧(とまこまい)=「ト・マク・オマナイ」
 (沼・奥・にある・川)の意。

■ 稚内(わっかない)=「ヤム・ワッカ・ナイ」
 (冷めたい飲水の川)。
■ 釧路(くしろ)=「クッチャロ」
 (のどロ、すなわち沼口)。

■ 根室(ねむろ)=「二ムオロ」
 (樹木の茂ったところ)から出たものといわれていますが、一面「メム・オロ・ぺツ」(湧壷・そこにある・川)から転訛したと思われます。

■ 松前(まつまえ)=「マトマイ」すなわち「マツ・オマ・イ」
 (夫人のいるところ)。


松前城(松前町)
■ 磯谷(いそや)=「イショ・ヤ」
 (岩島)。

■ 美国(びくに)=「ポク・ウン・イ」
 (下のところ)。

■ 古平(ふるびら)=「フレ・ピラ」
 (赤い崖)。

■ 忍路(おしょろ)=「ウショロ」
 (湾)。

■ 高島(たかしま)=「トカリ・シュマ」
 (水釣の岩)。

■ 石狩(いしかり)=「シシカリ・ぺツ」
 (非常に曲がった川)。

■ 留萌(るもい)=「ルルパ・オ・ぺツ」
 (海の南端の川)。

■ 宗谷(そうや)=「ソー・ヤ」
 (岩岸)。

■ 利尻(りしり)=「リイ・シリ」
 (高い山)。


積丹海岸(神恵内村)
 などで、現在の地形とくらべて考えるとたいへん興味ぶかいでしょう
おわり
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お布施・禅宗(曹洞宗)の場合
 例えば戒名ですが、僧侶に「院号」を希望したら、字数や文字にも依りますが、50万円以上は要求されます。
 戒名に[]という文字が入ると100万円を越えます。
 ちなみに、私の父親の戒名は[善覚院 徹山 勝元 居士]です。
]という文字が入らないため、比較的に安く上がりました。
 ところで辞書によると「院号」とは、

 (1) 上皇・皇太后・准母などの尊号。
 (2) 貴人の建立した寺院の称号。また、その貴人の称号。
 (3) 死者の戒名につける「院」のついた称号。
 (4) 年功を経た修験者(しゆげんじや)につける称号。

 などと解説されておりますが、偉人や賢人に与える称号なんですね。
世のため、人のため」にならなかった死者の戒名に、院号など必要ないと思うのですが。やはり、院号は死者のためではなく、寺や僧侶のお布施のためにあるようなものでしょうね。
 父親の葬式費用は、軽く200万円を超えました。
 墓所も約200万円 [私が建立した頃(1988年)の価格]。
 その他、お布施、仏壇仏具などに100万円、ということで、家族が一人亡くなると、最低でも「500万円」の出費は考えておかなければなりません。更に檀家になれば、臨時に数十万円、そして寺の増改築ともなれば、数百万円もの寄付(庫裡)を要求されます。
 北海道でさえ、これ位かかるのですから、首都圏では、倍の1000万円以上は覚悟しなければならないと聞いております。
 どこかに不老不死の妙薬はないものでしょうか。
 秦・始皇帝の気持ちが分かりますね。
おわり
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後遺症は忘れた頃に表れる
 私の母親は、40年ほど前に交通事故に遭いました。
全治3ヶ月の大怪我でした。当時、母が勤務する会社の同僚の運転で、交差点を横断中に、タクシー運転手が「こっちが優先だ!」と窓から顔を出して怒鳴りながら、わざとぶつけてきたということです。
 大怪我をしたのは、助手席に乗っていた母親だけで、もう一人の同乗者は無事でした。母親が入院中、タクシー運転手は、一度も見舞いにこないどころか、事故の責任を一方的に、母が同乗していた運転者のせいにされてしまったということです。
つまり警察はタクシー会社の言い分を100%認めて処理したのです。

タクシー絡みの交通事故
(本文とは関係ありません)
 そもそも、タクシー会社の事故係は、定年退職になった警察官の天下りが多いといわれていますから、裁判になった場合のために有利な証拠を集めており、また警察にも顔が利きますので、一般の運転手は太刀打ちできません。
 しかし、タクシーとバスとが衝突事故を起こした場合、タクシー会社の事故係がいくら頑張ったとしても、バス会社の事故係に対しては勝ち目がないと、あるタクシー運転手が話しておりました。

札幌市営バス
(本文のバスではありません)
 ある冬の日、妻が札幌市営バス(現在はJRバス)に乗っていた時の出来事です。
 札幌西区役所付近で、市営バスが、渋滞している片側二車線の市道を、無理に通り抜けようとしたところ、停車していたクルマと接触してしまったということです。
 その時、市営バスの運転手は、大声で「今の接触事故を見た人がいますか?」と、乗客に尋ねたそうですが、妻や乗客は、関わりたくないので黙っていたそうです。
 そして市営バスの運転手が、停車していたクルマの運転手に抗議している様子を、妻や乗客が車窓から眺めていたそうです。
 結果はどうなったか分からないそうですが、やはり、「今の接触事故を見た人がいますか?」と乗客に尋ねると言うことは、誰も見ていなければ停車していたクルマの運転手が悪いことにしてしまうのでしょう。
 ところで、母親の後遺症ですが、事故から40年経っても、首のあたりが痛むなどの症状があるようです。後遺症は忘れた頃にやってきます。
おわり
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生と死と
 積丹半島、古平町の豊浜トンネル崩落事故(1996年2月)から17年が経過しました。事故発生当初から、トンネルと道路を管理する開発局の対応の鈍さと、福島第一原発事故と同様に「事故の予測はできなかった」、という責任逃れには呆れていましたが、彼らには、犠牲者の無念さや、家族を失った親や親族の気持ちは通じないのでしょうか。
 崩落事故の予測ができようができまいが、開発局、つまり国には管理者としての責任があるのは当然です。
 そもそも、火山灰が固まった崩落しやすい地質の断崖絶壁の下にトンネルの出入り口を開けること自体が危険な設計であり、安全管理を重視するならばそのような工法は避けなければならなかったのです。
豊浜トンネル崩落事故現場
この事故は忘れない 風化させてはいけない

 ここで、生と死について 考えてみましょう。
 死亡の要因は様々ですが、一般的に「病気で死んだ」とか「交通事故で死んだ」、「トンネルの崩落事故で死んだ」、「戦争で死んだ」などといいますが、本当は「死ぬ」ということと「殺される」ということとは、区別して考えるべきだと思います。

崩落事故慰霊碑
 つまり、「戦争で死んだ」とか「交通事故で死んだ」「トンネルの崩落事故で死んだ」「薬害エイズで死んだ」ことは、実際は「殺された」ことであると思います。
  例えば、病気で死んでゆく場合も、多くは「病源菌によって無理やりに殺された」ことであります。
 事故でもなく、病気でもなく、「老いて自然に死んでゆく」、その自然死老衰」こそ、本当に死んだということであると思います。
 しかし、自然死よりも、病死や事故死が圧倒的に多いのが現実です。
死の恐怖におびえ、生と死の問題を問題にせずにいられないのには、原因があります。
 最大の原因は、自分が事故やテロ、あるいは薬害や戦争によって、いつ殺されるか分からない世の中に生きていることにあると思います。
 この社会には、死の恐怖を生みだすような危険が山ほどあります。
人間は、なによりも生命の不安をいちばん鋭敏に感じます
自分がそれを感じていると意識しなくとも、その意識以前の状態で、反射的にそれを感じます。言いかえれば、からだで死の恐怖を感じます

平和祈念公園(okinawa)
からだで感じたこと」が意識を襲って、死の恐怖という観念をつくりだします。生命の不安を感じさせるものには、事故や病気そして戦争などがあります。これらが最大の恐怖の原因となります。
 直接、それを経験しなくても、話にきいただけで、それは死の恐怖の原因となります。
 また、災害、失業、生活苦、全て、身体で生命の不安を感じさせる事情になっています。死を恐怖する感情は、いつ、どこで、自分の意識を襲うか全く決まっていません。わけもなく、いつでも心を襲います。
 それは意識以前に、この身体が反射として、あるいは本能として、生命が危険を感じているからです。
 それでは、死の恐怖から逃れるにはどうしたらよいのでしょうか。
一つは、生命を神仏にまかせてしまう事です。そうすると、自分の生死が他人ごとになってきます。そういう道もあります。
もう一つの道は、生命を脅かす一切の危険を現実に、この世界からなくすことです。
 戦争が、もう二度と起こらないようにすること、原水爆の実験や原子力発電も止めさせるようにすること。その結果、戦争、テロ、薬害、原発事故を無くすことができる、そういう政治や社会をつくりだすことであります。
 また病気については、医学を発達させます。
そして、充分に予防や治療措置ができるような世のなかをつくることであります。例え、そういう世の中が来なくても、そういうことが出来るのだという自信が生まれてきますと、死の恐怖は少なくなってゆくと思います。

世界のテロリスト
 自分がいつか殺されるというのに、そういうことを前にし、安心して「悟り」をひらいているようなことは、一見偉そうに見えますが、自己の生命にたいする侮蔑であると思います。
 宗教において、生死を超越するなどというのは、生命を軽く考える思想であります。
 人間にとって一番大切なものは生命であります。
その生命の不安にたいして恐怖と思うことは、人間として自然のことであります。それを恐怖と思うからこそ平和が生まれ、科学の発達も推進されてきます
 しかし、殺されることが全く無くなったとしても、人間には避けられない自然死ということがあります。つまり人間の死亡率は100%なのです。
 仏教では「生者必滅」(生きているものは、必ず死ぬ)といっています。そうして仏教は、生きることと死ぬことの、この二つのことを並べて、この二つの重さを等しいと見ています。
 説法では、生まれることをプラス5とし、死ぬことはマイナス5として、プラスマイナスして、人生をゼロとしています。
死とは、人生をゼロにする」というのです。はたしてそうでしょうか。

釈迦如来像
 生物は、よく発達した高等なものになるほど、生と死がはっきり分れています。下等な生物ほど、自己分裂をしたりして、生と死がはっきりしていません。下等なものの繁殖がすなわち死です。
 しかし、死とはなんであるかという死の本質は、下等な生物に最も単鈍なかたちであらわれています。
 生物にとって死とは繁殖であり、より発達した生をつくりだすことであります。死は生の否定のようですが、もともとは「死は、より大きい生の肯定」であるのです。
 一粒の麦は、みずから死んでゆくことによって、何百粒の麦をつくりだしてゆきます。つまり、生きているから死ぬのではなく、自分より以上の生をつくりだすから生物には死があります

麦畑
 バイ菌のような下等な生物は、親が子どもを育ることがありません。
 そのために繁殖をしても、その成長は不確実となります。
哺乳動物のようなものになりますと、親が子どもを守りながら育てます。
そうすることによって、その繁殖は確実となります。その間、親は生きています。そして、その親がやがて死んでゆきます。
 死の意味を考えるについて、重要なことは、生を自分ひとりの孤立したものとして見ないことであると思います。
 生は、孤立しては成りたたず、連続した流れの中に、自分の生は成りたっているからです
おわり
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輪禍の三要因
 連日、悲惨な交通事故が多発しております。
 しかし毎度の事ながら、警察の原因調査によって、ドライバーの「わき見運転」、「スピードの出し過ぎ」、「ハンドル操作の誤り」などの理由で処理されてしまい、しかも総てドライバーの責任にされてしまう場合が多いのが現実です。
しかし、それでは、国道や道道、市町村道の各所に設置している事故多発地帯の看板に矛盾があると思います。つまり「交通システム」にも事故の原因があるのは当然です。
 スピードを出し過ぎても事故を起こさないドライバーと、スピードを出さなくとも事故を起こすドライバーが存在するのは何故でしょう。
事実、時速40km以下での事故が最も多いのをどう説明するのか。
警察は、交通事故をドライバーだけの責任として簡単に処理してはいないのか。これでは、いつまで経っても輪禍は減らないし、逆にドライバーやクルマの増加により輪禍が増え続けるのは違いないのです。
 かつて、NHKの交通事故防止キャンペーンにおいても「危険なのは、クルマではなく、運転するドライバーである」と印象づける放送をしていました。また、「時速40kmではカーブを曲がり切れても、時速50kmでは曲がり切れない」などと「速度のみを基準」として事故を起こす確率を判断しているから呆れてしまいます。
 クルマというのは、1人乗車と4人乗車車高や形状路面や気候など、あらゆる条件で、ドライバーの運転操作とその結果(速度や方向など)に至るクルマの特性、つまり伝達関数などのパラメータが変わってしまうのです。
 たとえば速度だけではなく、クルマの重量によって、例えば、1人乗車ではカーブを曲がり切れても、4人乗車では曲がり切れない場合もあります。
 北海道では、これから冬季になるとスリップ事故が多発します。
いわゆる冬型事故です。そして、いつも犠牲になるのは、老人や子供などの交通弱者なのです。道路管理者は、それが分かっているにも関わらず、何故スリップ事故対策をしないのか非常に疑問です。
 たとえば事故多発地帯を融雪剤やロードヒーティングなどで整備すればスリップ事故が減少するのは当然です。
 スタッドレス化による「ツルツル路面」や「アイスバーン」は、いくらタイヤの性能が良くても、タイヤの形状自体がその原因になっているため「交通システム」の改善をしない限り絶対に解決できません。
 以上のように交通事故は「ドライバー」と「クルマ」そして「交通システム」の三要因が重なり合って起こるのです。そして冬期においては、夏場以上の「予見運転」が要求されるというわけです。


■若年ドライバーと高齢ドライバー の過渡特性
 若年ドライバーはスピードの出しすぎによりハンドル操作を誤り事故を起こし、高齢ドライバーは、ノロノロ運転である、という認識が多いようですが、これは若年と高齢ドライバーの対称的な特徴ではなく、実は共通点なのです。
 スピードの出し過ぎと、ノロノロ運転がなぜ共通点かと言うと、若年と高齢ドライバーの共通点として挙げた次の3点の中の[2.過渡特性や定常特性が劣る]に該当するからです。
1.予見能力が低い。
2.過渡特性や定常特性が劣る。
3.協調性が低い。  

 過渡特性や定常特性が悪ければ、クルマは不安定になり、危険な状態に陥るか、あるいは応答が非常に遅いために、危険回避が不能になるわけです。


 前者は若年ドライバーの無謀運転後者は高齢ドライバーのノロノロ運転に該当します。
 スピードを出さない高齢ドライバーが事故を起こすのは、1、2、3全てに該当するわけですが、2について検討・吟味すれば、そのわけが分かります。つまり、過渡特性が劣るため、危険回避のための敏速な操作が出来ずに事故を起こすのです。
 たとえば、乾燥路面において40Km/hで走行しているクルマを、危険回避のために停止させる場合、普通であれば15メートル前後(夏場)で停止できます。
 しかし高齢ドライバーの場合は、この距離が非常に長いのです。
高齢ドライバーは、危険を認識してブレーキ操作を行うまでの時間がかかるため空走距離が長く、更に足腰の力が弱いため、十分なブレーキ操作ができません。そのために制動距離が長くなります。
 他車が追い越しをかけてきて、すぐ割り込まれた場合、過渡特性が優れていれば敏速に危険回避ができる場合が多いのです。
 しかし、それ以前に1.の[予見能力が低い]ことも原因になっているのです。追い越された場合、割り込まれるかどうか[予見]できなければ、非常に危険です。
 また、高齢ドライバーの場合、60Km/hの公道を、危険な状態でもないのに20~30Km/hで走行する自体が問題なのです。
 以前、右翼の街宣車が、230号線を定山渓から札幌市南区の石山あたりまで、時速5km/hの超ノロノロ運転で走行し、渋滞を招いたとし道路交通法違反で検挙されたことがありましたが、1、2の他に3に挙げた[協調性]も重要なことなのです。

■「死角」、目だけに頼るのは事故の元
運転席から見えない外界の範囲を死角」といいます。
しかし「目で見える物だけが存在するとは限りません」。
逆に、「目では見えないからといって存在しないとも限りません」。
 例えば、目で見える蜃気楼はその場には存在しません。あるいは、何らかの原因で、幻覚状態に陥ると存在しないものまで見えてしまうといいます。
 ここで、目では見えない、又は見え難い例を挙げます。
例えば、”薄暮”では、歩行者や対向車が見え難くなります。また、対向車のヘッドライトが歩行者を照らすと、自分のクルマからは、その歩行者の影しか見えなくなることがあります。つまり視覚というものは如何に、いい加減なものかを考えなければなりません。
 次に、「死角」を見ようとする場合にも「予見能力」と「的確な状況判断」が必要なのです。もちろん視覚や聴覚、臭覚、触覚も必要です。
 発車寸前のクルマの前後左右の「死角」は、乗る前にクルマの周りを一巡すれば、安全かどうか大体の見当がつくものです。
 もしクルマの周りで子供が遊んでいれば。一言注意をすればよいのです。
更に、クルマを安全に発車するための初期速度は、2~3Km/h(ほぼ子供の歩行速度)とします。
 この状態でクルマが2~3メートル動いてから本格的に 加速します。
 見通しの悪い交差点では、できる限り減速したうえ、センターライン側に寄ります。
 交差点に差し掛かったときには、クラクションを軽く鳴らすのも一つの方法です。夜間走行の場合は、ヘッドライトをパッシングなどで一時的に明るくするなどで「死角」があっても安全確認の方法があるはずです。
 ドライバーが適切な「予見能力」を備えれば「車の陰から歩行者がでてくる」、「親子が道路を挟んで会話をしていたら子供が飛び出す」、「犬や猫が走ってきたり、サッカーボールが転がってきたら、子供が追っかけてくる」などの予見は誰にでも簡単に出来るものです。
 次に、「協調性」とは、「お互いに調和すること」であり、相手があるからこそ「協調性」という言葉が成り立つのです。
 安全走行やクルマの流れを乱すような「無理な割り込みをしない」、「暴走運転や低速運転をしない」などという基本的なマナーが「協調性」なのです。
 しかし「安全運転していますよ」とノロノロ走っている車に限って、信号無視や標識無視、あるいはウインカーをあげないドライバーが多いものです。困りますね。
おわり
目次
保険勧誘「アポなしでやってくる非礼さ」
 アポ(アポイントメント)無し勧誘の最たるものが生命保険の勧誘です。
自宅に来るのならまだしも、勤務先の研究室にまでやってきて、アンケートと称して、氏名や年齢を聞き出そうとします。
 そもそも、アンケートに氏名など必要でしょうか、と思いつつ、私の場合、毎度の事で慣れているので、適当に記入するようにしています。
 数日後、保険勧誘員は、さりげなくバイオリズムなどを載せた資料を持ってやってきて、アメやお菓子を置いていく場合もありました。
 そして次にやって来たときは、確実に生命保険の勧誘です。
最初に聞きだそうとする台詞は「いま何か生命保険にお入りですか」と、ほぼ決まっていましたね。
  ここで、「○○生命に入っていますよ」と言っても、掛け金などを聞きだし、あと、どの程度の保険に入れるかなど、支払能力を掴んでいるため、入りたくなければ答えないほうがよいと思います。
 つまり、収入の何パーセントは、生命保険を掛けられるとふんでいるので、まだ余裕があると判断されたら何回でも、保険勧誘員はやってくるのです。
 生命保険を断る例として「先日まで高血圧で入院していました。現在でも血圧が180あります」という必殺技があります。
あるいは「現在、心臓病で通院しています」と答えておくと良いでしょう。これで、アポなし勧誘の被害から自分を守れると思います。
 ところで、私が、最初に入った生命保険は、朝日生命でした。
 私の母の従姉妹が生保勧誘員をしており、わざわざ研究室まで来たので、断れなかったですね。おまけに「お嫁さんを紹介してあげますよ」とまで言われました。これは「小さな親切、大きなお世話」ですね。
 結局、朝日生命には三年後、生命保険の解約を電話で連絡して、保険料の支払いを停止しました。ところが、朝日生命は「解約払戻金」の方から、私に何の連絡もせず保険料の未払い分を補填するというトンでもない行為に出たのです。
 そのため私は、朝日生命の札幌支社まで行って抗議をしましたが、結局、「解約払戻金」が保険料の3ヶ月分くらい目減りしていましたね。
 その次に加入したのは、住友生命でした。
 住友生命の保険勧誘員は「○○高校、担任教師からの紹介です」と言ってやってきました。私は高校時代、担任の先生に大変お世話になったので、断り切れなかったですね。
 しかし、私の月給が5万円の頃の保険料の1万円は大きいので、翌日、住友生命の札幌支社まで行って解約しましたが、払った1万円は返金されませんでしたね。その住友生命の言い分は「契約して1日後の解約は、期間が短い為、保険料の返金はされません」といった訳の分からない理由でしたね。このように、義理と人情で勧誘にやってくる場合が多かったですね。
 義理と人情以外では、事務部長の要請もありました。
当時(1974年頃)は、まだガン保険の出始めでした。
これは、アメリカンファミリー生命保険会社(アフラック)代理店の場合ですが、ガン保険の勧誘にきた担当者は、「○○事務部長からの要請です」と言うので、仕方なくガン保険に入りました。
 当時、事務部長の要請で、ガン保険に入った教職員は相当いたと思います。もし、生命保険に入りたくなければ、あらかじめ、断る理由を考えておくべきですが、義理や人情、上司の要請なら仕方がないかも知れませんね。
おわり
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ワンちゃんのお散歩
 我が家の周囲の市道は、ワンちゃんのお散歩コースになっています。
 道幅が広く、歩道も整備されているせいか、隣の町内からもワンちゃんを連れて散歩にやってくる、おばさんやおじさんが沢山居るのです。
 私がまだ大学に在職時の話です。
 毎日、午前6時半頃、出勤のため自宅を出るのですが、これは渋滞を避けるためと健康のためでした。しかし妻は、おさんどんのため、毎日午前4時頃には起きなければならないため、かなり疲れているようでした。
 さて、私がマイカーで自宅を出た時の事でした。
 いつものように、ワンちゃんを散歩させているおばさんが居たのですが、ワンちゃんは何を思ったのか、よりにもよって、道路のど真ん中でウンチをしだしました。
 これでは、クルマが通れないため、私はブレーキを踏みました。
 そして、ワンちゃんが一生懸命踏ん張っている、そのとき、飼い主のおばさんが首輪のヒモをグイグイと引っ張ったのです。
 私は、ワンちゃんが可哀想と思いましたが、これもワンちゃんの躾けかと思いつつ、困っているおばさんにも同情したわけです。途中で、ウンチを止めさせられたワンちゃんは、落ち着きがなく、あっちヨタヨタ、こっちヨタヨタしながら、飼い主のおばさんについていきました。
おわり
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1965年国勢調査
 私がまだ高校生の頃、1965年に国勢調査がありました。私は親戚の叔父の紹介により、北海道庁でアルバイトをすることになりました。
 当時、北海道庁の国勢調査の本部である企画部は、中島公園の池の畔にありました。12月も下旬だったので、公園の池は、良いスケートリンクになっており、若い職員は昼休みスケートを楽しんでいました。
 1月に入ってから、若くて可愛い女の子(当時、アイドルであった由美かおるにそっくりな女性)がアルバイトとして採用され、私と同じ係で仕事をすることになったのです。
 国勢調査の調査票は、各市町村から企画部に集められました。
 私達はそこで、必要事項が、調査票にきちんと記入されているかを確認し、誤記やマークシートなどを修正後、段ボール箱に詰め、総理府統計局(当時)に送る準備をしました。

由美かおる
(歌手デビューの頃)

由美かおる
 箱詰めされた調査票は、段ボール箱で数百個にもなり、倉庫の中に高く積み上げられました。
 最後は、荷札に差出人である北海道庁企画部の住所のゴム印を押す仕事でした。
 1日がかりで、私と女の子で荷札にゴム印を押して、ようやく終わった頃、深刻な顔をしながら主任がやってきました。
主任は私たちに、ゴム印に誤りがあると言うのです。
 そこで私は、ゴム印を押した荷札をよ~く見ると、差出人の都道府県名が北海道」ではなく「北道道」となっていたのです。
 私と女の子は呆気にとられました。
 主任は「何百枚もゴム印を押していて、何故気が付かなかったの?」と言いましたが、私は「まさか、ゴム印の都道府県名が間違っているとは知りませんでした」と答えるしかありませんでした。
 そして私は「ゴム印を押し直しますか」と聞きましたが、主任は「ゴム印を作り直さなければならないため、もう締め切りに間に合わないから良いです」と残念そうに言い残して自分の席に戻って行きました。
 後から聞いた話ですが、都道府県名が「北道道」になっていても、総理府統計局に問題なく届いたようです。そもそも、これは誰の責任なんでしょうね。

 1.ゴム印を発注した主任の責任か?
 2.ゴム印を造ったハンコ屋の責任か?
 3.ゴム印を押した私の責任か?

  ....それは今でも疑問です。
 やがて、冬休みも終わり、アルバイトの女の子とも別れなければならなかったので、多少残念でした。
 ある女子大生もアルバイトに来ていたのですが、その子の昼食は、な、なんと牛乳1本でしたね。これでは、まともに仕事が出来ないだろうと思いました。
 また、その女子大生から「可愛い女の子と別れて寂しいでしょ?」などと、言われ、からかわれました。
 道庁で、アルバイトをしていて驚いたのは、どこかの宝石商のおばさんが、職員が勤務中であるなしに関わらず、堂々と事務室に入ってきて、宝石のセールスをしていたことでした。当時の道庁職員は、心が広かったんですね。
 1965年の国勢調査によると、当時の札幌市の人口は約80万人でしたが、それから48年が経過した現在、人口はその倍以上の190万人を突破しました。これは、1965年当時から110万人以上も人口が増えたことになります。
 北海道では過疎化が進み、道民の多くは、生活に便利な札幌経済圏に集中しています。
 統計学者の言によりますと、今後、20年以内に、道民の70%以上は札幌経済圏に集中し、また、その70%以上が65歳以上の高齢者になるとのことです。札幌市は将来、人口200万人の「巨大老人都市」になるようですね。
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気象予報士
  気象予報士の国家資格ができてから、NHKや民放の各放送局が競うように、若くて綺麗な女性気象予報士を登用させてますね。
 以前は、解説に間が開くわ、トチルわで、せっかくの天気予報も台無しだったのですが、年々、上手になりましたね。

気象予報士 半井さんの写真集を見つけました。
衣装代がかかりそうですね。
半井小絵 気象予報士
 かつて北海道の天気予報解説をやっていた、小島さんや佑川さんは、いま何をしているのでしょうね。
 ところで、NHKや民放による天気予報の放送時間は、殆どが同じ時間帯ですね。これには何か意味があるのでしょうか。
 どの局も気象台の発表を根拠にしていますので、内容は同じです。
 ただ、晴れのマークで、お日様やお星様の形が多少違うだけですね。
 なにか気象予報士の仕事の場を与えているようにも思えます。
 北海道の住民が、九州や沖縄の天気予報を聞いても、それほど役には立ちませんね。夏は暑くて大変だ冬は暖かくて良いなと思う程度です。
 テレビの報道番組も、どのチャンネル回しても、「金太郎飴」状態で、内容は殆ど同じです。民放は1局あれば十分です。
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コンビニ強盗対策
 検挙率が高いというのに、コンビニ強盗が減りませんね。
コンビニ関係者もたいへんなことと思います。なにせ、そこで勤務しているほとんどの店員は、低賃金で雇われているアルバイトでしょうから、怪我でもしたら割に合いません。
 また、命がけでアルバイトをするのも馬鹿馬鹿しいと感じている人も多いのではないでしょうか。
 コンビニ店の経営者から「危険手当」というのが出ているのならまだしも、まずそのような配慮はしないでしょう。
そのほとんどは「イヤなら辞めろ」と言うのが経営者の考えでしょうね。



 そこで「コンビニ強盗対策」なんですが、まず防犯カメラがあります。
 しかし、店の天井や壁から溢れるような数のカメラを取り付けても、犯人が覆面をしてたら、誰が誰だか全く分かりませんね。
 そこで、コンビニ強盗の時間帯は深夜か早朝と相場が決まっていますので、襲われると同時に自動的に店の電源ブレーカーを切れるようにしたらどうでしょう。
 犯人は逆上するかも知れませんが、今度はサイレンと警察官の声が入ったテープを大音量で流すのです。
 そして最後のトドメは「番犬の出番」です。逃げる犯人を追いかけさせて、ひるんだところを、駆けつけた警察官によって逮捕ということになればメデタシメデタシと思います。



 コンビニ強盗の犯人は、住所不定無職による犯行が多いようです。
 しかし、年齢20歳~30歳代くらいで、健康であれば、コンビニ強盗などしなくても、どんな仕事にでも就けると思います。コンビニの被害額、数万円位の強盗で捕まった場合、割にあわんでしょうね。
 道警の警部補も「コンビニ強盗は割に合わないと思いますよ。数万円強奪しても、すぐに使ってしまうから、またやらなければならないし、強盗は、罪も重いですからね。」と仰っています。
 私は、コンビニ強盗よりも、「殺人」のほうが割に合わないと思っています。その理由は、人間の死亡率は100%。必ず死ぬからです。
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第88回全国高校野球選手権大会
 第88回全国高校野球選手権大会は、早稲田実業が三連覇を狙う駒大苫小牧を再試合にて、一点差という小差で破り、夏の大会初優勝という結果になりました。駒大苫小牧のピッチャーは田中将大、早稲田実業のピッチャーは 斎藤佑樹で、息詰まるような投手戦は見応えがありましたね。
 早稲田実業の地元、東京都国分寺市では、三千人に上るファンが選手達を見ようと大フィーバーしているそうです。
 しかし、初優勝ということで嬉しいのは分かりますが、その相手は昔から雪のため、半年以上は土の上での練習が十分に出来ないと言われていた北海道のチームですね。それでも大フィーバーするほど嬉しいということは、東京地区のチームは、余程弱かったという証拠と思います。



 たとえば、1963年(昭和38)春の選抜35回大会の時です。北海道からは名門の北海高校が代表として甲子園の切符を手に入れました。
 大会が始まりますと北海高校は、日南高校(宮崎)、PL学園(大阪)、享栄商業(愛知)、早稲田実業(東京)といった立ちはだかる強豪をことごとく打ち破り、ついに決勝に進出しました。決勝の相手は下関商業(山口)でした。
 NHKのアナウンサーは、北海高校VS早稲田実業との準決勝の折、すでに決勝に進出を決めている下関商業の生徒に対し「北海高校と早稲田実業、どちらに勝って欲しいですか」と質問したところ、口を揃えるように「北海高校に勝って欲しいです」と答えていました。
 このように正規の選手以外でも、北海道のチームは弱いという印象を強く持っており、もし決勝に進出してきたら、いいカモに出来ると思っていたに違いないものと思います。案の定、北海高校は決勝戦にて、下関商業に10対0の大差で負けてしまいました。

北海高校野球部は永久に不滅です 激闘の記録 戦後編
 春の選抜35回大会において、話題という点で独占したのは北海高校でした。北海は決勝までの4試合が全て逆転勝ちでした。
 準決勝の早稲田実業(東京)戦では、大会新の6号となる吉沢投手による逆転サヨナラ・ランニングホームラン。さらには、大会タイ記録の一試合10盗塁も記録しました。
 それにしても、春の選抜35回大会で準優勝の立役者となった吉沢投手は、今はどうしているのでしょうか。彼の希望であった巨人軍に入ったというのは風の噂で知っています。
 旧北海中学(現北海高校)出身であった私の父は、「巨人になんか行かない方がよい、ピッチャーの潰し合いだからな」と言っていたのを思い出します。
 当時、父は国鉄職員であり、野球は国鉄スワローズ(現ヤクルト)のファンだったので、そのように言いたいのは良く分かります。
 当時のスワローズには、巨人キラーの名ピッチャー金田正一がいた時代です。
 それはそうと、何故、マスメディアは両軍の投手中心にしか取材しないのでしょうか。これでは英雄崇拝主義のように思います。
 野球は投手だけではできません。選手9人全員が力を合わせて、全力で相手チームに立ち向かわなければ勝負になりません。
夫婦も家族も同じです、チーム力が家族円満の秘訣です。
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ガソリン価格高騰
 「生活必需品」のガソリン価格が高騰しているというのに、なぜ法律でそれを阻止できないのでしょうね。
 政府もマスコミも、何もしないで、ガソリン価格が高騰だ、また上がった上がったといって騒いでいるだけではないですか。
 一番困っているのは、運送業者や 漁業関係者でしょうね。もう指をくわえて石油元売り各社の値上げ攻勢を見ているときではないと考えます。 
 かつて、 エッソ、モービル、ゼネラルなどの大手石油会社は、ガソリン価格高騰のお陰で、ボロ儲けだったようです。
 政府は、直ちにガソリンや灯油を中心とした石油関連製品の値上げを禁止し、これを破った者には禁固十年以上を課すようにしたらどうでしょうか。
 石油元売り各社も、石油危機や円安による原油価格の高騰においては、儲け主義を撤廃し、ボランティア精神をもって、全ての石油製品を値上げ前の状態まで引き下げるようにすると、多くの国民に感謝されると思います。しかし、いくらガソリン価格が上がっても、道路の渋滞がなくならないのは何故でしょう。皆さんは、それほど困らないのかも知れません。 


この頃に戻って欲しいですね。(2005年2月頃)

 それはそうと、北海道では、お盆が明けて、短い秋が終わると、いよいよ、厳寒の冬がやってきます。昨年に引き続き、灯油の価格は下がらないようですが、出来る限り灯油を焚かないようにしなければな りませんね。
 我が家の場合は、内戸を全てペアガラスのサッシと交換したので、それのお陰か、昨年は灯油200リッターくらい節約できました。
 今年はそれ以上、節約しなければなりません。手っ取り早い方法は、暖房している部屋を減らし、更に室温を下げることですね。
 数年前、NHKの番組で、三笠市の一人暮らしのお婆さんに、冬の生活についてのインタビューがありました。
 そのお婆さんの息子達は、皆、都会に移ったまま帰ってこないそうです。お婆さんは、国民年金と生活保護で月五万円程度の低収入のため、室温を、なんと”12度”にして耐え凌んでいるそうです。
 この ような現実を、石油元売り各社は知っているのでしょうか。
 もし、このお婆さんが凍死でもしたら、石油元売り各社の責任と言っても過言ではありません。
 やがて到来する高齢化社会にそなえ、私たちも、この三笠市のお婆さんを見習わなければなりませんね。
おわり
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北方領土問題と解決法
 2006年8月16日、 北海道根室市のカニかご漁船「第31吉進丸」がロシア国境警備艇に銃撃・ 拿捕された事件で、乗組員2人が2週間後に解放され、道の漁業取り締まり船「北王丸」で根室市花咲港に戻りました。
 疑問が残るのは、ロシア側が言うように、本当に密漁していたのか、しかも常習的に密漁と領海侵犯を繰り返していたのか、ということでした。
 領海侵犯の場合は、GPSで測定すれば、すぐ判明すると思いますが、我国が北方領土と主張している海域のためか、その真相はウヤムヤになってしまいました。
 そもそも、我国が北方領土の奪還を主張して半世紀以上経ちますが、進展は全く見られません。
 それもその筈、旧ソ連の時代は、日本と米国は、旧ソ連の 「仮想敵国」であり、また旧ソ連は、日本と米国の 「仮想敵国」だったのです。
 仮想敵国に領土を返還するような、お人好しの国家など、どこにもありません。もし仮想敵国という状態を回避するためには、米国との安保条約を廃棄し、ロシアと平和条約を締結するしかありません。  


密漁船銃撃事件

 しかし、情勢はそれとは全く逆に、日本と米国との同盟関係が、ますます強固なものとなっています。
 日本人の中には、旧ソ連が「日ソ中立条約(1941年締結)」を一方的に破って日本の占領地に攻め込んできた、と言う人もおりますが、この話はまったくデタラメなのです。
 1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる平和条約を、旧ソ連は延長しないことを日本政府に通達しています。
 これは、旧ソ連がヤルタ会談で、米国や英国と秘密裏に対日宣戦布告を約束したという事実があります。
 もしも、旧ソ連を「日ソ中立条約違反だ」と責めるのであれば、ヤルタ会談に参加した国の首脳を責めなければ公正ではありません。
 そもそも「日ソ中立条約の目的とその本質は、日本による中国侵略を、押し進めるために、背後にいるソ連を釘付けにした条約です。そのような条約など、一方的に破棄されても仕方がないものです。
 本当に北方領土を取り戻したければ、自衛隊を国後・択捉に派遣すれば良いのです。恐らくロシアは慌てるでしょう。
 そして、ロシアは、10個師団程度の軍隊を、奪還のために差し向けると思いますが、そこで自衛隊は島を死守すれば、国内外の世論は高まり、北方領土問題が世界中に広まるでしょう。
 仮に、北方領土が日本に返還された場合、旧島民は、はたして北方四島に戻って住むのかどうか疑問です。その場合、現在、住んでいる大勢のロシア人を追い出してしまうのでしょうか。もし、ロシア人を追い出した場合、追い出されたロシア人は、領土返還闘争を起こすでしょうね。
おわり
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靖国神社参拝問題解決法
 日本の閣僚による靖国神社参拝が原因で、第二次世界大戦で多くの犠牲者を出した周辺諸国の指導者や国民から反感を買っております。
 それは、戦争を起こした東条英機等のA級戦犯も合祀されている、というのが大きな理由のようです。
 日本政府は、A級戦犯を合祀することで、戦争犯罪人として烙印を押された当時の為政者を、「軍神」にしたということですね。
 靖国神社に祀られますと、国のために戦って戦死した将兵は、全て「神(軍神)」になるとされています。
 しかし、国のために戦った沖縄のひめゆり部隊が祀られていないのは何故でしょう。つまり対象者が女性の場合、沖縄戦で負傷した多くの将兵を助けても、軍神にはなれないようです。
 まあ、ひめゆり部隊には軍神は似合いませんが、こんなところにも、女性差別の現実が見られるようです。しかしながら、いかなる宗教にも信心が全くない私にとっては、どうでも良いことのように思います。 


東宝「日本のいちばん長い日(1967年)」
原作:大宅壮一  製作・配給:東宝  監督:岡本喜八
製作:藤本真澄、田中友幸  音楽:佐藤勝
出演:笠智衆、三船敏郎、山村聰、宮口精二、志村喬、神山繁、
高橋悦史、中丸忠雄、黒沢年男、土屋嘉男、島田正吾、藤田進、
佐藤允、久保明、伊藤雄之助、天本英世、中谷一郎、井川比佐志
田崎潤、平田昭彦、堺左千夫、藤木悠、小林桂樹、加東大介  
加山雄三、新珠三千代、松本幸四郎   ナレーター:仲代達矢

 そもそも、靖国神社はお寺じゃないのですから、軍神となった将兵の遺骨はそこには存在しません。
 中国や韓国・北朝鮮が問題にしているのは、A級戦犯をも軍神としてその霊をなぐさめ冥福を祈るといった行為なのでしょうか。
 私は、精神的に戦死者を弔うだけなら何ら問題はないと考えます。しかし、中国や韓国・北朝鮮には日本の神道が理解できないでしょう。
 ひょっとしたら、靖国神社に祀られ軍神となった将兵の遺骨が祀られていると誤解しているのかも知れま せん。
 そこで、靖国神社参拝問題を解決する為には、いっそのこと、第二次世界大戦で戦った相手である、毛沢東や蒋介石そして金日成等も靖国神社に一緒に合祀したら、誰からも文句は出ないと思われます。そうそう、アメリカのルーズベルトも最大の敵でした。それも一緒に祀りましょう。 
 昭和天皇がA級戦犯の合祀を遺憾として参拝しなくなったにも関わらず、国内外からの批判を余所目に、それでも日本の閣僚は参拝を続けています。 このような閣僚は、満州事変や日華事変などの日本による侵略行為をまったく反省しなかったA級戦犯の精神状態とほとんど変わりませんね。 

日本のいちばん長い日」ストーリー

 戦局が次第に不利になってきた日本に無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言が、海外放送で傍受されたのは昭和二十年七月二十六日午前六時である。
 直ちに翌二十七日、鈴木総理大臣官邸で緊急閣議が開かれた。その後、八月六日広島に原爆が投下され、八日にはソ連が参戦、日本の敗北は決定的な様相を呈していたのであった。
 第一回御前会議において天皇陛下が戦争終結を望まれ八月十日、政府は天皇の大権に変更がないことを条件にポツダム宣言を受諾する旨、中立国のスイス、スウェーデンの日本公使に通知した。
 十二日、連合国側からの回答があったが、天皇の地位に関しての条項にSubject toとあるのが隷属か制限の意味かで、政府首脳の間に大論争が行なわれ、阿南陸相はこの文章ではポツダム宣言は受諾出来ないと反対した。
 しかし、八月十四日の特別御前会議で、天皇は終戦を決意され、ここに正式にポツダム宣言受諾が決ったのであった。この間、終戦反対派の陸軍青年将校はクーデター計画を練っていたが、阿南陸相は御聖断が下った上は、それに従うべきであると悟した。
 一方、終戦処理のために十四日午後一時、閣議が開かれ、陛下の終戦詔書を宮内省で録音し八月十五日正午、全国にラジオ放送することが決った。午後十一時五十分、天皇陛下の録音は宮内省二階の御政務室で行われた。同じ頃、クーデター計画を押し進めている畑中少佐は近衛師団長森中将を説得していた。一方厚木三〇二航空隊の司令小薗海軍大佐は徹底抗戦を部下に命令し、また東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉も一個大隊を動かして首相や重臣を襲って降伏を阻止しようと計画していた。
 降伏に反対するグループは、バラバラに動いていた。そんな騒ぎの中で八月十五日午前零時、房総沖の敵機動部隊に攻撃を加えた中野少将は、少しも終戦を知らなかった。
 その頃、畑中少佐は蹶起に反対した森師団長を射殺、玉音放送を中止すべく、その録音盤を奪おうと捜査を開始し、宮城の占領と東京放送の占拠を企てたのである。しかし東部軍司令官田中大将は、このクーデターの鎮圧にあたり、畑中の意図を挫いたのであった。
 玉音放送の録音盤は徳川侍従の手によって皇后官事務官の軽金庫に納められていた。午前四時半、佐々木大尉の率いる一隊は首相官邸、平沼枢密院議長邸を襲って放火し、五時半には阿南陸相が遺書を残して壮烈な自刃を遂げるなど、終戦を迎えた日本は、歴史の転換に伴う数々の出来事の渦中にあったのである。
 そして、日本の敗戦を告げる玉音放送の予告が電波に乗ったのは、八月十五日午前七時二十一分のことであった。

おわり
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恐怖
 死んでいるもの、と思っていたものが、突然動き出したとしたら、ギョッとするものです。
 私の場合、従兄弟の結婚式の時にご馳走になった「活き造りの鯉」が、突然動き出したため、それ以上食べられなくなったという経験があります。
 また、ある日、妻が、ナマコを料理しようとしたとき、ニョロッと動いたため、ビックリしていましたね。
 先日、虫が多いと言われているアブラコの煮つけを食べました。私は刺身にするよう頼んだのですが、妻は自信がないというのです。
 そのため、何処に虫が付いているのか分からなくなるため、美味しさ半減です。煮たり焼いたりしたら、仮に虫だらけだとしても分かりません。
やはり、アブラコは刺身に限ります。


日高幌尻岳へ(1972年7月) 
長い杖を持っているのが私(石川)です。
日高山脈「日高幌尻岳山行」 8ミリ映画
制作:石川プロダクション
 日高を登山した時の話です。
 登山口に遅く着いたので、周りは暗くなっておりました。
夕食の時には、もう懐中電灯がなければ何も見えませんでした。そこで、豚汁をつくって食べましたが、美味しいと思ったのは、その時だけでした。
 翌日早朝、登山に出発するまえに食器類を洗おうとして、昨日食べた豚汁の鍋の蓋を開けてビックリ。蛾などの虫がびっしりと入っていたのです。
 ひょっとしたら昨日、懐中電灯の灯りに寄ってきて、鍋の中に落ちたのではないか。そして、それを我々が食べてしまった。
 おぇー、と思っても後の祭りでした。
 私より10歳年上のリーダーは、「動物性蛋白質だから問題はない」と言いました。年寄りにはかないませんね。ガクッ。
おわり
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親の苦労
 親の苦労は実際に親にならなければ分からない、と思います。
 私が娘に「可愛い子には旅をさせよ、だぞ」といったら、娘から「可愛くない子には楽させて」と言葉が返ってきます。いやー困ったものです。
親のこころ子不知、だな」と言うと、娘は「子のこころ親不知、でしょ」と突っぱねるのです。


The Ten Commandments (7/10) Movie CLIP
映画「十戒」(1956年)
制作:セシル・B・デミル 主演:チャールトン・ヘストン 配給:パラマウント映画

 「汝、殺すなかれ、盗むなかれ」などと、数千年前のモーゼの十戒のような説教をしても始まりませんし、そもそも、全ての人間が、モーゼの十戒を守っていたとしたら、この地球上から窃盗や殺人、さらに戦争もなくなっていたと思います。
 そして、そこにいる人間は、人間が創造した神に支配され、ただ生きているだけの人間です。それが良いのか悪いのか私には分かりません。
 笑い話でしょうが、モーゼが神から授かった「十戒」の石板が、実は三枚あって、モーゼが山から下りる途中に一枚落としてしまい、残ったのが二枚だったそうです。
 しかし、落とした一枚の石板には「汝、殺すなかれ、盗むなかれ」という戒めが書かれていたため、後の世に人間は、殺したり盗んだりする戒めは守らなくなったと言われています。
 私は、「子を持って、始めて知る親のエゴ」かも知れないと思って、娘に、ただ一言「分相応に生きれ」と言ってやるのです。
おわり
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日本神話と明治憲法の身分制度
 涼しい日が続いた札幌も、猛暑とまでは行きませんが、ようやく夏らしい気候になってきました。庭には沢山のチョウチョウが舞い、たいへん賑やかです。生きていくためには昆虫の世界も大変なんだと思う今日この頃です。
 さて、日本神話ですが「ヤマトタケル」や「ヤマタの大蛇」、「天の岩戸」など、ギリシャ神話にも勝るとも劣らぬ神話が山ほどあります。
 しかし日本神話の場合、神話と天皇を結びつけ、天皇は現人神だから敬わなければならない、というようになっております。
 まあ、奈良時代や天皇制を推進した明治、大正、昭和の初期(戦前)はそれで通じたのかも知れません。


歴史ミステリー 邪馬台国は四国にあった?2

 今の時代は、天皇のことを戦前のように「現人神」と言っても、誰も信用しないでしょう。それが証拠に、わが国の宗教は、国家神道よりも、仏教を中心に、他に統一協会や創価学会などの新興宗教が氾濫しています。
 ところで、日本の神話に「ヤマトタケル」がでてきますが、このヤマトタケルは、一人ではなく、征服者に名付けられた勇者のことだったそうです。
 神話では、クマソ征伐や蝦夷征伐のように、一人の皇子の活躍としてまとめられています。
 当時は、大伴一族や、物部氏、蘇我氏などの豪族が政権を自由に操っており、天皇を動かしておりました。1500年以上も前から官僚制度があったのです。

明治憲法における身分制度
 さて、ここで天皇制(専制君主制)の基盤となった明治憲法における身分制度を紹介します。

■天皇 大日本帝国の元首。
■皇族 天皇の一族。宮家。皇胤の男子及びその配偶者並びに皇胤の女子。
■華族 明治維新の功臣および実業家(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)
『皇族と華族を纏めて「貴族」と呼んだ。』
■士族 明治以前の武士の家系に属する者(士農工商の「」の階層)
■平民 農民、商人、職人(士農工商の「士を除く全ての人」)
『他に、えた、非人のことを「新平民」と差別して呼んだ。』


 なんと、大日本帝国憲法(明治憲法)では、江戸時代の士農工商の上に、更に華族、皇族という身分があったわけです。
 また、エタ非人は、平民籍に編入した後も、新平民と呼ばれました。アイヌも新平民と呼ばれたそうです。
 戦後、新憲法(日本国憲法)によって身分制度がなくなったとしても、家柄や学歴及び職業などによる差別意識は、いまでも生きているようです。
おわり
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おのぼりさんモード
 私が東京に行ったときは、十分、おのぼりさんモードを発揮します。
数年前の夏に行ったときは、新宿の駅前で通行人に都庁の場所を尋ねたり、芝公園の地下鉄駅前では、東京タワーの場所を訪ねたりしました。


東京の夜景(東京タワーより撮影)

 東京タワーと言えば、おのぼりさんのシンボル的存在だったと思いますが、今は、若者達のデートコースになっているようです。特に東京タワーから見る都内の夜景は素晴らしいですね。
 また、ランドマークタワーから見る横浜の夜景も綺麗でしょうね。
一度写真を撮ってみたいと思っています。以前、夫婦で横浜に行ったときは、シーバスからランドマークタワー周辺の夜景をビデオで撮りました。
 当時はまだデジタルビデオではなく、Hi8(8ミリビデオ)のビデオカメラでしたが、結構綺麗に撮れましたね。
おわり
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野良猫と犬猫の寿命
 もう15年くらい前になるでしょうか、私の自宅の周りに、数匹の野良猫がたむろしておりました。野良猫たちは北海道の冬は厳しいため、暖かい場所を探しながら彷徨い歩いておりました。
 その為、野良猫たちは、家主が勤務から帰宅してクルマのエンジンを切ったばかりの暖かいクルマのボンネットに上がったり、エンジンの 下に潜り込んだりと、命がけで暖を取っていたようです。
 町内では、クルマの所有者が、ボンネットに爪で傷を付けられたりするため猫を追い払っておりますが、またどこからか違う猫が現れるため、ネコゴッコではなくイタチゴッコが続いています。


  猫は犬と違い、集団で暮らすことはないようで、その日によってイタズラしに来る猫が異なるのです。北海道の厳冬期は、野良猫にとっては悲惨ですね。猫を捨てた飼い主は、責任を取るべきと思います。
 また、ある夏の日、自宅の裏玄関の方で、ニャーニャーという声がするので、様子を見に行ってみたら、親ネコが、6匹の子猫に乳を与えていました。その親ネコは私に対して歯をむき出して威嚇するのです。
 私は親ネコだけなら追い払ったのですが、微笑ましい光景でしたので、そのままにしておきました。その6匹が更にどんどん増えるのでしょうね。
 数年前、庭の池で飼っていた金魚が数匹、野良猫に食われてしまいました。今度、その野良猫たちを見つけたら捕獲しようと思っております。

犬猫の寿命
 ペットの犬猫の寿命は、最長で20年位と思いますので、飼う場合は、彼らのために飼い主の寿命も考慮しなければなりません。
 たとえば、飼い主の年齢が、50代半ばを過ぎてから犬猫を飼う場合は、彼らより先に寿命が尽きてしまう恐れがありますので、犬猫にとっては好ましいことではないと思います。
 つまりペットよりも、飼い主が先に死んではならないということです。
ペットにとっては、死に水を取ってくれる飼い主が存在することが一番幸せなのです。しかし、飼い主が長生きしても、認知症になったらペットの世話もできなくなるかも知れません。また、ペットも認知症になると「認認(にんにん)介護」になる可能性もあります。
 飼い主も、ペットも元気に長生きしましょう。
おわり
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安定した幸せ
 私がまだ20代の頃、結婚後の安定した幸せのために大切なことは「忍耐」と聞いたことがあります。これは妻と夫、双方に言えることです。
それが出来ないのでしたら結婚しても長続きはしないでしょう。


中島みゆき「世情」(シュプレヒコール入り)
「国民のささやかな幸せを破壊してきた国家権力との戦い」
 このように偉そうなことを申しておりますが、やはり、結婚してから、あわただしく子供を育て、そして時が過ぎ去り、一段落したときが一番楽しく幸せだと思います。夫婦の安定期というのは、この一段落したときですね。
老後の幸せもこの時期でしょうか。
おわり
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国家と個人
 私は憂国と聞きますと国家主義を連想します。つまり、国家主義とは、個人を犠牲にしても国家を至上とする主義で、戦前・戦中の軍国主義者が、この思想を国民に押しつけて悲惨な戦争を始めました。
 現在においても、軍国主義者の一部は、あの「崇高な戦争」は「個を超えた公のために」生きることで可能だったと言います。
 そして、この「」が、「国家」にほかならないことを語っています。
しかしそれは、国民を支配し押しつぶす国家」であり、国益のために隣国に強制的に自分達の言うことをきかそうとする「国家」です。
 日本・軍国主義による侵略戦争と、沖縄の地上戦の実態は、まさに「国家」は決して国民を守らないことを証明したのです。



馬鹿が戦車(タンク)でやってくる
 公とは、個人が、それぞれの基本的人権を認め合い、お互いにつくりあげていくものでなければなりません。過去の歴史をしっかり認識し、自分たちの未来は、自分たちで切り開くという立場が大切なのです。
 「」を押しつぶす「」と命がけで戦い、日本とアジアの平和、目に見えない他者のために戦った人達こそ、公と個とのあるべき関係を体現した人々だと思います。
 かつての軍国主義による侵略戦争に対するしっかりとした認識こそ、全人類の明日のために不可欠な条件であると思います。
公=国家」よりも「個=国民」の、一人一人を大切にしてこそ、輝かしい未来が切り開かれるものと確信しております。

<日本国憲法 第十三条>
【条文】 すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。
「日本国憲法第十三条」>>bit.ly/14g8Agm#k13
おわり
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大飢饉と日本沈没
  人類の終末が予言された「1999年の7の月」は、何事もなく終わりましたが、ノストラダムスの大予言で触れられていないのが、大飢饉です。 我が国の食料自給率は、40%(農水省公表)で、これは、端的に申しますと、昔、氷山に衝突して沈没した豪華客船タイタニックの救命ボート(定員の半数分以下しか用意されていない)と同じようなものです。
つまり、食料危機になると、半数以上の国民が餓死などで死んでしまうと言うことです。


日本沈没 / Panik über Tokio / Submersion of Japan
(German Trailer, 1973)
これは「日本沈没」のドイツ語の予告編です。
ドイツのタイトル、「Panik über Tokio」の意味は
日本語で「東京の上の恐慌状態」と言います。ドイツのほかのタイ­トルは「Der Untergang Japans」で、意味は「日本沈没」です。

 北朝鮮の食糧危機が他人事とは思えません。飢饉でなくても、以前の米騒動や昨年の野菜の極端な値上がりが良い例でしょう。
 もし大飢饉にでもなれば、食料はもとより、物価が極端に跳ね上がり、我々、一般庶民の生活を圧迫します。
 従って国民は、現在の農政に関心を持ち、早急に改善しなくてはならないと考えます。それでも、農業離れが進むと思いますので、国民皆農民運動を展開する必要があるでしょう。
 そして、最後に笑うのは、食料を握っている者であると思います。
 人間が、生きるか死ぬかという食糧難の際には、お金は紙屑同然です。

日本沈没
 地球物理学者である田所雄介博士は、地震の観測データから日本列島に異変が起きているのを直感し、調査に乗り出す。
 潜水艇操艇者の小野寺俊夫、助手の幸長信彦助教授と共に小笠原諸島沖の日本海溝に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。
 異変を確信した田所はデータを集め続け、一つの結論に達する。それは「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈没する」というものだった。
 最初は半信半疑だった政府も、紆余曲折の末、日本人を海外へ脱出させる「D計画」を立案・発動する。しかし、事態の推移は当初の田所の予想すら超えた速度で進行していた。
 各地で巨大地震が相次ぎ、休火山までが活動を始める。精鋭スタッフたちが死に物狂いでD計画を遂行し、日本人を続々と海外避難させる。
 一方、あえて国内に留まり日本列島と運命を共にする道を選択する者もいた。四国を皮切りに次々と列島は海中に没し、最後に北関東が水没して日本列島は完全に消滅する。日本沈没

ノストラダムスの大予言


 1973年に祥伝社から発行された五島勉の著書。
 フランスの医師・占星術師ノストラダムスが著した『予言集』(初版1555年)について、彼の伝記や逸話を交えて解釈するという体裁をとっていた。その中で、1999年7の月に人類が滅亡するという解釈を掲載したことにより、公害問題などで将来に対する不安を抱えていた当時の日本でベストセラーとなった。実質的に日本のノストラダムス現象の幕開けとなった著作である。翌1974年には、東宝でこれを原作にした文部省推薦の同名の映画も制作公開されている。その作品については、ノストラダムスの大予言 (映画)を参照のこと。
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国家の消滅
 私は将来、国家は消滅すると思います。
 そもそも国家が地球上に登場したのは、奴隷制が始まる世界四大文明が起こった頃からです。
 それまでの人類は、20万年ほど前に、アフリカに出現した新人から枝分かれして、ヨーロッパやアジアそして全世界に移動していきます。
 日本には、縄文時代までは国家というものは無かったわけです。
やがて、中国大陸から渡ってきた渡来人と、我が国の縄文人が同化した弥生時代の頃から、国家が形成され現在に至っています。
 弥生時代から稲作が始まると共に、日本列島全土で領地の勢力争いが起こり、強い国が弱い国を支配する時代になって行きます。その頃から、奴隷制が起こります。邪馬台国の卑弥呼の時代も奴隷制だったわけです。
「魏志倭人伝」には、邪馬台国の卑弥呼は、魏王朝に大勢の奴隷を贈ったと記載されています。


宇宙世紀 改暦セレモニー記念演説
今から約100年前、西暦から宇宙世紀への改暦の日
地球連邦政府初代首相 リカルド・マーセナスは
首相官邸ラプラスで行われた改暦セレモニーの場で記念演説を行いました
~宇宙世紀に生きる人と宇宙世紀を愛する全ての人へ~
西暦の時代ある政治家は、国際会議の議場で自らの信念をこのように語りました。
Peace and Happiness through Economic Prosperity and Democracy
(訳:経済的繁栄と民主主義を希求する先に、平和と人々の幸福がある。)
UC 100周年記念セレモニーにて UBC 記者 レアード・バウアー http://dic.nicovideo.jp/v/sm20021422
企画・制作 UBC (Universal Broadcasting Corporation) (UC0100)


 さて、国家を無くすには国境を無くすと共に、地球を一つの政府にしなければならないわけです。
 ちょうど、動画「宇宙戦艦ヤマト」に登場する地球連邦政府のようなものですね。こうすることにより人種の差別もなくなり、地球上の人類がすべて平等で平和に暮らせるようになるのです。

<弥生時代「邪馬台国」の呼び名

 私は何主義者でもありませんが、強いていえば、「無国家主義者」と言ったほうがいいかも知れません。資本主義者でも社会主義者でも、また無政府主義者でもない「無国家主義者」です。
 つまり、地球上の国家を統一して「地球連邦政府」をつくり、宇宙社会の一員になるというのが夢です。
 1000年後、もし人類が滅亡せずに発展していたら、地球の民族は統一されていると信じています。
 ところで、「邪馬台国」の呼び名についてですが、日本語は、室町時代末期までは、現代とは、読み方や発音がぜんぜん異なっており、今の日本人には全く通じないといわれています。
 更に2000年も遠い昔の、古代の日本人(弥生人)が「邪馬壹国」の文字を「やまたいこく」と読んだかどうか分かりません。もっと違う読み方があったことも考えられるのです。
 その理由は、現代の日本語とは更に異なっていたからです。
おわり
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ネット犯罪
 最近は、インターネットを悪用したネットワーク犯罪が横行していますね。もう少し、インターネットを楽しんでいる人達のことを考えてもらいたいものです。
 私も妻から「インターネットって、変な人が沢山いるのですね」と言われて、肩身が狭い思いをしております。
 ネットワーク犯罪を防止するための妙案は特にありませんが、ネットワーク上においても、うまい話には絶対に乗らず、また、怪しい人物には近づかない方が良いということでしょうね。
 「君子危うきに近寄らず」で行きましょう。

あなたのお金を狙うインターネット犯罪者はすぐそばに・・


 また、ネットワーク犯罪を防止するには、検挙率を上げることしかなさそうですね。それは、毒物犯罪の防止と共通する点があるからです。
 その理由は、第1に匿名を利用した犯罪である事と、第2に不特定多数を狙った犯罪であることですね。
 しかし、いくら匿名と言っても、プロバイダなどの第三者が入っているため、足がつきやすく、不特定多数を狙ったとしましても、システム全体のセキュリティーを強化すれば、相当な防御ができるはずです。
いずれにしても、検挙率が上がらなければ、インターネット犯罪者のやりたい放題でしょうね。
巧妙なインターネット犯罪手口
Trend Micro

 インターネット犯罪者は、あなたから金銭や個人情報を奪うために、仲介者などを通してプログラマーに不正プログラムを作成させます。
 そして、実際の攻撃は全く別の人間に担当させるのです。結果、攻撃の足跡を辿る事は難しくなり、誰が犯罪の首謀者だったのかはほとんどわからなくなってしまいます。
 さらに彼らは、一度集めた個人情報を犯罪組織同士で売買します。それぞれの犯罪組織では集めた個人情報を使ってあなたになりすましてクレジットカード番号を使ったり、インターネットバンキングにログインして預金を盗み出したりと、様々な犯罪に利用します。
 一度でも彼らに個人情報を握られたら最後、あなたのお金は知らないうちにどんどん盗み出されていってしまうかもしれないのです。


イーバンク銀行を装ったフィッシング詐欺

 2008年2月、インターネット銀行であるイーバンク銀行を名乗るフィッシング詐欺サイトが見つかりました。
 手口は、同行を装った偽のメールが送信され、受け取った利用者がリンク先へアクセスするとフィッシング詐欺サイトに誘導されるというもの。
 本物のログインページとほぼ同じにつくられているものの、本物には存在しない暗証番号の入力欄が設けられていました。


■メールを開いただけで、自動的にウイルス感染

 迷惑メールの中には、メールを開いただけで自動的に危険なWebサイトに接続してウイルスなどの不正プログラムをパソコンに侵入させるHTMLスパムメールも存在します。
 迷惑メールの「添付ファイルを開かなければ大丈夫」という思い込みは、もはや通用しないのです。


Trend Micro

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北大生協の利用高割り戻し
  北大生協では、以前、利用高の割り戻しを行っていましたが、経営状態が悪いためか、2000年度から無くなりました。
 40年ほど前までは、5%程度の割り戻しがありましたが、年々、割り戻し率が下がり続け、バブルがはじけた頃から1%程度になり、2000年度から、とうとう割り戻しは0%となりました。 組合員数約2万人を誇る北大生協も、不況の影響を受け、経営状態が悪化していましたが、徹底した合理化政策によって無駄を省いた結果、持ち直したようです。

北大生協会館店
  北大生協では、非正規職員を増やすと共に、オーディオビジュアル関連や生鮮食品の販売を縮小し、売れ行きの良い書籍や食堂などは拡充しました。そのため私は、家電を生協で買うことがなくなりました。
 研究や実験などに必要な書籍は公費で購入できるので、生協を利用するのは食事の時くらいでしたね。
 また毎年、高度成長期からバブル期まで、テイセンホールで催していたAVC(オーディオ・ビジュアル・コンピュータ)フェアーは、年々来客数が減少してきたため中止されました。
 北海道大学生協連主催のAVCフェアは当初、学生や教職員などの客でごった返したこともあったのですが、それほど安くないため、あまり売れなかったようです。
やはり北大生協も、景気の悪化とヨドバシカメラなどの大型家電店の進出、そして経営方針の失敗が、売れ行きの悪化に現れたようです。
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公衆便所とゴミ箱
 北大に在職中、東京などに出張に行って、いつも感じたことですが、公衆便所が少なすぎます。札幌の自宅周辺には、歩いて5分程度の公園にさえ、複数の公衆便所があります。
 東京都内で、公衆便所のある場所は、鉄道や地下鉄の駅の周辺やデパートやスーパーなどの建物内くらいでしょう。
 もしも、震災で地下鉄が不通になり、デパートやスーパーなどの建物が閉鎖されたら、一体どうなるのでしょうか。阪神淡路大震災でも、被災者は公衆便所がないため苦労したそうです。

おもしろ公衆トイレ
まべち公園(八戸)新幹線「はやて」型トイレ
 札幌も同様です。私は生まれつきトイレが近いため公衆便所探しに苦労します。札幌がいくら田舎と言っても、立ちションは許されませんし、大便なら尚更でしょう。
 登山なら、木立の陰で「キジを撃つ(登山家の専門用語で大便をするという意味)」こともあります。しかし、いくら木立の陰と言っても、都会のど真ん中で、それをやると即刻、牢屋行きでしょうね。
 東京都内で、次に少ないのは、ゴミ箱ベンチでしょうね。
 特にゴミ箱は、都内の駅には殆どありません。
 危険物から市民を守るというのはよく分かりますが、やはりゴミ箱がないと不便です。そこで、犯罪防止の為には、透明なゴミ箱を作り、中が見えるようにするとか、爆発物探知機付きのゴミ箱を作り、危険物を入れたら警報が鳴るようにするのはいかがでしょうか。
 また、ベンチが無いのも、子供連れや高齢者の場合、一休みができないので困りますね。若い人達が、地べたに座るのもベンチが無いのが原因かも知れません。
おわり
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散骨
 お盆が近づいてきましたね。
 妻が何時も言うのですが、「もしも死んだら散骨にしてもらいたい」そうです。その理由は、死後も姑(私の両親)と一緒に、同じ墓に入るのはイヤだというのです。
 それにしましても、一体、誰が散骨という弔い方を考えたのでしょうか。墓地に埋葬するから、墓参りをして死者の供養が出来るのですが、散骨したら、どこで供養をすれば良いのでしょうね。
 ところで以前、TV番組「おもいっきりテレビ」でお墓の特集をしていて分かったのですが、まだ、土葬が認められている地域が、日本全体の1.5%程度あるそうですね。他の98.5%は火葬です。
 散骨の場合、他人の土地には出来ませんが、自分の土地なら構わないようです。しかし、自分の土地であっても、散骨した上に土をかける事や、土の中に埋葬することは法律で禁止されているようです。何故でしょうね。
それはともかく、自宅の庭先に、親族の遺骨が撒かれていたら、深夜になると化けて出てくるように思います。
 また散骨は、川や海で行っても良いそうですが、近くに水源地があったり、養殖場がある場合は出来ないということです。
 従って、大抵、川や海には水源地や養殖場があるため、散骨は、はるか沖まで行かなければなりませんね。これでは死者も浮かばれないでしょう。
色即是空、空即是色
おわり
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バブル経済が崩壊した頃の私の予測
1991年、バブル経済が崩壊した頃の私の予測です
「これからは、繁華街にあるデパートや商店街よりも、郊外のディスカウントショップが伸びると思います。
 アメリカでは、クリスマスや誕生日などのプレゼントを買う人達は、デパートやおもちゃ専門店ではなく、ディスカウントストアに流れたそうです。
 我が国でも同様に、1万円のプレゼントを買うのに1万円を払う人は少ないと思います。どこかのショップの宣伝ではありませんが「3割引5割引当たり前」の時代に突入しており、5000円~7000円で1万円の商品が買える時代になっています。
 デパートや商店街の他に、売り上げが少なくて困っている業者は、製造加工業関係でしょうか。
 従いまして、自動車など、大企業の輸出産業は、日本では売り上げが伸びないため、アメリカへの輸出で利益を上げるでしょう。
 その結果、アメリカとの経済摩擦が起こることになります。もし、アメリカに断絶されたら、我が国の経済が成り立たなくなり沈没してしまいます。経済封鎖をされれば、日本は簡単に沈没します。」・・・というのは、約20年前の私の予測でした。さて当たっているでしょうか。
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フリーエージェント
 企業の終身雇用制度は、もはや現実にそぐわなくなってきていると主張する経済学者がいます。私もそう思いますが、簡単に労働者を切り捨てたのでは社会的損失と考えます。
 そこで、厚生労働省などの省庁に、各年代ごとの「労働者バンク」を設け、個々人の希望や身上書の内容に該当する企業を検索し、労働者を振り分ける「フリーエージェント」制を導入すれば、雇用問題や高齢者問題等の対策になるものと思います。
 つまり、野球の自由契約選手のように、自分のキャリアに対してお金をとる労働者を「フリーエージェント」と言います。
 少子高齢化が進むと、労働人口が減少するのみではなく、国力が衰退していきますので、特に、高齢者の経験も重視して、労働力を活かす時期に来ていると思います。しかし、現在、若い人達でさえ、新卒以外では職を探すのは至難の業です。
 私のような団塊の世代の場合、1970年代の高度成長期や、1980年代のバブル期には、職を選びさえしなければ、就職できたのですが、現在はなかなか、そう簡単にはいかないようです。
 やはり、子供の頃から、将来の「目的」を定めて、それに向かって専門の学問を身につけ、資格を取って、邁進するしかないでしょうね。
 私が小学生の頃の目的は、「自動車の運転手」でした。まだ一般家庭に普及していなかったクルマに憧れていたんです。
 中学に入ってからは、オーディオマニアだった叔父の影響を強く受けて、「電気屋(オーディオ装置の修理業)」になることが夢でしたね。
 
 ところで、 お年寄りの買い物難民が増加していますね。
私が子供の頃(昭和20年代)は、行商のおばさんが、背中にいっぱい、野菜などの食料品を背負って各戸を巡回して売りさばいていました。
 現在も行商のおばさんが来れば、買い物難民は減少すると思います。
しかし、どのようにしたら、あのように沢山の荷物を背負えるのか、関心があります。何かコツがありそうです。
 また、10年ほど前、大学の勤務が終わって自宅に帰る途中、札幌山の手付近のオリンピック道路を、年配のお婆さんが、荷物を沢山積んだリヤカーを引いている光景をクルマから見ました。荷物が重すぎたせいか、お婆さんの足が時々、地面から浮いていましたが、元気はつらつでした。
私たちも見習わなければなりませんね。

<「フリーエージェント」とは>
 free agentとは、組織に雇われない働き方をする人々である。
 主にインターネットを使って自宅で働き、アメリカでは、労働人口の4分の1がこの働き方を選んでいる。近年アメリカで注目されているフリーエージェントの議論は、日本では、まださほど議論されていない。

おわり
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便座除菌クリーナー
 公衆便所に入ったとき、洋式の便器を利用することが多いと思います。
しかし、どのような人が使ったか分からないため、直に座るのは気持ち悪いことがあるでしょう。また便座が汚れていることがあります。
 そういう時に便利なのがこれ、携帯用ティッシュタイプ「便座除菌クリーナー」です。
 使い方は簡単です。チャックを開けて便座除菌クリーナーを1枚取り出し、便座をまんべんなく拭けばよいのです。使用後のクリーナーはトイレに流し用を足すだけです。
 ところで、イタリアを旅行したとき、同行のガイドさんが言うには、イタリア人の場合、公衆便所の便器には直に腰掛けることはしないそうです。
では、どうするのかと尋ねますと、便器を”まったいで用を足す”そうです。やはり外国人は足が長いのですね。
 新千歳空港のトイレには、「紙製の便座カバー」が備え付けてありますが、座ろうとして、ちょっとでも触るだけで、直ぐ便器の中に滑り落ちてしまいます。それほど便利なものではないですね。
やはり「便座除菌クリーナー」が一番良さそうです。
おわり
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紙幣へのサイン
 以前、日銀のお偉いさんが、紙幣にサインをして問題になりましたが、いっそのこと、「生活のため、使いすぎに注意しましょう」と書いたら如何でしょうか。タバコの箱にも「健康のため、吸いすぎに注意しましょう」と書いてありますので、特に、政治家や官僚の皆さんのためには、経済観念を養う上で必須だと思います。



生活のため、使いすぎに注意しましょう

 私は、赤のボールペンで、名前が書いてあった紙幣を使ったことがあるのですが、あまり良い気分はしなかったですね。
 確かに、紙幣にサインをすれば、自分の所有物だという意識が強くなり、お金が貯まるかも知れませんね。
おわり
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NHK受信料
 以前、職場の新年会のとき聞いた話ですが、まだNHKの受信料を白黒料金分(現在は白黒契約はありません)しか払っていないのに、カラーで見ている視聴者がいましたね。
 また、BSを見ているのにBS受信料金を支払っていない視聴者も結構いるようですね。まじめに、カラー受信料金やBS受信料金を払っている人は、払っていない人達の分も余分に払わされていることになります。
NHK、受信料で強制執行を通告 8都府県の12人に
 NHKは20日、受信料の支払い督促に応じない8都府県の計12人に対し、30日までに支払わなければ各地の裁判所に強制執行の手続きを申し立てると通告する文書を郵送した。通告は昨年5月と11月に続き3回目。NHKによると、12人の都府県別の内訳は東京2、神奈川2、群馬1、大阪2、京都1、兵庫2、山口1、佐賀1。群馬と佐賀が対象になったのは初めて。遅延損害金などを含めた請求額は計約142万8千円になるという。NHKはこれまで、通告文書を35人に送った。実際に強制執行の手続きを申し立てたのは29人。

NHK、受信料で強制執行を通告

ニュースの「言葉」

NHK(2011年1月11日)国内唯一の公共放送。1926年に社団法人日本放送協会として設立。放送法施行に伴い50年、特殊法人となった。外部の有識者らでつくる最高意思決定機関の経営委員会が、会長人事など重要事項を決定。日常業務は会長や理事が執行する。予算は国会の承認が必要。主な財源は受信料で、2010年度予算の事業収入約6786億円のうち約6550億円を占める。職員数は約1万500人。

支払い督促(2003年8月16日)債権者の申し立てに基づき簡易裁判所の書記官が口頭弁論を開かず、書面審査だけで債務者に金銭の支払いを命じる略式の訴訟手続き。簡単な手続きのため、専門的な法律知識がなくても利用でき、手数料も安いのが特徴。督促送達後、債務者が2週間以内に異議を申し立てなければ、債権者のさらなる申し立てで簡裁が仮執行宣言し、その後2週間以内に異議がなければ確定判決と同じ効力を持つ。異議申し立てがあると通常の訴訟に移行する。

 私の知人(NHK関係者)の話では、北海道の場合も、NHK受信料の不払い者が多いそうです。いっそのこと、NHKもスクランブル放送(音声・映像放送を特定の受信者しか受信できないように電波信号を変調させること。)にしたらいかがでしょう。
 これですと、お金を払っている視聴者だけが、NHKを受信することが出来ます。地震や津波などの緊急放送時のみスクランブルを解除すればよいのです。我が家のような、年金受給者にとっては、年間24,000円(地上、BS)の出費は大きいですから、直ぐに解約しますね。
 また、NHKもスキャンダルの固まりですね。受信料を払うのが馬鹿馬鹿しくなります。

NHK政治部官邸キャップが実名告白「私はこうして官房機密費を手渡された」> 「総理外遊先のホテルの部屋に呼び出され、首相秘書官から現金入りの封筒を渡された。驚いて突っ返したら『そんなことしたら仕事ができなくなるよ。あなたの先輩もみんな受け取ってるんだから』といわれた…」
NHK職員が告発 オリンピックの闇> 電通を代理店に介在させ通常より放映権料を60億円高くしたとか。どうせ色々なシロアリが群がっているんだろうなー。キックバックが日常茶版事化しているのかな。
全文>bit.ly/NfkzFR
電通がぼったくり!> 「ロンドン五輪、その放映権についてはどす黒い暗部が明らかになってきた。バンクーバーオリンピック(冬期)と合わせた放映権料325億円は電通の言い値をNHKなどが丸呑み。
bit.ly/RpjhJI
NHK平均報酬(諸手当込み)は1780万円 一般給与の4倍※1> NHK職員の平均給与は、なんと1185万円。退職手当などを含めると報酬は1780万円に達するという。サラリーマンの平均報酬は440万円だから、ざっと4倍だ。
 もともとNHK職員の給与は、国民から強制的に徴収した受信料だ。
30年間、給与が上がっていない国民が、なぜ右肩上がりのNHK職員の高給を負担しなければならないのか。しかも、NHKは数字のトリックを使って国民を騙(だま)していた。※日刊ゲンダイ
NHKの平均給与1,041万円> NHKの言い訳
「フジテレビジョン1,572万円、TBS1,570万円、日本テレビ放送網1,427万円、テレビ朝日1,355万円、テレビ 東京1,231万円---在京民放キー局の従業員平均年収」と、バランスを取っているそうです。
★NHKの不祥事(最新版)> 【NHK職員平均給与1,041万円の不祥事の記録】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E3%81

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将棋とチェス
 将棋はインドが発祥なんですね。これは仏教の伝来と似ています。
 仏教の方は、インドから中国に伝わり、中国仏教として日本に伝来しましたが、もしも、釈迦仏教が中国を経由しないで、直接、我が国に伝わって来たとしたら、歴史が相当変わっていたのではないかと思います。
  将棋とチェスの大きな違いは、将棋は死んでも(駒を取られても)相手側の駒(寝返り)になって盤に戻れますが、チェスは死んだら盤に戻れないということでしょうね。
 考え方によっては、チェスの方が潔いゲームなんですね。
 ところで、将棋の駒には、「王将」ろ「玉将」があるのですが、私のような素人同士が対戦する場合は、何も気にせずに「」と「」を使っていますね。
 一般的には、実力的に目上の者が王将下位の者が玉将を用いるようになっています。
 但し将棋のルールでは、「王将」と「玉将」の違いはありません。
 そこで、なぜ、「王将」と「玉将」とに区別されたのかを調べたところ、「天に二日なく、地に二王なし」との言葉に基づいて、王は1枚になったとのことです。
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身体が資本
 1980年代のバブル景気の頃は、サラリーマンを辞めて独立することを「脱サラ」と呼んで流行りましたが、現在は不景気ですので難しいでしょうね。アベノミクスで、景気は上向いていると政府は言いますが、それは一部の大企業だけでしょうね。
 私の親族や知人にも、何人か中小企業の社長がいるのですが、景気が良くなっているとはとてもとても言えないそうです。


知的資本経営の考え方

  労働者の場合、やはり「身体が資本」ですので、これは資本家と大きな違いですね。つまり資本家は、大きなビルと工場や土地、工作機械などの生産手段と資産を持っており、多数の労働者を使っております。
 私達のような庶民が所有しているのは、小さな家や狭い土地、マイカーと家庭用電化製品といった、ローンを組んで購入できるものくらいでしょうね。大切なことは、現在の生活を維持する為には、労働者は身体が資本ですので、健康には十分に注意しましょう。
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撃たせて討つ、真珠湾攻撃
 日本海軍による真珠湾攻撃は、初めからアメリカに察知されていたという説があります。そのように考えなければ、航空母艦4隻を主軸とする日本海軍の大機動部隊が、アメリカの偵察機や潜水艦に発見されずに、ハワイの近くまで進航できるわけがないのです。
 当時のアメリカは、それまで中立政策を保っていましたが、イギリス本土が、ドイツ軍から空襲を受けていたため、チャーチルからの要請もあり、参戦の機会をうかがっていたといわれています。
 そうした情勢の中で、すでに日本海軍が真珠湾を攻撃するという情報が入っていたのです。そこで、アメリカは、日本に先に「撃たせて討つ」という方針をとったということです。
 日本は、アメリカに対して、宣戦布告をせずに真珠湾を攻撃をしたことにより、アメリカ国民の怒りをあび「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)の合い言葉を生み、アメリカの世論を、日本との戦争に向かわせるきっかけになったのです。
これにより、アメリカ政府がもくろんだ通りになったといえます。

Attack on Pearl Harbor 真珠湾攻撃

 当時、日本とアメリカの石油、鉄など主要物資の生産量は、1対77で、しかも、日本は、戦争に必要な物資のほとんどを、アメリカに頼っていたのでした。これでは、人のふんどしを借りて相撲を取るようなもので、戦争には勝てるわけがありません。
 そのため、日本海軍司令長官・山本五十六大将は、真珠湾奇襲作戦により、アメリカ太平洋艦隊を殲滅させることで、早期講和を目指していました。
 しかし、日本海軍が真珠湾を奇襲攻撃したとき、イギリスのチャーチル首相は(アメリカが日独伊枢軸国に宣戦布告することで)「これでドイツに勝利することができる」と語ったと言われています。
 そうして、中立を保ってきたアメリカが参戦し、結局、第二次世界大戦では、生産力と資源に劣る日本とドイツ、イタリアの枢軸国側が、敗北するのです。
おわり
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「人間が楽しみ」・「最高の楽しみ」
 私は、競馬や競輪、パチンコの経験はありません。他のギャンブルも全く経験がありません。好きだとか嫌いだとかの問題ではなく、全く興味がないのです。また、酒もタバコも女遊びもやりませんから、「一体、何を楽しみに生きているのか」と聞かれたことがあります。
 そういうときは、「人間が楽しみです」と答えます。
 良い人間、悪い人間、がめつい人間、ケチな人間、楽しい人間、冷たい人間、寂しい人間、温かい人間、嘘つきの人間、正直な人間など、色々な人間がいるから、今の世の中、面白いのですね。
 お母さんのお腹の中から「オギャー」と産まれた時は、皆、何の欲もない正直な人間だったに違いありません。
人間の資質や人格というのは、いつから形成されるのでしょうね。

スカイラインGTS(NISSAN SKYLINE GTS)
私はR30とR32のGTE、そしてR33型のGTSに乗っていました。

 私の青年期、最高の楽しみはクルマでした。特に中年期から乗ったスカイラインは最高のクルマでしたね。免許を取った時(40年前)は、3万円で買った日産セドリックの中古に乗っていたのですが、第一次オイルショック(大手石油会社役員の発言「千載一遇のチャンス」で有名)が起きてから、燃費の良い大衆車に切り替え、その後、ブルーバードなど日産車を乗り継ぎ、昭和58年(1983年)から定年で退職(2008年)するまでの25年間はスカイラインを乗り継ぎました。
 私は、気に入ったクルマは何年でも乗りますが、そうでなければ、1年以内でも他のクルマに乗り換えてきました。
 乗った日数が一番短かったのは、日産サニーでしたね。
新車を購入してから僅か3ヶ月で、スカイラインに乗り換えました。
 その理由は、まず、日産サニーのエンジンオイルの消費量が多かったからです。その事について、日産サニー札幌本社に問い合わせたら「1000キロ走行でエンジンオイルが1リッター消費するのは故障ではない」等というのです。その回答に対し、私が「オイオイ、日産サニーはママさんバイク並にエンジンオイルを消費するのかい」と言ったら、答えが返ってきませんでした。更に、日産サニーのトラブルの極めつけは、冬場、ワダチも何もない平坦な雪道で、交差点の信号が見えたので、静かにブレーキを踏んだ途端に180度スピンした時は、驚きましたね。
 その結果、日産サニーは諦め、スカイラインR30に乗り換えたわけです。 日産以外のクルマには、乗りたいとは思いませんでした。
おわり
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大学教授の講義や講演
 大学教授の話は、堅いという点では定評があります。 大学というところは「教育と研究の場」ですが、良い教育者といっても、良い研究者であるとは一概にはいえません。また、優れた研究をしている教授であっても、講義や講演が上手だとは言えないのです。

当時の電気工学科教職員(教授、助教授、助手、技官、事務官)と
学生・大学院生
  大学教授になるためには、それぞれの大学や学部によって異なりますが、まず、旧帝大レベルの博士課程で博士号を取得しなければなりません。
その上で実績を積み重ね、助教から准教授にならなければなりません。
そして、トップネームで専門分野の学会論文(フルペーパー)三十編以上の業績、その他、経歴や人格などが評価され教授会で決定されます。
 しかし、教授に昇任できる資格があっても、現在の上司である「教授のイエスマン」でなければ、教授になれませんね。また、講義や講演の上手、下手は、大した問題ではないですね。

<御用学者になるためには> 
 ドラマ「白い巨塔」を見た方には想像がつくと思いますが、大学教授になる場合、助教(助手)や准教授(助教授)の時から、上司に逆らったら終わり、一生干されます。
 自分がいくら正しいと思った事でも、教授のご機嫌を損ねてはなりません。更に御用学者になるには、多額の科学研究費や膨大な寄付などを獲得しなければなりません。
おわり
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もし明治維新が無かったら
  NHKや民放では毎年のように「新撰組戊辰戦争」を題材にしたドラマが放映されておりますが、もし、明治維新が無かったら、我が国はまだ江戸時代で鎖国状態であったかも知れません。
 そして、人々はちょんまげや島田を結って歩いていたと思います。
士農工商の身分制度により、武士や役人の力が強大で、逆らうものなら切り捨てられるか即座に牢屋に入れられたでしょうね。


白虎隊(1986年) ユニオン映画制作 (戦闘シーン)
【監督】:斎藤武市 【出演】:森繁久彌 坂口良子 池上季実子 工藤夕貴 里見浩太朗 丹波哲郎 西田敏行 堤大二郎 本田博太郎 風間杜夫 多岐川裕美 竹脇無我 竜雷太 長門裕之 田中好子 岩崎良美 野川由美子 富田靖子 美保純 南田洋子 赤座美代子 坂上忍 火野正平 柳沢伸悟 田中健 近藤正臣 夏八木勲 中村橋之助 三田明 丹波義隆 あおい輝彦 泉谷しげる 勝野洋 石橋正次 伊沢一郎 ほか
全て見る>白虎隊
 では、徳川慶喜と孝明天皇が進めていた公武合体ならどうでしょうか。これでも、藩が残り、各地の殿様による封建制度が続いていたでしょうね。
やはり、明治維新があったからこそ、現在の日本があるのだと思います。
 私は、新選組副長の土方歳三が好きですね。自分の信念を最後の最後まで貫き通したという点では尊敬しております。新撰組ドラマの土方歳三役は、やはり「栗塚 旭」(出身地 北海道札幌市)でしょうね。
 私は、新選組の始末記を描いたTVドラマ「燃えよ剣(司馬遼太郎原作)」のビデオ13巻(販売元: 東映ビデオ VHS発売日: 1998/05/21)を全巻買ったくらいですから、土方歳三にいかに憧れているかがお分かりでしょう。
おわり
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YAHOOオークション
 YAHOOオークションでは、私はいままで詐欺に1回遭遇し、また不良品をつかまされたことが数回あります。詐欺被害にあった時は、こちらが代金と送料を支払っても、商品がいつまで経っても届かず、いつの間にか出品者(詐欺師)が姿をくらましてしまいました。この詐欺師に引っかかったのは私だけではなく、複数いたようです。
 私は、詐欺師の店舗(東京都内)に数回電話をしてみましたが、全く通じなかったですね。
私の被害額は、8,000円位で、大したことはなかったのですが、YAHOO補償制度を利用しようと思い、ヤフーの担当者に問い合わせたところ、警察に被害届を出すように言われました。
 そこで、最寄りの警察署に被害届を出そうとしたら、警察官から調書の作成に4時間以上も掛かると言われたため、諦めることにしました。
 高い評価の出品者から商品を購入すれば、問題は少ないと思っていたのですが、今回の詐欺の場合は例外で、出品者は店舗を構え、新品ばかり扱っており、更に結構高い評価をされていました。
 次に、不良品を掴まされた件についてですが、例えば、故障したCRTディスプレーや、修理が必要なVHDプレーヤー、録画ができないビデオデッキなどがありました。
 出品者に十分な実績(非常に良い、良い)があったとしても、落札する前に、商品を直接見ることが出来ませんから、動作確認のしようがありません。但し初期不良交換をしてくれる出品者であれば、被害が最小限に押さえられます。
 また、高額商品の取引をする場合は、出品者の住所、氏名、電話番号を確認しておくと、ある程度は安心できます。
 しかし、ヤフーオークションでは「ノークレーム・ノーリターン」が通例ですので、どうにもなりません。
 出品者から届いた商品が、正常に動作すれば、運が良かったと思い、動作しなければ、残念だと思って諦めることですね。
おわり
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イタリア式路上駐車方法
 イタリアでは、どこの都市に行っても路上駐車の凄まじさがあります。
ローマやミラノなどの大都市では、東京や大阪の路上駐車など問題にならないほど酷いものです。なにせ、全ての道路両側に路上駐車をしていますから、走行中のクルマは恐る恐る道路の中央を走らなければなりません。
 まあ、古代遺跡や古い建造物保護のため車庫を作らせないで駐車禁止にしてもどうにもならないという事ですね。それに対して、日本の路上駐車は可愛いものです。
 イタリアでは、道路全体が駐車場と仮していると言っても過言ではありません。たとえば、ミラノ市内では、私たちが乗っていた観光バスが交差点を、右折しようとしたのですが、二重駐車していたクルマの為、半分ほど曲がったところで、身動きが取れなくなったのです。

ミラノ市内の路上駐車風景(観光バスから撮影、ビデオ映像より)
 そこで、観光バスの運転手がクラクションを鳴らして二重駐車の運転手を呼び出そうと試みましたが無駄でした。後続の乗用車もクラクションを鳴らし始め付近は騒然となりました。そのうち歩行者が大勢集まってきて、観光バスが右折できるようにと二重駐車をしている乗用車を押したのですが、これも無駄でした。
 結局、反対側に駐車していた乗用車の運転手がクルマを除けたため、バスはようやく交差点を曲がることが出来たわけですが、二重駐車の運転手はとうとう現れませんでした。
 映画でよく見るように、バンパーで押すことが出来たら、恐らくやっていたかも知れません。しかし、新しい観光バスでしたから、運転手はバンバーに傷つけたくなかったのかも知れません。
 日本人の車に対する考え方とか、交通マナーの常識も、イタリアでは全く通用しないようです。このように全ての常識が、イタリアに限らず外国と日本とは相当異なるようです。

ローマ市内の路上駐車風景(観光バスから撮影、ビデオ映像より)

夢のイタリア8日間の旅(ビデオ)
<イタリア人とオランダ人
 イタリア人は歴史上では、文明国の大先輩かもしれません。また、イタリア人は庶民的で明るく、陽気でユーモアがありますね。 その昔、地中海周辺の国々とヨーロッパを支配した大ローマ帝国を築いた人達の子孫とは思えません。体格も、日本人と比べてそれほど大柄ではありません。むしろ小柄な人が多いと思います。
 それに対して、オランダ人は背も高いですが、プライドも高いです。この差はどこからくるのでしょうか。まさか、第2次世界大戦では、イタリアは日本と同様、敗戦国で、オランダは戦勝国という訳でもなさそうですが、いろいろな場面がありました。
 たとえば、オランダのアムステルダム空港の土産物売場では、ある日本人が店員から「英語で話さなければ売れない」と言われておりました。
私は、その日本人が可哀想と思いましたが、オランダ人から何と言われているのか分からないのが幸せなんですね。
 ところで、イタリア、いやヨーロッパ全体かも知れませんが、ホテルなどのビルは、0階から始まるのです。つまり日本の1階がイタリアでは0階で、日本の2階がイタリアでは1階なのです。これには戸惑いましたね。
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子育てと躾け
  昔から、子供を見れば、その子の親の資質と、どのように躾けをしているかが分かると言われておりますが、親族による犯罪が増加している現在は、そうとも言えないかも知れません。
 私は、我が子に対しては、最低でも道徳心(道徳を守り、善行をしようとする心)くらいは教えるようにしてきました。
 よく、「子は親の鏡」と言われますが、逆に子供から教わることも多いわけで、ものごころが付くようになりましたら、その子の人格を認めて上げなければならないと思います。
 子供が3歳にもなれば、「あの人は可哀想だ」とか、「困っている人を助けて上げたい」というような、世情や人情がわかるようになるものです。可愛いですね。
おわり
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クリスマスプレゼントの思い出
 クリスマスには早い話なのですが、デパートで子供のためにプレゼントを買い物すると、店員がサンタクロースに扮装して、親が買ったプレゼントを自宅まで配達してくれますよね。
 子供は、そのサンタクロースが、デパートの店員だということを見抜いているのでしょうね。もしそうなら、味気ないと思いますから、親から直接、子供にプレゼントを手渡した方が良いと思います。
 クリスマスプレゼントの思い出と言えば、私が10歳くらいの頃、玩具のカメラ、といっても、ちゃんと撮れるカメラですが、親からプレゼントされた事があります。
 私は、そのカメラを札幌丸井デパートで下見しておりましたから、カメラの値段も550円当時、封書10円 はがき5円  バス15円 ふろ代16円 理髪料金150円の頃)であることが分かっておりました。

「スタートカメラ」
ボルタ判フィルムカメラ

スタート35
 ところが、両親は、1ランク低い380円のカメラを買ってきたのです。
これには少しガッカリしましたね。
 当時、私たちの生活が苦しかったのに、子供にプレゼントをしなければ、親としての面目が立たないという現実が滲み出ておりましたね。
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ネットオカマなど
 私は、かつてのパソコン通信、NECが主宰していたPC-VANでは、意外と女性のメル友が多かったのですが、特にもてたわけではありません
しかし、ときどきネットオカマと遭遇して、気分を悪くしたことがあります。ネットオカマの中でも、私の娘や姪と同じ名前でメッセージを掲載していたトンでもない会員が居ましたから困ったものでした。
 たとえば、「しのぶ」や「ひろみ」といった名は、男女ともよくある名前と思いますので、ネットオカマとは断定は出来ないのですが、「いずみ」や「みゆき」という名は、男性の名としては滅多にないので、本物の女性か、それともネットオカマのいずれかと思われましたので要注意でした。


道警相談センターの担当者>

 ところで、空き巣の件で、道警に相談したところ、「ピッキングに強いシリンダーにしてください」、「サムターン回し対策をしてください」、「ドアに補助錠を取り付けてください」、「窓にも補助錠を設置してください」などと教科書通りのご指導を賜りました。
 私は警察官の指導内容よりも、その電話の声に関心がありました。
 私はその声が、若い男性警察官かと思っていましたが、後日、別の建物での空き巣被害について相談をしたところ、前回、指導した警察官は男性ではなく、「男の声」をした女性警察官のようでした。
 更に不思議に感じたのは、道警の相談センターからは、「被害届」の提出を勧める話は一度もされなかった事です。
 相談センターは、被害届の提出の件よりも、防犯対策中心でした。
 さらに「玄関に小麦粉などの粉を撒いておけば、足跡が付くので捜査する場合、証拠になります」等と矛盾したご指導を賜りました。それは、被害届を出さなければ、足跡などどうでも良いからです。
 北署の警部補からは、これ以上、空き巣被害を拡大させないように、すぐ「被害届」を出すよう勧められたのですが、道警の相談センターは多忙なのか、それとも管轄が違うのか、「被害届」は関係なさそうでした。
おわり
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ウォッシュレット
 毎日、ウォッシュレットのお陰でトイレを快適に使っております。まだ取り付けていないお宅にはお勧めです。
旧式のウォッシュレットは、ボタンを押すと、洗浄口から急に水が出てしまい、慌てることが多かったのですが、現在の機種の多くは、便座に腰掛けなければ、水が出ないようになっておりますので安心です。
 20年ほど前、親戚の家で、旧式のウォッシュレットの使い方が分からず、色々なボタンを押したところ、ノズルの水が便器から飛び散り、トイレを水浸しにしてしまった苦い経験があります。
 そのとき、叔母に「誰だ、チ○ポが曲がっているのは!」と叱られました。どうやら、飛び散った水が、私の小便と思ったようです。
私も直ぐに「水道の水で水浸しにして済みません」と謝れば良かったのですが、叔母が「チ○ポが曲がっている」と言うので、どうしても謝れませんでした。
そこにいた4人の従姉妹からも、私の顔をジロジロ見られてしまい、いやあ、格好悪かったですね。
 さて、その快適なウォッシュレットですが、妻が一番嫌がります。
お尻を撫でられているようで気持ち悪いようです。
 また、消費電力も相当なもので、便座や温水の保温に、300ワットくらい消費します。




ローマ時代の水洗公衆トイレ
(本文とは関係有りません)

フォートラベル
 ウォッシュレットでは温度制御をしているようですが、冬期の北海道のトイレは非常に寒い為、便座や温水の保温は、ほぼ入りっぱなしになります。 そのため、ウォッシュレットだけの電気代は月に3000円~5000円(冬の北海道の場合)はかかります。
 節電のため、温水の保温のみを切ったことがあるのですが、数日間、自宅を留守にした時、寒波の為、ウォッシュレットの貯水タンクが凍結して破損したことがありました。
結局、修理代も掛かった為、節電の結果、高くついてしまいました。
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窮屈なバス
 先日、久しぶりにバスに乗ったのですが、後から乗ってきた中年の女性が20cm位しか隙間がない狭い座席に無理矢理座ったのです。
 その女性は、座ると私をギュウギュウ押しつけ、雑誌を開いて読み出しました。
女性が中年ともなると、恥じらいも可愛げもなくなるんですね。
その状態が20分くらい続き、中年女性は途中で降りましたが、いやあ辛かったですね。
 私は、我慢が出来ないので立とうと思いましたが、混んでいたため、それもできませんでした。
 バスの座席の寸法を、もう少し広くして頂きたいものですね。



幼稚園バス
(本文とは関係有りません)
おわり
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進化している音声認識技術
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 ある新聞に10年後は、だれもがみなコンピューターと会話しているだろう、という記事があったのですが、音声認識技術の進歩は非常に早く、クルマに埋め込まれたコンピューターや家庭用ビデオデッキなどに対して、音声による指示を出すことで全ての操作が行える時代になるといいます。
 近い将来、音声でクルマに指示を与えると、自動的に目的地まで行ったり、家庭では御飯を炊いたり料理をしたり、掃除や洗濯も、すべてコンピューターの音声認識で行うと言う夢が現実になるでしょう。


音声認識技術の今 
おわり
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内地、外地
 私が子供の頃は、叔父や叔母が、出身地である山形県のことを内地と呼んでいました。それで、小学生だった私は「内地=山形県」と認識していたのです。ということは、北海道は外地ということですね。

 言葉は、子供に影響を及ぼしますから気をつけなければなりません。
また、北海道の山々を切り開き、大自然と闘った人達が、本州のことを内地と呼ぶのは分かるような気がします。

山形県 ふるさと納税
 沖縄の人達も、本州を「内地」とか「やまと」と呼んでいるようですが、九州でも、本州のことを内地と呼ぶことがあるようです。
また、九州では、天草から見た九州のことを内地と呼んでいるそうです。これも何となく、わかるような気がします。

 聞くところに寄りますと、天草には小さな小島に数十戸の集落が在り、郷土意識が無いと、とても永住出来無い所だそうです。
北海道にも同じような集落があちらこちらにありますが、やはり永住するには、郷土意識や郷土愛が必要なんでしょうね。
おわり
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中国の新作戦綱領
 1999年1月、中国は、装備の近代化とハイテク戦争時代に対応する人民解放軍の即戦力の強化を柱とした新作戦綱領を策定しました。これは湾岸戦争の教訓から、ハイテク戦への対応を目的にしていると思われます。
 中国では経済の自由化が進み、社会主義国でありながら、計画的な生産と平等な分配ではなくなり資本主義化しております。
従って、資本主義が生み出す、経済的・社会的諸矛盾がどんどん進行し、貧富の差がますます増大しております。
 その為、人民解放軍は、もはや中国人民のための軍ではなく、中国共産党を守るための軍と仮して来ております。


 現段階で、中国に戦争を仕掛ける国はあるでしょうか。
もしも、あるとしたら、かつての朝鮮戦争と同様に、朝鮮半島で局地戦が起こった際に、義勇軍、すなわち人民解放軍の参戦というかたちになると思われます。

朝鮮戦争
 中国は、想定する局地戦の作戦条件を「一般条件下」から「ハイテク条件下」に変更して、新軍事思想を反映しております。
 想像ですが、もしも、第三次世界大戦が起こるとしたら、人間が行う戦争ではなく、映画「ターミネーター」のような、ロボットやサイボーグのようなマシンが行う戦争になるのではないかと思われます。
人間は、ただ、逃げ回るだけでしょう。

TERMINATOR 3 -The Redemption PS2 Opening
おわり
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首都圏 平均通勤時間90分
 数年前ですが、首都圏では、平均通勤時間が片道90分と言われていました。いやー、これはちょっとした旅行並みの乗車時間ですね。例えば、札幌から汽車で90分と言いますと、北は旭川、南は室蘭でしょうね。
 北海道では、とても通勤圏内とは言えません。しかも、90分というのは平均ですから、首都圏では2時間以上もかけて通勤しているサラリーマンが結構いらっしゃるということですね。

新宿歴史博物館
 どうりで、首都圏に出張の時、通勤列車の中で、かなり疲れているような若いサラリーマンやOLの姿をよく見かけました。いくら若そうに見えても、電車の座席を争う姿というのは、年輩者と同じです。シルバーシートに座る若者も多く、老人が乗ってきても席を譲ろうとはしません。
首都圏では、老人に席を譲る年代は、若者よりも中年者が多いようです。
おわり
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受動的、子供の将来
受動的」と言えば、現在の高校生や大学生などの若い人達は、個性が無く同じ事をやりたがりますね。流行に縛られているような気がします。
同じ方が取り残されないから安心という事なんでしょうが。
 昔の学生は、60年安保、70年安保、大学闘争などに見られるように、皆、個性があり「能動的」でした。昔のことを言うのは、歳を取った証拠と思われるかも知れませんが、まだまだ若い者には負けられません。

全共闘に封鎖された北大事務局
激動の北大史
原版(8ミリフィルム)は北海道大学大学文書館所蔵
     激動の北大史1969 「第1部前編」
     激動の北大史1969 「第1部後編」
     激動の北大史1969 「第2部 北大11.8」
     激動の北大史1970 「ANPO'70」
 子供の教育費も問題です。私の娘の場合、在学当時の出費は相当なものでした。国公立なら安く上がったと思います。また、通学定期券等の交通費(タクシー代含む)も、一ヶ月、2~3万円かかり、馬鹿になりませんでした。しかし、まだ自宅から通わせていたので幾らか助かりました。 何れは、私たち親の苦労を、子供が味わうようになるでしょう。
 少子化のため、老後の不安もあり、また膨大な赤字国債を引き継ぐ子供達の時代は大変です。
 国は政治で赤字国債を何とかしなければならないのでは、と思ってましたが、赤字がどんどん膨らんで行ってますね。家計の場合、赤字が出れば節約するしか方法がありません。
 国の場合も同じでしょう。現在は、国庫収入の約半分を国債の発行(借金)で賄っています。
国債の額が増えすぎると、国債の利子すら支払えなくなるのです。国が国債の利子を支払えなくなると、当然その国の信用はなくなり、国債の価値は暴落します。その結果、国はもはや新規の借り入れはできなくなり、国の資金繰りが行き詰まるとともに、国債を大量に引き受けている銀行や郵貯なども、多くは一緒に破綻することになるでしょう。
 もし、国の財政が破綻すると、国民の持っている預貯金などの財産は、みんな紙屑同然になってしまいます。
 この危機的状況を、全ての国民が認識するには、まだ暫く時間が必要でしょうね。その時は、もはや手遅れでしょう。
おわり
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戦争とは、宗教とは
 戦争とは、端的に言いますと、国家間の覇権争いや領土争いです。
また、戦国時代や明治維新の戊辰戦争や函館戦争などの内戦もありましたが、これは同じ民族同士の戦争でした。

新選組血風録 1965年7月11日~1966年1月2日 テレビ放送
出演:近藤 勇(舟橋 元) 土方歳三(栗塚 旭) 沖田総司(島田順司)
 有名な十字軍の遠征というのも、イスラム教徒との戦争です。
 十字軍は、中世(11世紀初期から13世紀後期)に、西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に、9回に渡って派遣した遠征軍のことで、いずれもイスラムの包囲網の中に孤立した聖地の救援に直接影響を与えることなく、敗退するという結果になりました。
 
また、宗教戦争というのもありました。
 それは、宗教上の問題が原因で生じた戦争であり、一般には、宗教改革後の16-17世紀、ヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントの対立から起こった一連の戦争を指しています。しかし、必ずしも宗教上の対立のみではなく、政治的な利害も複雑にからみ、深刻な争いとなりました。
 ところで、キリスト教の精神は、神の下では皆平等であるということでしたが、ヨーロッパの王族貴族は神権を振りかざし、このキリスト教を利用して国家を治めていました。

70ミリスペクタクル映画「キング・オブ・キングス」予告編 (1961)MGM
イエス・キリストの生涯を描いた作品
 しかし、宗教を利用して国を治めていたのはキリスト教の国家のみではなく、イスラム教もヒンズー教も皆同じです。
 戦前の日本も、天皇を現人神として崇めていました。このように、人間は皆、神には弱いですからね。しかし私のような無神論者は別でしょうね。
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凱旋パレード
 外国には、フランスの凱旋門やイタリアのアッピア街道などのように、古代や中世の軍隊が凱旋パレードをした遺跡がありますね。
 元々、軍事パレードは、国家元首などへのお披露目や内外への示威目的で行われ、兵士の行進を伴う国家の儀式であり、古代エジプトやローマ時代から19世紀後半までは、行進と戦闘が結びついていました。今日の軍事パレードでは、国家や軍の記念行事として行われる場合が多いです。

映画『クォ・ヴァディス』(Quo Vadis)は1951年(MGM)
  労働組合や平和団体が行うデモも、隊列を組んで行進しますから、パレードは軍事的なものだけではありません。また、行進曲でも、軍隊の行進曲の他に、葬送行進曲や結婚行進曲がありますね。
それはともかく日本には何故、外国にあるような凱旋門がないのでしょう。
おわり
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自営業と宮仕え
 自営業の場合は、景気に直接左右されますが、宮仕え(公務員や会社員など)の場合は、すぐには影響はありません。しかし、社会が不景気になりますと、賃金や諸手当がジワジワっと下がり続けます。
 また、宮仕えでは、部署によっては、上司や部下との人間関係に神経を使うことも多くなります。
 その点、自営業ですと、客との関係が最大の人間関係でしょうから割合に気楽だと思います。この関係さえ大切にしていけば、商売繁盛は間違いなしです。


週刊平凡(昭和39年4月16日号)
 北大に在職当時、私の周りには、教授や上司との人間関係で、神経過敏になったり、神経衰弱に陥ったりする教職員が、結構おりました。そこで、如何に健康に生き抜くかが、最大の課題になっておりました。
 植木等の大ヒット曲で「サラリーマンどんと節 」にあるサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、という台詞はもう昔の話になったようです。

クレージーキャッツ メドレー
おわり
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20年前の予測
私が20年前に予測したこと

 21世紀には、ネットワーク上での商取引が盛んに行われる時代になるようです。衣類、学用品、食料品、住宅、テレビ、ビデオ、カメラ等、キャッシュカードも定着し、現金は不要になるでしょう。いよいよ、本格的電子商取引の時代が到来か、と言われています。 
 しかし、現在(20年前の状況)でさえ、給料が銀行振り込みであるため、只働きのような感じですね。まあ、現金を持ち歩かないため、泥棒や強盗に襲われる確率は少なくなると思います。
 21世紀の泥棒は、一体何を盗むのでしょう。
架空請求とかオレオレ詐欺など、ネットワークや携帯電話を悪用した犯罪が極端に増加します。これらの犯罪の共通点は、お互いの顔が見えないことと、住所不定で匿名、あるいは偽名であること、そして違法に入手した銀行口座を利用しているということですね。
 詐欺から自分を守るには、このような人物の言うことは「絶対に信用しない」ことと、相手にせずに無視するしかありません。

 さて、20年前に予測したこと上記が、結構当たっているように思います。しかし、いくら当たったとしても、たいへん残念なことですね。
日本人としての資質と品性が問われる問題
です。
 そもそも、国政についても、憲法違反で当選した議員らが政権を握っており、復興税や消費税など、国民の血税にシロアリ官僚が集り公約違反のTPPに参加するといった安倍政権の資質と品性が問われています
 そしていま、憲法違反で当選した議員らが、憲法を改正し、基本的人権が脅かされようとしています。
日本の政権が狂えば、国民の考え方も利己主義、道徳心欠如など、どこか狂い始めます。やはり天変地異も、このような社会全体に降りかかるのかも知れません。
 私が20年前に予測できなかった大きな問題は、東日本大震災と福島第一原発事故そしてTPP参加問題でしょうね。
やはり個人が予測できる事は、経済的な身近な問題が中心になりますね。
おわり
目次
喜びも悲しみも幾年月
 映画では、灯台守の主人公「佐田啓二(中井貴一と中井貴惠の父)」が、妻の高峰秀子と共に、戦前から戦中、そして戦後を厳しい任務に耐えながら、石狩灯台など日本各地の灯台勤務の中で、様々な物語が展開します。
 やがて主人公は、息子(中村嘉葎雄)を亡くし、娘(有沢正子)は結婚して外国に行ってしまうという映画でした。
 映画のクライマックスで、娘が乗っている客船に霧笛を鳴らして見送るシーンでは涙が出ましたね。このような話は、現実でもあり得ると思います。 主題歌も大流行しました。

Times of Joy and Sorrow 喜びも悲しみも幾歳月 (1957)

解説 喜びも悲しみも幾歳月
[監督]:木下恵介 [出演]:佐田啓二 ,高峰秀子 ,有沢正子 ,中村嘉葎雄 ,田村高廣
 主題歌「喜びも悲しみも幾歳月」YouTube(歌:若山彰)

 私には娘が一人おりますが、その娘はもう38歳になってしまいました。
私は早く結婚するよう勧めているのですが、その気がないらしいですね。
準備できる結婚費用の関係上、遅くとも私が現役のうちに結婚してほしいと希望しておりましたが、もはや手遅れのようです。
 「喜びも悲しみも幾年月」ですが、家族全員が、精神的にも身体的にも健康であれば喜びが大きいと思います。
おわり
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葬式、墓地
 葬式の費用は、高い葬儀屋を使わない限り、香典でだいたい賄えます。
私の父親の葬式の時は、約二百人の参列者がありましたが、香典も二百万円位頂きました。
 祭壇や霊柩車などの費用、全て合わせて百八十万円くらいかかりました。残った二十万円は、今後の法要の経費にまわしました。
 問題は、墓地と仏壇です。私の父親は、次男でしたので本家の墓には入れません。従って新規に建立したのですが、永代供養費を入れて二百万円ほどかかりました。仏壇は仏具込みで三十万円。紫檀にしては結構、高価でしたね。
 当時は消費税導入前でしたので、葬儀費用や墓地や墓石、仏壇などはその分、安くあがりました。
 現在は消費税がかかりますので、葬式と墓地などに、四百万円かかった場合、単純計算で消費税が10%になると、四十万円も税金として税務署に持って行かれます。
 ところで、火葬の場合、骨壺一杯にお骨を拾うのはやめて、粉末にして盃程度かコップ一杯にできますと後の始末が楽なんでしょうね。
 それでも火葬は、土葬と比べますと、スペースをとらないため墓地も狭くて済みます。
 何故か、このような文章を書いていると、人生が空しくなってきますね。
  色即是空、空即是色

写真(新聞)のクリックで拡大します。
おわり
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リフォーム
 私の弟の住宅なんですが、2階に8畳間と6畳間の2部屋増築するのに約900万円もかかりました。つまり坪単価が何と約130万円もかかってしまったと言うことですね。
 リフォームの際に、1階のキッチンとバスルームを改修したようですが、それにしましても、坪単価が何と約130万円とは高すぎると思います。
 私の自宅は、新築してから35年にもなりますが、壁に貼ってある布クロスが変色したり傷んできましたので、自分で貼り替えました。
 業者に頼むとお金が相当掛かりますし、クロスを張り替えるにしても、本箱やパソコンなどの移動が大変です。特に、パソコンやオーディオ関係の機器類の配線がぐちゃぐちゃで、私、本人でさえ、何のケーブルか分からなくなることさえあります。そのため、クロス貼り替え業者に、機器類の移動を頼むことは出来ません。
 さて、自分でクロスを貼り替えた箇所は、天井や壁などの見える部分のみです。本箱やオーディオラックの裏はそのままの状態です。しかも、従来の布クロスを剥がさないで、糊付きのビニールクロスを重ね貼りしました。
それでも結構、うまく行き、自己満足しております。お客さんが来られても、貼り替える前の、すすけた布クロスの状態よりもマシのように思います。
 クロス貼り替え専門業者に頼むとしても、やはり、私の部屋はデスクトップパソコン6台とオーディオ機器類を片づけなければ、どうにもなりませんね。そもそも業者は、このままでは請け負わないでしょう。
おわり
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小中学校のパソコン
 1990年代の半ばには、小中学校の教室にハイテクを導入することが優先課題になっていましたが、コンピューターの維持や運用には、当初予想されていた以上のコストが掛かることが分かってきたようです。そして、「学校にコンピューターを」の合い言葉が、いまは聞かれなくなったそうです。

築港小学校子ども楽級パソコン教室
 私も以前、小中学校の廊下にパソコンが使われずに山ほど積んであるという話を聞いたことがあります。
その理由は、生徒を指導できるパソコンの教師がいないか少ないのが原因と言うことです。

 それなら、大学にはパソコンに詳しい技術職員が大勢おりますので、小中学校に派遣して教師を指導したら如何でしょうか。それでもダメなら生徒を直接指導するという方法も考えられます。この場合、小中学校では教員免許が必要と思いますが、実習補助としてなら問題はないと思います。

 当然、実習補助員の人件費は小中学校側に持って頂くことで、厳しい状況になっている大学側の経費の節約にもなり、また生徒は分かりやすく楽しいパソコン教育を受けられますし、大学の技術職員本人も勉強になると思われます。まさに、これは一石二鳥以上の効果が得られると思います。
おわり
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石炭ストーブ
 私が小学生の頃の昭和20年代~30年代前半の札幌では、まだ馬車や馬ソリで石炭を運んでいた時代でした。
 特に思い出すのは、便所の汲み取りでしょうね。汲み取り屋さんが、桶をかついでスタコラと歩いている姿を思い出します。小学校の周りは畑で、数カ所に肥溜めがあって、登下校時には石を投げて遊びました。

昭和20~30年代の小学校(私の母校)
 さて石炭ストーブですが、家庭では昔から色々な形式のストーブを使っていましたね。投げ込み型のキングストーブや、貯炭式のカマダストーブは長期間使っておりました。
 その後、新型のルンペンストーブ、と申しましても内釜だけ替えられる方式ですが、このストーブを使う頃には石油ストーブも出てきました。

貯炭式のカマダストーブ
「北海道の歴史ギャラリー」
 石炭ストーブで厄介な事は、煙突が油煙で詰まるため、定期的に掃除が必要になることです。私も子供ながら大変な仕事だなあと思っていたら、成長するにつれて、その煙突掃除をさせられることになりました。
 まあ、一番困るのは、数本の煙突を抜いて、ブラシでゴシゴシと擦るので、その際、油煙が身体中にかかって汚い、ということですね。
煙突掃除が終わった後は、必ず風呂に入らなければなりませんでした。
 石炭を置く場所は、「石炭小屋」とか「炭小屋」と呼んでおりました。平均的な家庭で、一冬に3トン位の石炭を焚きますから、炭小屋の大きさは、面積が畳2枚~3枚くらいで、高さが2メートルくらい必要でした。

煙突掃除ブラシ
 石炭の取り出し口は、幅30センチくらいの板を数枚重ねて仕切り、石炭が減ってくると、板を1枚ずつ抜いていくという仕掛けです。
いまは、石炭をどこで扱っているのか分かりません。これも時代ですね。
おわり
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平壌宣言と日本人拉致問題
平壌宣言(要旨)
1、2002年10月中に日朝国交正常化交渉を開幕する。国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む。
2、日本は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人びとに多大の損害と苦痛を与えたことに、痛切な反省と心からのおわびを表明。国交正常化の後、日本が朝鮮に対して、経済協力などを実施する。また、1945年8月15日以前に生じた事由に基づくすべての財産及び請求権を相互に放棄する。在日朝鮮人の地位に関する問題及ぴ文化財の問題について、誠実に協議する。
3、双方は国際法を順守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認。日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題について、朝鮮は今後再ぴ生じることがないよう適切な措置をとる。
4、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力する。朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、国際的合意を順守することを確認。また、朝鮮は、ミサイル発射のモラトリアムを03年以降も更に延長する。双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。
朝鮮総督府
朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ、朝鮮語:조선총독부)は、1910年(明治43年)の韓国併合によって大日本帝国領となった朝鮮を統治するために設置された官庁である。韓国統監府を前身とし、旧大韓帝国の政府組織を改組・統合したため朝鮮人職員を多く抱えていたが、枢要なポストはほぼ日本人が握っていた。初代総督は寺内正毅。総督は現役または予備役の陸海軍大将が歴任した。1945年、太平洋戦争における日本の敗戦にともない、連合国の指示により業務を停止。その後、権限はアメリカ軍政庁へ引き継がれた。

 私はまず、北朝鮮との国交正常化を急ぐべきと思います。また日米両政府が、戦後、北朝鮮への孤立化政策をとってきたことも、日本人拉致に油を注いだものと思われます。日朝の国交正常化が実現することで、拉致問題の全面解決を早めると共に、日本、特に沖縄の米軍基地重圧の軽減にも資することになるでしょう。また、マスコミが、拉致問題で大騒ぎしたために生じている在日朝鮮人への脅迫電話や銃撃事件などの卑劣な人権侵害や暴力は、国際的にも許されないでしょう。

平壌で「アリラン」開幕
 マスコミも営利企業ですから、視聴率さえ稼げれば、あること無いことのやりたい放題であり、拉致被害者のことはどうでも良く、むしろ、マスコミの安泰の為には、拉致問題など解決しない方が、良いとさえ思えてきます。
つまり、国民の不満を北朝鮮のみならず、中国や韓国に向けることで、現体制の広報機関であるマスコミにとっては都合がよいとさえ思えます。

国民の不満の向け先> ローマ皇帝ネロ→キリスト教徒へ。ナチスドイツ→ユダヤ人に。旧ソ連→アメリカへ(東西冷戦)。アメリカ→テロリストへ。中国・韓国→日本へ。北朝鮮→韓国・アメリカ・日本へ。日本(安倍政権)→中国・韓国・北朝鮮へ。>これにて、国民の不満解消達成!メデタシメデタシ

 私は、戦時中、マスコミは「大本営発表」で戦争を煽り、戦後は「原発安全神話」で原発推進の手先になり、福島第一原発事故後は「放射能安全論」を煽り、現在も人の不幸につけ込み、しかも、責任を追及されたら「言論の自由が脅かされた」などと、話しをすり替え、詭弁を弄 してるだけの拝金言論集団になっていると思います。
 最後に、日本政府は「平壌宣言」を尊重し、マスコミによる北朝鮮への蔑視報道を改めさせ、中国や韓国など近隣諸国との友好を実現しなければ、いつまでたっても、恒久平和は訪れないでしょう。
おわり
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視覚障害者への支援
 北大に在職時、私の先輩であった視覚障害者のパソコンのメンテナンスを、10年くらい行ってきましたが、あることを切欠として、それをやめることにしました。
 そもそも事務部が、もっと責任を持って視覚障害者に対応しなければならないのに、ほったらかしにしているように思えましたね。
彼が交通事故で視覚障害者になった当初は、周りの職員が支援をしていたようですが、いつのまにか放置状態になっているように見えました。

北海道大学 高等教育機能開発総合センター
 しかし、私のような他部署の技術系職員が、視覚障害者の支援をして良いものか疑問に感じていましたが、放っても置けないので、出来る限りのことはしたつもりです。
 その視覚障害者は私立大学を(法学部と経済学部)二学部卒業し、更に国家公務員採用試験Ⅰ種に合格しており、交通事故にさえ遭わなければ、部長クラスまで昇進できる実力があったのです。

北海道大学工学部 大野池
 さて、視覚障害者のお世話をやめる事にしたその理由は、悲しいことに私の支援が当たり前になってしまったということです。
 例えば、視覚障害者の職場や自宅のパソコンに音声装置を備え付けたり、ソフトの使い方の説明やインターネットのセッティング、パソコントラブルのサポート等は、私の好意でしていたのですが、いつの間にか、それが当たり前になり、最終的には事務部からではなく、身障者からの要求になってしまったのです。
 私はそれには我慢できなくなり、視覚障害者の奥さんに、この支援から手を引きたいと言ったら、その翌々日、今までのお礼として、ビールを1ダースほど送ってきました。ところが、のし紙を見てビックリしました。
それには何と、蓮の花が描かれた「弔慰用」のし紙に「志」と書いてあったのです。
おわり
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年金問題
 国民年金の未納者(1号期間滞納者)が全体の4割以上いるようですが、そのような人達は老後、どのようにして生活するのでしょうか。
 国民年金が破綻するかもしれないので払わない、あるいは払うお金がないなどの理由ですが、本当に心配です。
 また交通事故などで身体障害者になったときも、未納者には1円も支給されませんので、高額な掛け金を必要とする民間の保険にでも入らなければ、野垂れ死にしてしまうでしょう。

グリーンピア南阿蘇
グリーンピアは、日本列島改造論を掲げる田中角栄内閣の計画のもとで厚生省(当時)が被保険者、年金受給者等のための保養施設として、旧年金福祉事業団が1980年から1988年にかけて13ヶ所設置したが、2005年度までに廃止することが2001年12月に閣議決定された。年金保険料1,953億円を投じたグリーンピアの売却総額は、わずか約48億円であった。

 更に困るのは、旧社会保険庁によるグリーンピアなどの施設運営の失敗や、年金保険料が給付以外の目的に「流用」された問題など6兆円(公表された分)にも昇る無駄遣いです。
 このような無駄遣いを招いた元凶は、年金保険料を自由に使えるような法律を通した自民党議員を中心とする当時の与党議員であると思いますので、厚生労働省の官僚とともに責任を取って頂きたいものです。責任の取り方は、国民に対し、最低でも6兆円の損害賠償をすべきです。
 次に、国会・地方議員年金は愚の骨頂であると考えます。
 市民の公的年金とは、かけ離れたお手盛りの議員年金制度は、2006年に国会議員の 議員年金は廃止されました。しかし、掛け金は停止になったものの、すでに支払った掛け金に関しては、減額をして年金を支給することを盛り込んでいるため、国会議員の議員年金が完全に廃止されるのはしばらく先のこととされています。

 年金制度の抜本的改革ですが、たとえば高齢でも年収1千万円以上の高所得者や何億何十億円といった資産家の高齢者には、年金の受給を遠慮していただくか、受給年齢を引き上げることも一つの案かと思います。
 しかし公的年金への信頼が失墜し、自分の老後は自分で準備する必要がでてきたことは事実です。
 若い内から老後のために、少しずつでも貯蓄するのが最も確実で賢い方法だと思います。準備不足は、自分自身のみじめな老後をまねくだけです。
 老後の生活費は、ライフスタイルにもよりますが、贅沢しなくても、夫婦で一月25万円から30万円が必要だそうです。やはり定年退職するまでの数年間は、貯蓄に専念するしかなさそうです。
仮に月7万円足りなければ、今のうちから、その分を貯蓄するのです。少なくとも10年分(840万円)できれば20年分(1680万円)貯めましょう。
  まあ、日本人の平均寿命は、平成23年の簡易生命表によると、男性が79.44歳 、女性が85.90歳ですから、65歳で定年退職した場合、足りない生活費を、20年分貯蓄すれば何とか生活できると思います。 また、定年退職後も数年間、基礎年金分くらいしか支給されませんので、使わずに老後の生活費にまわしましょう。
 もし、老後の生活資金が尽きたら、家庭菜園でも作って、食べて生き抜くしかないでしょう。しかし病気になれば、幾らお金が あっても足りなくなります。暴飲暴食を慎み、健康第一で行きましょう。
おわり
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エゾ鹿とキタキツネ
 北海道には沢山のエゾ鹿がおりますが、人の気配を感じると一目散に逃げてしまいます。その反面、野生のせいか、群で行動するため、列車を止めたり、国道の通行を邪魔したりします。


野生動物のページ
  次に北海道のキャッチフレーズになっているキタキツネの話です。
私が北大に在職していた頃は、毎年、春香山(札幌オリンピックの会場になった手稲山の隣の山)に、登山を兼ねて山菜取りに出かけていたのですが、その都度、キタキツネ(小ギツネ)が山小屋のそばに現れました。

キタキツネ 親子3
 当初は、小ギツネ一匹だったのですが、やがて、その小ギツネが大人になり、3年後には嫁さんを連れて参りました。つまり「つがい」で現れ、餌をねだっていたのです。
 そして、翌年、そのつがいのキタキツネが、小ギツネを3匹も連れてきたのです。なんと微笑ましいと言おうか、動物の世界も人間の世界と同様、生活がかかっているのでしょうね。私が子供の頃を思い出します。
おわり
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回想録、集合写真で思うこと
 私の回想録(さっぽろ昔ばなし「60年前の記憶」)を読んでいただいた方、有り難うございます。昔の話といいましても、昨日の出来事のように思いだします。私が子供の頃(昭和20年代)は、どこの家庭でも「お金がない」「物がない」時代でしたが、心は豊かで大きな夢がありました。
 現在は飽食の時代、お金さえあれば、何でも買える時代ですが、子供達には夢がないように思えます。私は今、この時代に生きる子供達に夢を与えることが、大人としての使命だと、いつも考えております。

小学2年生の頃のクラスメイト(写真のクリックで拡大します。)
(前から3列目、校長先生を除いて、左から4人目で顔が大きいのが私)
 さて、私の回想録、第一部から第七部まで書いてみて、昔の集合写真を見て思いました。 小学二年生の頃の写真です。その中には、いろいろな顔がありました。笑っている者、すましている者など色々です。その一人一人に、思い出があります。いま思うことは、クラスメイトは、皆元気でやっているのだろうか、ということです。
 よく、昔のことを話すのは老化の始まりと言われますが、私の場合は老化よりも、人生のゴールが近づいているように思います。
 何歳くらいの頃まで思いだせるかを人生を遡ってみるのも、なかなか面白いものです。私は、母親の母乳の味を思いだしました。更に産まれる前を思い出せば、私の前世が見えてくるかも知れません。
 回想録の続編は、少し落ち着いてから書きたいと思っています。
 お楽しみに。

さっぽろ昔ばなし 「60年前の記憶」

おわり
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送ると贈る
 電子メールや手紙には、「送る」というより「贈る」を使ったほうが良い場合があると思います。たとえば、クリスマスカードや年賀状、礼状、見舞い状などの儀礼文書です。
ところで税務署の封筒は、ご丁寧に色分けされているのですね。私は幸運にも、このような文書はまだ頂いたことがありませんが、これじゃ、中身の察しが簡単に付くではありませんか。普通の茶封筒ではまずいのでしょうか。
 文書を送る場合「親展」にした方が良い場合も多いですね。
 たとえば、照会状や注文書、請求書、契約書などのビジネス関連の文書です。差出人にしても受取人にしても、第三者に見られたら困る場合には、やはり親展として扱うべきと思います。
また、各種行事の案内状や招待状も親展にした方が良いでしょうね。
おわり
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朝鮮戦争特需
 63年前の朝鮮戦争特需で景気が浮揚した企業は、戦争に直接関係する兵器、爆弾、戦車、有刺鉄線、船、トラック、棉布、麻袋などを生産した兵器産業、造船業、自動車産業、繊維産業だけに限られました。

北朝鮮の女性兵士たち。(ロイター)
 特に第二次世界大戦後、瀕死の状態にあったトヨタ自動車は、朝鮮戦争を切っ掛けに生産を拡大し、完全に立ち直ったと云われています。
その他の企業は、戦後の不況の中に、そのまま残された形になったのです。現在でも、朝鮮半島での戦争を望んでいる大企業が多いと思います。
 自民党が立案してマスコミが煽っている憲法改正は、戦争の準備であると思われても仕方がないでしょうね。
それが証拠に、自民党とマスコミは、原発を推進している原子力村の一族であり利害関係が一致しているからです。

北朝鮮の女性兵士たち。朝鮮労働党創立65周年パレードを前にして笑っている。(ロイター)
  さて、いま第2次朝鮮戦争が起きたら、まず日本の首都東京や大阪、自衛隊の基地と米軍基地に、北朝鮮からミサイルがどんどん飛んでくると思います。
 日本のミサイル防衛システムといっても、PAC3の射程は20キロから30キロといわれていますから、霞ヶ関を標的にミサイルを撃たれたら、所沢市やさいたま市辺りまで飛んでくるまで、PAC3で迎撃しても無駄と言うことです。しかも数十発のミサイルにはお手上げです。

北朝鮮の女性兵士たち。(ロイター)
 最悪なのは、我が国の原発が、核ミサイル攻撃の標的になった場合でしょうね。もしそうなれば、日本人に逃げ場所はありません。
 その時点で日本の政治と経済は、韓国や北朝鮮より先に崩壊するでしょうね。そうならないように北朝鮮との国交を回復しなければなりません。
おわり
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粛正
 日本神話を題材にした映画「日本誕生」では、大和朝廷に逆らう熊襲(くまそ)を、日本武尊(やまとたけるのみこと)が制圧そして粛正し、次に、日本武尊を大伴一族が粛正しましたが、正義が勝つとは言い切れないですね。最後まで生き残った者が正義であるのかもしれません。

■日本武尊 辞世の句「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」

大意) 倭(やまと)は母なる国、私の故郷。幾重にも重なって青々とした垣をなす山々、その山々に囲に抱かれている倭は、何と美しい国だろう!

東宝映画「日本誕生」予告編(1959年10月25日公開)

日本誕生
 このように国家の権力機構が出来上がると、必ず目障りな一族が粛正されます。権力とは非情なんですね。
 現在の自公連立政権にとって一番目障りな一族は、やはり共産党や社民党でしょうね。もし大和時代や飛鳥時代だったら、必ず粛正されてしまうでしょうね。これが企業であったなら、会社にとって目障りな職員組合は潰され、社員は左遷されるのと同じようなものです。
 日本国憲法は、戦争の放棄を謳った「世界に類を見ない平和憲法」ですが、そのために、平和の尊さが忘れ去られているような気がします。
日本国憲法を守る事は、私達自身を守る事なんですね。
 大東亜戦争の敗北により、A級戦犯で絞首刑に処された東條首相なんか最悪の政治家の例であり、また「大本営発表」で戦争を煽ったマスコミや、それに踊らされた国民もみな馬鹿だったんですね。

東条英機首相 写真週報(内閣情報部)
(北朝鮮の将軍様の側近ではありません)

■東条英機 辞世の句「さらばなり有為の奥山 今日越えて 弥陀のみもとに 往くぞうれしき」

大意) 東条は、いよいよ今晩、死んでゆくが、いよいよ阿弥陀仏の極楽浄土へ参らせて頂ける。なんと幸せ者か。

 この東条英機首相の命令により、300万人以上の何の罪もない同胞が、戦争に送られて戦死あるいは餓死や病死し、多くの国民が空襲や艦砲射撃の犠牲になりました。
 東条英機は、地獄にたたきおとされても文句が言えないのに「阿弥陀仏の極楽浄土へ参らせて頂ける」とは、よく書けたものです。
私は辞世の句など書きません。なぜならば輪廻転生するからです。
おわり
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弥生時代のスイカと卑弥呼
 弥生人はスイカを食べていたのでしょうか。邪馬台国の九州説が正しければ、卑弥呼が食べていたのは恐らく熊本スイカでしょうね。
 西瓜(スイカ、学:Citrullus lanatus 英:Watermelon)とは、そのルーツを辿れば、古くからエジプト、インド、ギリシャに始まります。とくにエジプトでは4000年以前の壁画から、スイカ栽培が実証されており、ギリシャには西暦紀元初期、ヨーロッパ中部からインドまで分布し、中央アジア、中近東などを中心に発達し、中国へと伝来したと言われています。
おそらく、中国の魏王朝と親交が深かった邪馬台国の卑弥呼もスイカの種を手に入れ、邪馬台国でも栽培していたと予想しています。

 日本人の祖先の大部分は、中国大陸から渡ってきた渡来人です。そして古くから日本列島に住んでいた縄文人との同化により弥生人になります。
大和政権時代には、中国や朝鮮から、漢字や仏教そして律令制などの影響を強く受け、現在の日本国が成立したのです。

【新・日本の歴史】『邪馬台国女王・卑弥呼』 HIMIKO
 さて、邪馬台国論争では、いまだに九州説畿内大和説などがありますが、グルメから追っていけば、ある程度の推定が出来るのではないかと思います。まず貝塚や古墳の埋蔵品から調べることですね。
 卑弥呼の墓が見つかれば、邪馬台国の位置が掴めると思いますが、おそらく、それは難しいと思います。
 その理由として、卑弥呼は祈祷によって、神仏に国の加護や恵みを求めたと伝えられていますから、一族からは神に近い存在として崇められていたと思われます。
 はたして、卑弥呼が死んだ時、一般の王と同じような墓に埋葬するでしょうか。もし私が卑弥呼の側近であれば、天に近く、そして誰にも近づけないような険しい高山などに、女王・卑弥呼を埋葬すると思います。
 卑弥呼の墓を探すのが、邪馬台国論争に決着を付ける唯一の方法と思いますが、謎の邪馬台国のままにしておいた方が、神秘的で夢があるかも知れません。
おわり
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安全運転には要注意
 制限速度40Km/hのところを時速40Km以下でトロトロと走行しているクルマに限って、赤信号を無視したり、ウインカーを上げないで左折や右折をしたりするものです。特に女性ドライバーにこの傾向が見られます。
安全運転といいましょうか、ノロノロ運転のクルマには要注意ですね。
 私が免許取り立ての頃、札幌駅に隣接する函館本線の陸橋(現在は高架のため陸橋はありません)を、制限速度の時速40キロで走行していたら、サイレンを鳴らさないパトカーに追い越されたことがあります。 
交通標識は40キロ制限。パトカーには制限速度は無いらしいですね。私はオイオイそれはないだろう、と思いましたね。

パトカーにまつわる話は他にもありますので紹介します。

駐車違反に対しパトカーは
昔の話です。拡声器で「オーイ運転しゅぅ出てこうぉい、ココヲどこだと思ってるんダーッー、コラー!

 札幌駅前道路の創世川付近に響いた怒鳴り声。警官はかなり怒っていた。
 しかし30分ほど経過しても運転手は出てこない。
ビビったか。オイコラ警官は健在だった。
■札幌市西区の交差点で
 信号が青に変わったのでアクセルを踏んだその瞬間、右側、交差車線から来たパトカーが急にサイレンを鳴らし赤色灯を点灯。そして交差点を横断した。パトカーには数人の警察官が乗っていて、ニタッと笑った。

交差点を渡り終えたパトカーは、赤色灯とサイレンを止めた。それアリ?。


 このようなパトカーによる信号無視は、先日も札幌市西区八軒のヤマダ電機付近の交差点でも見かけました。
 私のクルマは、パトカーとは対向車線でしたので比較的安全でしたが、交差車線のドライバーは注意が必要です。
おわり
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自転車
 通勤、通学には、自転車なら地球にも優しく公害防止にもなるし、経済的で健康のためにもなります。一石三鳥ですね。
 私も自転車通勤をしたことがあります。行きは下り坂で楽なのですが、帰りが登りのため大変です。通勤は平地なら良いですね。
モーター付きの電動自転車も考えてはみたのですが、なかなかクルマをやめられませんでした。
 ところで、その自転車で、大学構内を移動するために使っていたのですが、1年に1回は盗まれるか、パンクなどをさせられましたね。そうとうに古い自転車でさえ、盗難の被害に遭いました。
 大学では、自転車泥棒が横行していました。また放置自転車も多く、担当の事務職員も、その処理が大変のようでした。大学構内に放置自転車が多い理由は、卒業の時に、いままで使っていた自転車を置きっぱなしにして出て行く学生が多かったそうです。
自転車・完全武装(盗難防止対策)
放置自転車の処理が間に合わずに
大学構内に放置された放置自転車
 「立つ鳥跡を濁さず」で巣立って欲しいものです。
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ヒグマ対策
 春ですね。北海道では今年も冬眠から目覚めたヒグマが、人間界に出現して、住民を悩ませています。
また、山菜採りでヒグマに襲われて、ケガ人も出ています。ヒグマは、この季節が一番腹を空かせており、特に子連れの母グマは要注意です。
 ヒグマは雑食ですので人間も襲います。そのため登山では、熊除けの鈴や笛をならしながら登りますが、場合によっては、ロケット花火などを打ち上げることもあります。ヒグマは大きな音や、火薬の臭いを嫌うようです。
 しかし、運悪くヒグマと対面したときは、睨めっこしましょう。死んだふりはいけません。物を差し出すのもダメですね。もし、ヒグマにあげる物がなくなったら、「次はお前の番だ」というように、食われてしまいます。

 最悪の状態で、ヒグマが襲ってきたら、リーダーに戦って貰うしか他に方法はないでしょう。他のメンバーはその隙に逃げることです。
 また、ヒグマと遭遇した場合、肩車をして助かったという例や、コウモリ傘を開いて助かったという例もあります。ヒグマには自分よりも大きなものは襲わないという習性があるようです。
 逃げ方にも気をつけなければなりません。
基本は、ヒグマに背中を見せないように後ずさりするのです。そしてヒグマが見えなくなったら、一目散に逃げましょう。

 私も、芦別岳に登山に行ったとき、北尾根の地獄谷付近でヒグマと遭遇しました。幸運にも、こちらが多勢だったせいか、ヒグマが起ち上がったかと思ったら、急な斜面をポンポンポンと下っていきました。
すごいスピードでビックリしましたね。あのスピードで追いかけられたら、まず助からないでしょう。
かつて北海道は、ヒグマやエゾシカ、キタキツネなど野生動物の天国だったのです。人間と共存できるようになれば良いですね。

ヒグマの親子
 43年前に日高山脈で福岡大生がヒグマに襲われ、三人が殺されました。
原因は、生存者がいないので定かではありませんが、ヒグマに取られたものを、取り返そうとしたからと言われています。
福岡大生は、ヒグマを甘く見ていたのでしょう。

福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件

【事件概要】
 1970年7月、日高山脈を縦走せんとしていた福岡大学ワンゲル部5名が執拗にヒグマに襲われ、3人が次々と命を落としていった。
※ワンゲル(ワンダーフォーゲル) ドイツ語で渡り鳥を意味する。20世紀初頭、青少年の間に、山野を徒歩旅行し、自然と親しみながら心身を鍛えようとする運動が始まり、これをワンダーフォーゲルと呼んだ。戦後、日本でもこの運動が広がり、ハードな「山登り」を行う山岳部とは異なり、「山歩き」「自然散策」というイメージが強く、そこが学生の人気を集めた。
福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件
遭難したメンバー達の救助隊が編成された。だがハンターたちが発見したのは3人の変わり果てた遺体だった。着衣は剥ぎ取られ、裸にベルトだけが巻かれている状態だった。顔半分がなかったり、腹部から腸が引きずり出されるなど、目を背けたくなる光景だった。「福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件」より
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石狩温泉「番屋の湯」
 札幌市中央区大通りから中央バスで、およそ35分、石狩浜のすぐ側に石狩温泉「番屋の湯」があります。そこは、美しい日本海、そして荒々しい波が寄せては返す様子が目前に見えるところです。


石狩温泉「番屋の湯」公式サイト
 ある日曜日、朝から妻と二人で石狩温泉にいきました。「番屋の湯」には、休憩室が1階と2階にあって、それぞれ200人は休めます。また、浴場には、サウナや露天風呂などがあり、地上2階、地下1階建ての延べ面積は、およそ3300平方メートルといいますから、かなり大きな建物です。
 泉質は、ナトリウム塩化物強塩泉で毎分沸き出し量は、193リッター、適応性は、神経痛、筋肉痛、関節痛、慢性消化器病、痔疾、冷え性などです。 どうりで「番屋の湯」の客に、高齢者が多いわけですね。
 ところで、今回はその高齢者の話なんですが、脱衣室で他人のロッカーを開けている高齢者がいたのです。その理由なんですが、「番屋の湯」の脱衣室は、脱いだ衣服を百円コインロッカーに入れることになっています。
但し、カギをかけても、入れた百円は後から戻ります。しかし、百円を忘れるとカギがかかりません。当然、カギをかけないで浴場に入る客も居るわけです。
 その場合、自分の衣服を入れたロッカーの場所を忘れる客が多いようで、ある高齢者は、他人のロッカーのトビラを片っ端から開けて、自分の衣服を探していたのです。カギが開いているからといって、他人のロッカーを開けることは、窃盗行為と思われても仕方がありませんね。
 今回は、このような高齢者が二人もおりました。 困ったもので、歳は取りたくないものですが、そう言う私も、いずれは他人のロッカーを開けてまわるようになるかも知れません。
おわり
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一日生きるということ
 一日生きると言うことは、一日寿命を減らすことです。
一分一秒生きると言うことも、一分一秒寿命を減らすと言うことです。
 ですから、その瞬間瞬間を大切にしなければなりません。親から与えられた大切な命なのですから。
 しかし政治が悪いのか、それとも個人が悪いのか良く分かりませんが、最近は、自殺で命を無駄にする人達が増えてます。
 また、殺人や強盗などの凶悪犯罪も、至る処で発生しております。
 やはり、警察にはもっとパトロールを増やして貰わなければ、安全な生活が出来なくなってきております。
更に、各町内ごとに警察官と同じ権限を持った自警団を組織して、女性や子供そしてお年寄りなど、弱い人達を守らなければなりません。
 町内を徒歩で巡回するお巡りさんは今は昔の話になりました。
私の町内でも、道警のパトカーが月に一回くらい警邏をしている程度です。これでは犯罪を根絶できません。
おわり
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悪妻
 ことわざでは「悪妻は百年の不作」と言われ、その意味は「夫にとって、ためにならない女性と結婚すると、その悪影響は百年にも及ぶぞ」という警告だそうです。
 悪妻を妻(め)取らぬよう注意したいのですが、これだけは結婚してみなければ分かりません。妻というのは夫によって変わる場合が多いわけです。
しかし、女性にとって「悪夫は百年の飢饉である」と言われています。
悪妻の定義
夫が結婚したことを後悔するような品行の妻」、もしくは傍目から見て「あのような品行の女性とは結婚したくない」と思われるような妻。

 悪妻の実例を歌にしたような「ハイそれまでヨ」という曲があります。

ハイそれまでヨ(歌:植木等 作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶)
 また、いわゆる亭主関白のように、現代においても家父長制的な夫が非難されるのと同様に、かかあ天下と呼ばれるような、夫婦関係において実権を握る妻を悪妻とする見方もあります。
 しかも、やりくり上手で、家庭に貢献している女性は(夫を尻に敷いていても)悪妻とは見られないことが多いのですが、浪費家で、家庭を危機に陥らせるような女性は悪妻と見られやすいものです。
 男性も女性も、外見だけにとらわれず、内面もきちんと見て、素晴らしい伴侶を得ましょうね。
おわり
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除雪と排雪
 明日からゴールデンウィークに入りますが、札幌市の郊外には、まだ雪がたくさん残っています。今年の雪は半端じゃなかったですね。
 例年の二倍は積もったと思います。
そのため、毎日のように除雪をしなければ、日常生活に支障が生じました。例えば、玄関が雪に埋まると出入りができません。火事が起きたら避難ができません。郵便物や宅配便も届きません。とにかく今年は大変でした。
 札幌管区気象台は「平成11年~平成12年に次ぐ二番目の大雪」と発表しました。しかし、私は西区に30年以上住んでいますが、今年のような大雪を体験したのは初めてです。
 早く、新緑の季節が到来することを願っています。
 さて、札幌市の場合は「除雪」と「排雪」とを分けて使っております。「除雪」は、道路上の雪を路肩の方に退かすことですが、「排雪」は道路の雪を除雪車やダンプカー等を使って完全に取り除くことをいいます。
 当然、「排雪」の方がお金がかかるので、住宅地では、年に1回程度しか実施されません。もちろんタダではやってくれませんので、住民は町内の「排雪」のために除雪費を積み立てております。札幌市の除雪パートナーシップ制度
 幹線道路については、状況に応じて全て税金で「排雪」が行われます。
札幌市の場合「雪対策にかかる予算」として例年、約150億円が計上されます。しかし今年は大雪だった為、200億円近くが費やされました。

札幌市 平成24年度の雪対策にかかる予算
毎日新聞記事札幌市:除雪費25億円増額 大雪で再補正案提出
(毎日新聞 2013年02月27日 地方版)

 札幌市は26日、除雪費25億円を増額する一般会計補正予算案を開会中の定例市議会に提出した。同市は13日にも除雪費20億円を増額する補正予算案を提出しており、既に市議会で可決・成立している。
 補正総額は計45億円になり、1995年度の補正額(37億7000万円)を抜いて過去最高になった。予算案は27日にも可決・成立する見込み。
除雪費の総額は約194億円となる見込みで、当初予算額は約149億円だった。札幌市は「降雪量が平年より多く推移した上、21日の大雪が追い打ちをかけ、さらなる作業の増加が見込まれる」と再補正の理由を説明している。再補正は過去に2004年度しかないという。

札幌市によると、今年度の累計降雪量は25日までに490センチに達しており、過去5年の平均値(364センチ)より126センチも多くなっている。

おわり
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進化する音声認識技術
 もう20年くらい前になるでしょうか、新聞に「10年後は、誰もがみなコンピューターと会話しているだろう」という記事があったのを思い出しました。情報化社会に変貌したことが、その予言を証明しています。
 中でも、音声認識技術やセンシング技術の進歩は、非常に早く、近い将来、クルマに組み込まれたコンピューターに対して、音声による指示を出すことで、自動運転が行える時代がもうすぐ来るでしょう。音声で、クルマに指示を与えると、ハンドル操作をしなくても、自動的に目的地まで行ったり、衝突しそうになったら自動的に停止できるようになるでしょう。
 自動運転モードでは、運転を楽しむ面白味がなくなりますが、居酒屋やスナック等で酒を飲んでも自動的に自宅まで帰ることが出来るので安全です。これにより、交通事故が減少するため交通警察の仕事が大幅に減ります。また、安心して酒が飲めるので、飲食店への客が増え、酒造会社も儲かり、家族も安心で、四方八方丸く収まるというわけです。
 これは、すなわち航空機の自動操縦システム(オートパイロット)を、自動車に応用したものです。なお航空機の場合、離着陸の際は原則的にパイロット自身の判断で飛行する有視界飛行方式を取っておりますが、自動車の場合は、完全自動運転化が可能です。
 また家庭では、ご飯を炊いたり料理をしたり、掃除や洗濯、育児や介護も、音声認識システムを家庭用ロボットに内蔵することで実現されるでしょう。ここまで進化すれば、専業主婦も社会に進出できると思います。
 音声認識システムは、犯罪防止にも役立たせることが可能です。
例えば、振り込め詐欺の音声内容による詐欺被害の防止です。
つまり、超小型の「マイクロコンピュータを内蔵したMC電話機(仮称)」に、振り込め詐欺の手口をデータ化して組み込めば、犯人の音声と詐欺手口データとの比較により、怪しければ自動的に電話を切ることが出来ます。
 特に、犯人からの電話内容に「弁護士」「警察」「税務署」「消防署」「税金」「還付金」「絶対」「儲かる」「口座」「現金」「預金」「通帳」「キャッシュカード」「預かります」「事故」「携帯」「電話」「番号」「変わった」「パスワード」「オレオレ」など、電話の相手(犯人)がこれらの言葉を使ったら、2~3のキーワードの「論理積」をとって、結果が「」なら、自動的に電話を切るようにするのです。
 また、家族や親族の声をデータ化してMC電話機(仮称)に記憶させておくと、オレオレ詐欺や、なりすまし詐欺による被害を防止できると思います。これで、振り込め詐欺被害が激減するでしょう。
おわり
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「老後に不安」7割
 かつて、経済企画庁による国民生活選好度調査で、将来の生活費や健康、介護などが気がかりで、自分の老後に不安を抱く人々が急増し、7割以上に上っていることが分かったそうです。
 老後に不安を感じている人の比率は、バブル経済期の前よりも大幅に増えており、長期不況に伴う「給与の伸び率低下」や、少子高齢化、財政危機による「年金支給先延ばし」への懸念などが背景にあるとみられます。
 老後を迎えるまでに、どれ位の蓄えができそうかを40~50歳代に尋ねたところ、約6割の人が1000万円以下と答え、将来への不安意識の高まりは、消費を抑えて貯蓄に回す傾向を生み、不況を深刻化させる要因のひとつとされています。
 老後の不安を解消するのは、政府の責任であると思います。しかし、党利党略、私利私欲に走る政治家に何が出来るというのでしょうか。
 老後の生活は、政府などあてには出来ません。自分の力で守りましょう。そのためには、貯蓄しかないのですが、銀行は破綻の恐れがあり危険です。また日本経済が行き詰まると、預金封鎖(銀行が金融資産の引き出しを制限)の可能性もありますので、自分の財産を守るにはタンス預金に限ります。
 しかし、インフレが進行すれば、タンス預金でさえ紙くず同然になります。政府は「インフレと預金封鎖で国債をチャラに」することを目論んでいるのかも知れません。
 例えば、アベノミクスと称するインフレ政策が進行してハイパーインフレに陥り、物価が10倍になれば、タンス預金の貨幣価値も10分の1になってしまいます。
 当然、国債の償還にかかる費用は実質10分の1になります。
 政府にとっては願ったり叶ったりというわけです。しかし、ハイパーインフレのままでは通貨への信用が回復できないため、政府は新規の資金調達が出来ません。

昭和21年だけで、卸売物価指数は365%も上昇
(昭和20年~27年の間に物価は約200倍)
 そこで、預金封鎖で強制的に通貨流通量を減らしてインフレの進展を防ぐということです。これが現実にならないよう祈るしかありませんね。
長寿の秘密
 百歳を超す長寿の人は、「好中球(体内に入った細菌などを食べてしまう白血球の一種)」と呼ばれる細胞の働きが高まっていることが、新潟大学医学部と琉球大学との共同調査でわかったそうです。
 私も、健康であれば百歳まで生きたいと思いますが、病気など、寝たきりの状態では、死んだほうが幸せではないかと思います。
 「金さん銀さん」も、早く迎えが来ますようにと願っていたそうです。
おわり
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脳死判定と臓器提供
 脳死判定や臓器提供のニュースを聞きますと、病院側は臓器提供者である患者さんの救命処置をろくにしないで、ジーッと死を待っているような、イヤな感じを受けます。また、心臓はA病院へ、腎臓はB病院へと報道されたとき、何となくバラバラ事件を連想します。

 そもそも、「臓器移植の推進」をしている厚労省病院・医療関係者そしてマスコミの中で、何パーセントくらいの職員が「臓器提供の意思表示」をしているのか知りたいものです。

輪廻転生」を信じている私にとっては、臓器移植などに協力したくはないですね。もしも生まれ変わった時、前世に臓器提供をしたために、心臓や腎臓がなかったり、何らかの障害があったら、一生、障碍者として生きていかなければなりません。
 私の妻も、脳死判定や臓器移植のニュース番組を見るたびに、「臓器提供をしない」と強く話します。そして妻は、親から貰った身体のままで、この世から旅立ちたいと述べています。
 厚労省や病院・医療関係者そしてマスコミが、臓器移植の推進をするのであれば「死後の世界が分かってから」にして頂きたいと願っています。
おわり
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国歌と国旗
 文部省(当時)が1990年、学校での式典に日の丸・君が代を義務づけたことによって、この問題をめぐっては緊迫した議論がおこなわれてきました。そして1998年、広島の県立高校の校長先生が「君が代」「日の丸」問題に悩んだせいか自殺しました。私でしたら自殺などしないで、自分の考えを貫き通したと思います。
 君が代のルーツは平安時代に編纂された「古今和歌集」の和歌で、天皇または君主の治世が末永くつづくことを願う歌だったのです。
 明治のはじめに君が代が国歌として用いられることになった際、政府によって、天皇の治める世が末永く続くよう願う歌と定義され、学校やその他の場で、天皇の治世をたたえる歌として教えられるようになったのです。
 明治25年に文部省の音楽教科書担当官が作った教科書にも、やはり「天皇陛下の万歳を祝う歌である」と書かれており、天皇制をナショナリズムの根幹にすえた戦前の政策によって、「君が代」は国民に広く浸透していきました。
 このように現在まで、「日の丸」「君が代」が、何の法的根拠もなしに、政府の独断によって国旗・国歌として扱われてきました。
しかし、先進国では成文憲法をもたないイギリスは例外として、どこの国でも憲法や法律で根拠を定めているようです。
 私自身は、「日の丸」はともかく、「君が代」を国歌としては認めたくないですね。
 そもそも、「君が代」の歌詞で「」とは君主のことで、つまり「天皇」を意味します。
私達がよく使う「君と僕」の「」ではないのです。
 従いまして、「天皇が世は、千代に八千代に・・」と続き、「苔のむすまで」ということになります。

皇軍一兵卒 父の思いで
 そもそも歌詞にある「細石さざれいし)がとなりてのむすまで」とは何年間くらいなのでしょう。なら場所によっては、1~2年でむすと思いますが、「細石さざれいし)がとなる」期間はどれくらいでしょう。
 一般的には、続成作用(堆積物が堆積盆で沈積後、固結して堆積岩になる過程)により10万年で土粒子(さざれ石)は固結(巌となる)とされています。つまり10万年もかかるわけですから、君が代は「天皇の世は10万年以上」という意味になります。
 以前、パイオニア社に、レーザーディスクの寿命を聞いたことがあるのですが、その回答は、半永久的=50年ということでした。メーカーでは100年を永久としています。それが、10万年ともなれば、永久を遥かに通り越すということになります。

 したがって、現在は戦前のような「天皇主権」ではなく、「国民主権」ですので「君が代」の歌詞には矛盾があります。そこで「君が代」の歌詞の「」を、次のように「」に変えたらどうでしょう。
”民”が代は 千代に八千代に さざれ石が巌となりて 苔のむすまで
これなら、国歌斉唱に反対する方は少ないでしょう。

 巷では、国旗・国歌について「正しい愛国心を育成するには、必要な事と思う」などという意見がありますが、強制はいけません。
天皇陛下も、国旗・国歌は「強制でないのが望ましい」と仰っています。
<朝日新聞より引用>
 国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。
・・・
 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。
朝日新聞 
(なお、宮内庁から訂正の要請がないので、天皇陛下の発言はいまも生きています)
 はたして、国旗や国歌の強制で正しい愛国心が育つものでしょうか。
私は、正しい世界観を与えるような教育が必要と思います。その中から必然的に愛国心が生まれてくるものです。
 いじめや校内暴力といった教育現場の荒廃が進行している中で、校長や教師はたいへん苦労されていると思います。
 また政治家や官僚そして企業まで、政財界の富裕層が、自己のことしか考えていないため、社会全体が荒廃し、愛国心など育たないと思います。
いまは、民主主義を願う国民が、「愛国心とは何か」を考えなければならない時期に来ていると思います。
おわり
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戦争の根元は利害関係
 10万名を超える尊い命が奪われた沖縄戦から68年が経ちました。
 第二次世界大戦は「日独伊(日本、イタリア、ドイツ)のファシズム国家」対「米英仏蘭ソ(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ、そしてソビエト連邦)の反ファシズム国家」の戦いでもあったのです。
それぞれの国の立場が違ったとしても利害関係で戦争が起こるものです。
沖縄戦
 沖縄戦とは、太平洋戦争末期の1945年,沖縄諸島に上陸した米軍と日本軍との間で行われた戦いである。沖縄戦での日米全戦没者は20~24万人とされる。
沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると,日本側の死者・行方不明者は18万8136人で,沖縄県出身者が12万2228人,そのうち9万4000人が民間人である。
 つまり、反ファシズム国家には1930年代、アメリカ・イギリス・フランス・オランダのような資本主義国と、ソビエト連邦のような社会主義国があったのです。資本主義と社会主義との矛盾は、なくなるものではありません。しかし、日本、イタリア、ドイツの三つのファシズム国家に対する限りでは、たとえ一時的ではあれ、一致した対応をとることが出来たのです。
 中国における抗日戦争も、毛沢東が率いる中国共産党と蒋介石が率いる国民党が共同で、中国への侵略を続けている日本軍に対抗したのでした。
このように、戦争の根元は利害関係にあるのです。

 今日の中東問題(イスラム勢力とイスラエルとの抗争)や台湾問題(中国と台湾との抗争)・朝鮮半島問題(北朝鮮と韓国との抗争)などは、立場の違いではなく、利害関係で紛争が起きるのです。
特に、「中国 対 台湾」や「北朝鮮 対 韓国」は、同じ民族でありながら、
共産主義
資本主義というように国家体制の違いで紛争が起きています。一方、インドとパキスタンも同じ民族ですが、ヒンズー教イスラム教というように、宗教の違いで国が分かれ、紛争も起きています。

 単なる立場の違いであれば、外交で解決できる場合が多いのです。
しかし、北方領土や竹島・尖閣諸島問題も立場の違いというよりも、その本質は、漁場や資源を確保したいという利害関係なのです。
 現在の自公政権はどうでしょうか。自民党や公明党は、それぞれ立場が異なりますが、党利党略の為に政権を担うという利害関係では一致しております。
 つぎに今後、予想される戦争について、ひとこと述べたいと思います。
全ての国が専守防衛になるのが理想的かも知れませんが、現実は強力な軍隊で安全を確保しています。もし、我が国が中国やロシアに侵略されたら、現在の自衛隊は三日もたないと、昔からいわれております。
人類の終焉
核爆弾の脅威、核戦争、世界大戦、最後の審判
 日米安保条約におけるアメリカの義務は、あくまで自衛隊の後方支援であって、本気で日本を守るつもりはなく、日本列島全体をアジア侵略のための軍事基地として利用しているのです。
 アメリカが介入している朝鮮半島、アフガン、イラク、中東は泥沼状態です。アメリカは、ベトナムで敗北した後、テロとの戦いを大義名分として、世界の各地で戦争を起こして国家体制を破壊しています。更に、ベトナム戦争からイラク戦争まで、防衛手段を持たない一般市民を殺戮しているのです。
 これからの戦争は「ボタン戦争(核戦争)」です。兵隊などは必要ありません。国家元首の指示でボタンをプッシュするだけで、国土は焼け野原になります。戦争の勝利者はどこにもいないのです。
おわり
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処世訓と宗教
 私は、世渡りが下手な方ですが、「人間関係」には気をつけるようにしています。ところが貧乏くじを引くのは、大抵、私のほうです (^^;。
私が妻に「私が何をしたのですか」と言うと、「何もしないから問題なの」という答えが返ってきます。
 さて、宗教の言葉には意味不明の言葉が多いですね。
例えば、禅宗(曹洞宗)でよく使われる「色即是空」にしても、意味不明です。僧侶の説教で「万物の本質は空である」と言われましても、物理的に存在するものが何故、空なのかという疑問が出てきます。 意味不明な言葉で人心を惑わす事は、どうかと思うのです。
 仮に、僧侶が素晴らしい説教をしたとしても、仏様を拝んで病気が治ったり、収入が増えるわけがないのです。仏様を拝んで収入が増えるのは、お経を上げている僧侶くらいでしょう。

禅宗「釈迦三尊仏
 宗教を信じようとする人々は、自分の意志が弱いと思います。
宗教団体にも色々ありますが、所詮、観念論の世界なのです。(観念論:事物の実在性だけでなく、抽象的に解釈させる観念によって認識が成り立つというもの。)
 しかし神仏を信仰することで幸福になれた方もいるようで、そのような人達には、宗教は医者や薬代わりになるのでしょうね。
 ところで、故人の戒名の金額は、宗派や僧侶によって異なりますが、大体の相場は3万円~5万円ぐらいだそうです。しかし、本来、戒名には値段は無いはずです。
 高い戒名になると、お寺や僧侶から、一文字につき10万円も請求される場合もあり、問題にされています。

葬儀会場
 例えば、戒名に「院号」「道号」「位号」をつけると、葬儀の読経を含めて、100万円以上請求されるようです。

 仏教では、戒名を頂くと出家した僧と同様に、死後は個人でも極楽に行けるとされています。つまり修行もせず、信心が足りなくてもお布施を払って戒名を頂けば、誰でも極楽に行けるという虫のいい話なのです。しかし、戒名がない人は、残念ながら極楽には行けないことになります。「地獄の沙汰も金次第」なんですね。
 私は、人が死ぬと骨と灰になるだけで、天国・地獄・極楽などに行くことは絶対にあり得ないと思っております。
 死後の世界は、輪廻転生(生まれ変わり)しかありません。従って戒名は必要ないと思いますが、家族や親族が故人を偲び、思いを紡ぐためには、戒名が書かれた位牌がなければ困るのでしょうね。
おわり
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ラーメンの思い出
 私は、子供の頃からラーメンが好物でした。
 当時(昭和20年代)、カレーライスや肉料理は最高の御馳走で、誕生日などのおめでたい日以外は、なかなか食べられる機会がなかったのです。
カレーライスに入れる肉類も、高価な豚肉の代わりに、当時は安価だったクジラ肉を使いました。子供の私は、豚肉が入っていたら大変に嬉しくて、飛び上がって喜びました。(現在、クジラ肉は高級食材になっていますね。)
 それと比べて、ラーメンうどんは、母親がよく作って食べさせてくれました。ちょうど自宅の裏に、親戚付き合いしていたウドン屋があったため、ラーメンやうどんの麺を安く買ったり、ただで貰うことが多かったそうです。母が作ったラーメンもたいへん美味しかったですね。
 何せ母が、近所のおばさんたちから、いつも「ラーメン屋さんでも始めたら良いのに」と褒められていたくらいです。
 札幌の狸小路ススキノには昔からラーメン屋が多く、街に出たら必ずといって良いくらいラーメンを食べました。
 狸小路には、「だるま軒」というラーメン屋があって、素朴で安くて美味しかったですね。
 確か、ラーメン一杯が30円(昭和30年頃)だったと記憶しています。ちなみに、当時のサラリーマンの初任給が、7,000円~8,000円の頃です。また、札幌のラーメン屋で、印象に残ったのは「味の三平」でしたね。味の三平は、当時から評判が良く、1時間も待たされて食べたラーメンは、上に乗っているモヤシが多く、中のラーメンは、なかなか見つかりませんでした。
 しかし「味噌ラーメン」に初めて出会ったのが感動でした。
 ラーメンの強烈な思い出としては、家族と湯ノ川温泉に行く時に、函館の朝市で食べたラーメンです。それはまだ私が中学生の時でした。
 そのラーメン屋さんは、主に行商人相手だったようで、年輩のおじさんとおばさんが二人で経営をしていたようです。

 私と弟と妹は、ラーメンを注文し、両親はソバを注文しました。
 両親のソバはすぐにできましたが、私たちが頼んだラーメンは、なかなかできてきません。 ラーメン屋のおじさんとおばさんが、何をしていたかというと、ラーメンをゆでながら、行商人と長々と世間話をしていたのです。
 私たち兄弟は、腹を空かせながら、その光景を我慢しながら黙ってみていました。そして数十分も待たされたあげく、やっと、ラーメンができてきたと思ったら、なんと、のびていたのです。ソバなのか、ウドンなのか分からないような味でしたので、両親に笑われてしまいました。

函館の夜景
 次に思い出すのは20代のころ、親戚と恵山に行った帰り、大沼公園で食べたラーメンです。
 私の従兄弟が、食堂でラーメンを注文したら、ウェイトレスからさっぽろですか、まるちゃんですか」と聞かれたのです。私は、なんのことかと思ったら、なんと、その食堂では、インスタントラーメンを作って客に出していたのです。当時は、インスタントラーメンがまだ出始めだったので、食堂のメニューになったのです。
 ラーメンの最後の話になりますが、数年前、大学生協の食堂で食べたラーメンは、辛くて辛くて、顔全体が熱くなりましたね。
 まるで、唐辛子を食べているようで、その名は「ピリカラーメン」でした。何故、「ピリカラーメン」なのか、さっぱり分かりませんでした。
 辛すぎて、 舌がピリピリするから「ピリカラーメン」なんでしょうか。
「ピリカ」という名称を使うのなら、顔全体が熱くなるようではダメですね。もっと美しくなるような味にすべきでしょうね。 
おわり
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札幌での生活
 私は札幌生まれの札幌育ちです。
 私が生まれた頃(昭和20年代)の札幌の人口は、現在の1/5の40万人程度でしたが、昭和20年代~昭和40年代に豊平町や手稲町など周辺町村との合併により、人口が増え、面積も現在の広さになりました。

 現在、日本中で地震が起きていますが、札幌の地盤もそれほど強いとは言えないので心配です。特に、北区の大部分は「畑地」でしたので、私が住んでいた頃には、30センチくらい地面を掘れば、地下水が出てきました。
 自宅の飲料水も地下から水道電気ポンプで汲み上げていました。
 しかし、札幌オリンピックに向けて、南北線の地下鉄工事が始まると同時に、自宅の飲料水が枯れてしまったのです。私が北区に住んでいた頃、自宅(北32西5)が地下鉄工事現場の近くでしたので、工事の掘削の影響により、地下水脈が変化したのでしょう。

 また、手稲区も「泥炭地」で地盤が弱く、昭和30年頃、私の親戚の大工が、請け負った工事の棟上げ式に行ったら、工事中の建物が傾いていたと述べたのを思い出します。大工が、それを見てガックリしながら一服した後、タバコの吸い殻を捨てたら、泥炭地のせいか、地面が燃え出したそうです。
 かつて畑地だった北区泥炭地だった手稲区に、現在、多くの高層マンションが建てられていますから、大地震が心配です。
 昔の札幌の地盤を知らない住民には、知らぬが仏でしょうね。

札幌市の情報公開」 上田市政になってからの積極的な情報公開が評価されている。全国市民オンブズマン連絡会議による全国の政令指定都市を対象にした総合ランキングにおいて札幌市は2004年度は前年度(桂市政の9位)から大幅に順位を上げ全国1位、2005年度は静岡市に次ぐ2位、2006年度は再び1位と評価されている。札幌市情報へ


 さて、札幌の人口は、東京以北最大の193万人と多いのですが、歴史が浅く、観光名所や特産物などは少ないのが玉にきずです。しかし、どういう訳か、札幌市の人口は増え続けているのです。
 あまりにも人口が増え続けているため、札幌市民が隣の石狩町や広島町まで溢れ出した結果、その2町が市に昇格しました。この石狩市や北広島市も札幌と同様、これといった観光名所や特産物などはありません。
 いま石狩市や北広島市は、札幌市のベッドタウンになっています。
この何もないと言うのが、広大な大自然を育むという観点から見れば、良いところなのかも知れません。

1990年代の札幌大通公園
 本州出身の人が、北海道で暮らす条件として、”厳冬期の生活に照準を合わせる”ということです。つまり北海道では、厳冬期に合わせた衣食住を中心に整えます。まず衣服や靴などの履き物は、冬用の物を揃える。住宅の断熱を整備する。クルマは4WDに買い換えるなどです。

 北海道のマイカーは、4WDが常識になっています。しかし、北海道で最初に必要な物は、”防寒具スコップなどの除雪用具”でしょうね。また、積雪が特に多い地域では、家庭用の除雪機も必要です。

 さらに北海道では、近所付き合いも親密にしなければなりません。
 首都圏では、近所付き合いがなくても生活ができるかも知れませんが、北海道の場合は、そうはまいりません。札幌のような190万都市でも、大雪の時などは、住民総出で除雪作業をおこないます。そうした中から、ご近所との人間関係が築かれていくのです。
さっぽろ昔ばなし 「60年前の記憶」
おわり
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宗教の発生と消滅
 宗教は、縄文時代よりも以前の原始無階級社会で発生しました。
それは、人間の能力では解明できない現象を全て神の業にしたのです。たとえば風の神、火の神、太陽の神、海の神、月の神、雷の神、河の神などです。 このように宗教の起こりは、人間が精神の働き自然の様々な現象といったように科学的な解明ができなかった有史以前の未開状態にあります。
 やがて、倭国(日本列島)に弥生人が到来したころから縄文時代が終焉し、奴隷制度の弥生時代に移行します。弥生時代は戦争の時代でもあったため、その頃から奴隷制度が根付き、邪馬台国の卑弥呼の時代には、中国大陸の「魏王朝」に、邪馬台国から多数の奴隷が、魏の朝廷へ献上物として送られたのです。
 やがて、中国から日本に仏教が伝来します。階級社会では、不平等な格差社会から生み出される不幸や悩みによって、宗教が存在し続けます。
特に奴隷制度が強ければ強いほど、不平等感が痛烈に感じるような状態になり、宗教はますます力をつけることになるのです。
 西洋でも、奴隷制度だった古代には、様々な宗教が発生しましたが、中世になると支配階級が宗教を利用するようになります。つまり、国王や皇帝は、神(教会)やローマ法王からの信認を受けなければ王冠をかぶれなかったのです。
 このように国王や皇帝は、神の名の基に国を治め、他国を侵略して領土を奪い、帝国を広げていったのです。

古代エジプトの奴隷
 中世におけるキリスト教や仏教、そしてイスラム教などの宗教は、圧政に苦しむ被支配者階級のために発生したにも関わらず、国王や皇帝といった貴族階級が権力を維持する為に利用し、一般庶民などの被支配者階級を抑圧するための強力な武器と化した時代だったのです。

 原始時代の無階級社会から長きにわたり、養い育てられた宗教は、現代のような民主主義の時代になったとしても、なかなか消え去りはしないのです。人々の間から、不平等感や差別意識がなくなり、不幸や悩み、戦争や災害などの恐怖、貧富の差が消え去れば、宗教は自然消滅するものと思います。
 話は変わりますが、わが国の宗教人口は、3億人ともいわれています。実際、どの程度の人が宗教団体に加入しているのでしょう。
日本の総人口1億3千万人よりも多いということは、一人が掛け持ちで加入している、もしくは宗教団体に加入していることになっているのでしょうね。
 私はどこの宗教団体にも入っておりませんが、先祖代々禅宗(曹洞宗)で葬式を出しております。私の結婚式は神前ですが結婚披露宴は洋式でした。しかし、親の葬式は禅宗(曹洞宗)で出しました。私自身の葬式もおそらく禅宗(曹洞宗)になるでしょう。

 国民が宗教のお世話になるのは、結婚式や住宅などの起工式や竣工式、七五三のお祝い、合格祈願、選挙の当選祈願などでしょう。他には、初詣やお祭りです。
 宗教団体が、お金や檀家を集めるのは自然な行為であって、それをしなければ宗派を維持できません。托鉢は修行の一環として、お釈迦さまの時代からおこなっていたようです。
 しかし統一協会や、地下鉄サリン事件のオウム真理教のように、人の弱みにつけ込みながらお布施を集めるやり方は、批判されて当然です。
 また、かつての法の華三法行、いわゆる”足の裏教足裏診断)”の場合も、宗教ではなく単なるビジネスです。人の弱みにつけ込み、信者に借金までさせて、お金を巻き上げるとは絶対に許せませんね。健康のためには宗教に頼らず散歩をしたり、「青竹踏み」で足の裏を刺激すればよいのです。
 宗教に限らず、詐欺などに引っかかりやすい人は、意志が弱かったり、自分の思想信条を持たない人に多いものです。
 ところで統一協会は「産学協同フォーラム」など、公的な組織と紛らわしいな組織を作って、産官学界に進出を図っているようです。
いずれにしましても、宗教は様々な団体に形を変えて迫ってきますので、弱みにつけ込まれないように注意すべきと思います。
 青森県には、映画「八甲田山」で有名になった田代温泉や十和田湖には何度も行きました。数年前、結婚式に招待され、青森空港からバスで弘前市内に向かう途中、面白いといいましょうか、珍しいものを見てしまいました。
それは、ある社(やしろ)の両側に、こま犬ではなく、馬の石像を対にして置いてあったのです。”狛犬”ではなく”狛馬”ですね。
私は、披露宴の祝辞を頼まれていたため多少緊張していたのですが、それが多少ほぐれました。
おわり
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霊魂と宗教と転生について
 私がいつも思うことですが「霊魂」は宗教の分野ではないと思うのです。それでは何の分野と聞かれても私には分かりません。だから霊魂なのです。私は霊魂を、医学や生体など、科学の分野であると思うことさえあります。
 私は宗教を信じていませんが、結婚式では神仏に対して誓約したり、葬式や法事には、禅宗の僧侶にお願いしてお経を上げて頂いております。
また、クリスマスにはケーキを食べながら乾杯し、正月には、神社に初詣に行って願いをかけたりします。

 以前、青森県の「恐山」に一度旅行したことがありますが、血の池地獄賽の河原などがあり、なんとなく辛気くさくて、あまり気持ちが良いところではありませんでしたね。しかし温泉が湧いていましたので、一風呂浴びました。 良い湯でしたよ。

恐山 伽羅陀山菩提寺
 その恐山では、死んだ人の霊を呼ぶという「イタコ」が有名ですが、あれは眉唾物ですね。また、東北弁特有の”なまり”があるので、呼び出される霊も迷惑していると思います。
 冗談話ですが、東北弁のイタコに、死んだ父親の霊が乗り移り「おらは、すんだ(死んだ)、おめのとっちゃやんす」なんて言ったら、父親の霊に「なにナマッているんだよ」と叱られるかも知れません。

 さて、宗教では、よく「死霊」と「生霊」という言葉を使いますが、死んだから「」と言うのではないでしょうか。しかし「三つ子のたましい百までも」という言葉がありますので、生きていても使うのかも知れません。
 「霊魂」の問題は難しいですね。霊魂が「元素」のように存在するかどうかということが分かりますと「転生」があることが分かると思います。
 ある学者の話ですが、人が死亡する”直前”と”直後”の体重を測定したところ、死亡直後では体重が数グラム減少していたそうです。
 この差が「霊魂の重さ」であるそうですが、私には、人の体重というものは刻々変化しているので、この説は信用していません。逆に考えますと、妊婦の体重が急に変化したときが胎児に「霊魂」が乗り移った時と考えることもできると思います。
 また、 ある学者の説では「世界全体は物質から成り立ち、この物質はその存在そのものに時間と空間を備えているわけですから、物質の世界は時間的にも空間的にも無限で、これ以外に別の世界があるとは考えられません」と言います。
 また、ある学者は「物質は不滅で、身体という物質の組織があり、身体の組織が破壊されれば精神は消滅しますが、身体をつくっている元素はなくなりません」と言います。
 つまり、前者は、「第3の世界は存在しない」と言い、後者は身体が消滅しても、その元素は残ると主張し、「第3の世界が存在する」という余地を残しています。私は、どちらかというと、後者の説「第3の世界が存在する」を信じています。

 私はこの「第3の世界」とは霊魂の世界であると思います。
 人間の目で見える波長は有限です。人間の目には見えなくても、存在する物が多数あります。たとえば、電磁波や超音波あるいは炭素、水素、酸素などの元素で目には見えません。放射線も目には見えません。

 私は「霊魂が元素となって時空をさまよっている」と思うのです。したがって、霊魂は、人間や動物、鳥や魚、虫など全ての生物が、生まれてくる新しい生命と結合して「転生」すると考えています。
例えば、私の前世はイノシシだったかも知れませんし、来世は小さい虫に生まれ変わるかも知れません。

 霊魂に数があるとしたら、相当な数であると思います。人間一人についても、身体には多数の細菌が生息しているので、魂は無数にあると思います。しかし、宇宙や地球から見れば、人間自体が細菌のようなものです。
 人間の「意識」はどこにあるのかと聞かれますと、大抵の人は、「」にあると答えると思います。たとえ、目では見えなくても脳で見ることができるのです。例えば夢です。
 しかし人間が死んだ場合は脳も死にますから、当然、意識などありません。まして、火葬されて骨や灰になってしまいますと、「脳」の存在そのものがこの地上から消えてしまいます
 宗教は、死後の世界を説きますが、死後の世界というものは、元素化した霊魂の世界のみであると思います。
 従って、そこには、宗教で説かれている天国や地獄極楽浄土などは、絶対に有り得ません。あらゆる生物が死ぬと、その「霊魂」は地上で浮遊しながら新しい生命体の誕生を待ちつづけ、「転生」の機会を伺っていると思うのです。その期間は数年か、数十年か、あるいは数百年、数千年後かも知れません。
 しかし、たとえ「転生」するために、数千年の期間を要したとしても、霊魂には意識がないので、時間の進行はまったく感じないのです。たとえば、私の前世は、2000年前の弥生人だったかも知れないということです。
おわり
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食人鬼
 私の小学生時代、ある女の子と登校するのが楽しみでした。
何故かと言いますと、その女の子が話してくれる怪談奇談が楽しみだったからです。その中から、特に怖い話を紹介します。

【怪談奇談】
 修学旅行から話が始まります。今日の宿はお寺の宿坊でした。
そこでみんなは、墓地一周の度胸試しをすることになりました。最初は太郎君です。太郎君が提灯をもって、おそるおそる墓地の入り口に来たとき、どこからか、誰かが何かを食べているような音が聞こえてきたのです。
 そこで、太郎君が、音のするほうに行ってみましたら、恐ろしい顔つきをした食人鬼が人肉を食べているのです。
 それを見た太郎君はびっくりして、這いずりながら逃げ出しました。その後から食人鬼が、ものすごい勢いで追いかけてきました。
 太郎君は、ようやくクラスメイトがいる寺の宿坊にたどり着き「たいへんだ食人鬼がやってくる」と皆に知らせました。

「(図鑑)怪談奇談」表紙
 クラス全員は、食人鬼に分からないようにしようと考え、電気を消して、布団に潜り込みました。しばらくして食人鬼がやってまいりました。
 そして太郎君を見つけだしました。とうとう太郎君は、食人鬼に食べられてしまいました、とさ。【おわり】
さて、ここで問題です。
「食人鬼は、どうやって太郎君を見つけだしたのでしょう。」
●答え:女の子の話によると「太郎君だけが”心拍数”が高かった」からだそうです。
おわり
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宗教と政治と人生観
 広い世間には「宗教も政治も”社会の幸福”を追求する事においては同じ」と仰る人がおります。私も、そう思いたいのですが、宗教にしても政治にしても党利党略、私利私欲を追求しているように見えて仕方がないのです。
 昔は「祭政一致」などといわれて来たように、政治は「祭事」。つまり、邪馬台国の卑弥呼の時代から「宗教に頼って行われるべきもの」とされていたのですが、現在では、そういう形を表だって取っていませんね。
 体制として、我が国は良い方向に向かっているものと思いたいのですが、原発事故以来、日本は狂ってしまったようです。
 福島第一原発の作業員が不審死しても検察機構は動きません。それどころか、警察は放射能を撒き散らしている加害者である東電を守り、それに抗議した被害者の国民を逮捕しています。大本営発表や原発安全神話のように、ウソを突き通して国民を騙す時代は終わりにしたいものです。
 さて、私の知人に、モルモン教信者がいるのですが、その宗教の戒律を守らず、また神に感謝することも殆どありません。
その宗教では、タバコや酒、コーヒーも禁止され、収入の10パーセントを寄付として教会に納めることになっております。しかし、その知人はタバコはプカプカふかしますし、毎日晩酌もしています。
 晩酌の後には、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいます。お布施(寄付)は、収入が少ないという理由で納めていないそうです。
 私はその知人に会う度に、戒律を守らなければ、バチがあたるぞ!と言って上げてるのですが、笑い飛ばされます (^^)。
 このように戒律を守らない人にとって、宗教というのは単なる気休めであると思うのです。

 けれども、誰も彼もが皆、一貫した方針のもとで自分の生活態度を決めているとはいえないようです。人びとの中には、ある時は馬鹿におおらかにかまえているかと思うと、時には、ひどくケチくさく、コセついて振る舞うとか、殊勝な信心家とみえる人が、実は腹ぐろい人間として表れたりするということもあると思います。
 そのような人たちは、一つの人生観ではなく、いろんな人生観をゴチャゴチャにもっていて、必要に応じて、都合良くあれこれでてくるのです。
 世間には、こういう人が決して少なくないものです。
 いろんな人生観を、時と場合、自分の都合によって使い分ける人は、世間的には良いふるまいができるという利点をもっているようですが、他方では、どうもあの人間は信用できないというように、人から見られるという欠点も持たざるをえないでしょう。
 しかも、人間が生きていく道に、そんなに異なった真実の道があるわけではないので、一貫した人生観でやっていかなければ、ムダな生活に時を費やしてしまうことになるわけです。
 こういうことが分かりますと、何としても、しっかりとした人生観を持つことが大切だと考えなければならないと思います。
おわり
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辛かった宮仕え
 大学に在職当時、宮仕えをしていて時々疑問に思うことがありました。
それは、助手(現在は助教)から直接給料を貰っているわけではないのに、何故その者の命令に従わなければならないのか、ということです。
 そもそも助手は教育職であり、技官の私は行政職ですので職種が異なり指示命令系統も異なります。
当時、助手の上司は「教授そして学部長」であり、技官である私の上司は「総務課長そして事務部長」になります。
 但し、私と助手とは同じ研究室ですので、教育研究に関する指示命令は教授が行います。
 教授からの指示命令と申しましても「お願い」という形で仕事が与えられます。例えば、「石川君、このような実験装置を設計できませんか」とか「実験してデータを取ってくれませんか」といったようにです。
 実験装置を作ったり、実験データを取る場合には、夜中の12時までかかったり、徹夜になることも多々ありました。当然、残業手当などは付きません。
(在職時)
製作したマイクロプロセッサーボード
自作したAD/DAコンバータ用の集積回路
 これらを考えますと、当時、いかに自分を殺していたかという事です。
クレージーキャッツの植木等の歌「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」というのは昔の話で、サラリーマンは「心身を削る稼業」になっていました。
 時々私は、少年時代に夢見ていた「電気屋」さんでも開業したいと思いましたが、商売や金儲けは苦手です。
 また、テレビやラジオを修理してまで使う時代が終わり、電化製品が壊れたら、修理に出さずに買い換えるという時代になっていました。
 しかし、何か社会の役に立ちたいと、いつも思っていましたね。そうしているうちに定年退職になってしまいました。
おわり
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医療費問題
<大病院の初・再診料が値上げされる>
 予期せぬ病気や病弱で通院している方、そして入院されている方には、医療費の値上げは本当に堪えると思います。だいたい、厚労省官僚の汚職や天下り、そして薬価や検査料などをそのままにしておきながら、医療費だけを値上げするというのは到底納得できません。

北大病院全景
 現在でも、サラリーマン本人3割負担と医療費の値上げが実施されており、多額のお金がなければ病院にかかれないという事態に陥る恐れがあります。これでは、まるで江戸時代に逆戻りではないかと思います。
 10年ほど前、娘が交通事故に遭い、頭部を打ったので、札幌医大付属病院の「外来受付」に行きますと「交通事故の場合、医療費の支払い者が分からなければ診察できません」といわれ、何も診療してもらえなかった事があります。

抑制できない医療費
 税金は上がる、医療費が上がる、公共料金も上がる、上がらないのは給料くらいでしょうね。
 しかし税金や公共料金の値上げの場合、家計の支出を抑制することで、ある程度の対策が可能ですが、病気を抑えることはできないので、医療費の値上げの対策はできません。特に心臓病や高血圧症などの慢性病を抱えている方には深刻な問題です。
北大病院横の母子像

財団法人協斉会(北海道大学病院)が創立65周年を迎えた昭和61年(1986年)11月22日に建立し寄贈したもの。作者は本田明二。
「全身の愛と力を両腕に込めて、いとし子をしっかりと抱くその姿は、訪れる人たちや患者の心を強く引き付ける。」と説明版にある。
着衣の母親が膝をそろえて腰かけ子どもを抱く母子像のフォルムはめずらしいといえる。幼子が母親に甘えるかのように首を母親の方に傾けている。安定感があってみるものにほのぼのとした心の落ち着きをあたえている。
母親の顔には、本田明二作品ならではの雰囲気がにじみ出ている。(松原安男)

 この際、各病院で「医療費の超特価キャンペーンでもやったら」と思うこともあります。また薬品会社は「薬品のバーゲンセール」を実施するのです。市販薬の場合「薬のツルハドラッグ」などでも安売りしています。
 私が行きつけの病院では、患者に中元や歳暮を配ったりしています。そこまでしなければお客(患者)が他の病院に離れていくのかも知れません。

 ところで、病院に行くと、女性の患者が多くて「ここは婦人科ではないかな」と勘違いすることもあります。
 私の母も、札幌市西区の病院を中心に、診察券を何と30枚以上持っていました。いやあ驚きましたよ。整形外科の診察券が多かったですね。
 男性よりも女性の方が長寿であるのは、女性は日常的に、健康に気をつけていることが理由と思います。男性も健康の為に、大いに病院に行き、長生きしましょう。

<高い手術代>
 高齢者の場合、手術代も高いですね。母が「背骨の手術」をした時には、444万円もかかったようです。また、叔父は「心筋梗塞」の手術に、720万円もかかりました。しかし高齢者であるので「自己負担はゼロ円」だったので助かりました。
 更に医療費が高額なのは、私の父のような「透析患者」の場合ですね。
透析病院では、1回の透析に3万円くらいの経費かかるようですから、父のように週3回の透析の場合、1ヶ月で36万円、1年で432万円になります。
 私の父は、透析を始めてから10年目で亡くなりましたので、透析だけで、4,320万円もかかった事になります。
他にも、人工透析のシャント手術が数回、心筋梗塞の治療そして長期の入院費などを含めると、父の10年間の治療費の合計は、5,000万円~6,000万円もかかっていたと思われます。しかし当時は透析患者の自己負担はゼロ円で、全て健康保険から支出されていたわけです。組合員の皆様には、本当に感謝しております。
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ダイアナ
 私は、まず「ダイアナ」といえば、ポールアンカの唄の題名「Diana」を思い出します。次に思い出すのは中学時代の担任の先生です。
 なんで?と、思われるかも知れませんが、その答えを話します。
ダイアナというのは、その担任の先生の「あだ名」だったのです。その由来は、鼻の穴がデカかったから「大穴(ダイアナ)」と呼んでいました。
 ある日の昼休み、教室で同級生と「ダイアナ!、ダイ穴!」と、ふざけていましたら、ちょうどその担任の先生が来て「いまダイアナと言った者は前に出なさい!」と言われたので、クラスの半分近くの生徒が前に出たのです。
 そして、担任の先生から「何故、ダイアナと言うのか理由を言いなさい」と質問されました。
私は「ポールアンカの歌の題名かと思いましたが、まさか先生の”名前”とは知りませんでした」と答えてしまったのです。
 いやあ、私は「先生の”あだ名”」と言うところを「先生の”名前”」と言ってしまったため冷や汗がでました。そして、とうとう私は職員室に呼ばれるハメになってしまい、1時間くらい説教されました。
 話は変わりますが、 1997年8月に、交通事故で亡くなられたダイアナ元英国皇太子妃はお気の毒でしたね。しかし普段から、あまりにも目立ちすぎたのが命取りになったのではないでしょうか。また、美人に生まれた宿命かも知れません。
 古くは、クレオパトラや楊貴妃も短命で、いい死に方をしなかったですね。
(C) 20th Century Fox
Cleoptatra enters Rome in the 1963 movie Ceopatra
エリザベステーラー主演 
映画「クレオパトラ」ローマ入城より
おわり
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エアコン
 北海道のような厳寒地に住んでいますと、時々、暑い夏場が恋しくなるものです。北大に在職していた頃、出張でよくお伺いした調布の某大学では、クーラーやエアコンを使いすぎると「節電に協力して下さい」というように、学内放送されていました。
 このような規制は、会社関係でも同様と思われますが、問題は規制が行き届かない一般家庭のクーラーやエアコンと思います。
 首都圏では、夏場、毎日のように30度以上に気温が上昇しますと、電力消費量が極端に増加して変電所がパンクするかも知れません。それよりも、この蒸し風呂のような暑さで、よく生きていられますなあ、と思うのです。
190万都市 札幌の夜景
(北区、北海道大学方面)藻岩山山頂から撮影
 北海道のような厳寒地では、寒さは衣服を着込めば、ある程度凌げますが、首都圏の暑さは衣服を脱いでも凌げません。
また、脱ぐにしても若い娘さんならともかく、年寄りの場合、ヘソを出すわけには行きませんので限界があります。その点では、北国は住みやすいと思います。冬季間は、毎日のようにスキーが出来ますしね。
朝焼けのニセコアンヌプリ
(蘭越町湯里・ニセコ山荘から撮影)
 札幌は、豪雪地帯であるにもかかわらず、人口が多くなりすぎたのが問題です。私が子供の頃はまだ40万人程度だったのですが、現在は約190万人以上というように、人口が増加しており、更に増え続けているようです。
 自然を守るためにも、人口の増加を抑える必要があると思います。
この際、以前合併した、豊平や手稲などを、札幌市から分離するのも一手段だと思います。
おわり
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住んでみたい町
 以前、テレビの番組で「住んでみたい町」について視聴者からアンケートをとった結果、1位が京都、2位が鎌倉、3位が仙台、そして4位が札幌でした。その理由は「豊富な自然」ということでした。

 私は、札幌にしか住んだことがないので、他の町のことはよく分かりませんが、自然が豊富であることは確かです。
しかし、昭和の30年代初期まで、畑の真ん中に小学校があった子供の頃と比べると、いまの札幌は190万都市になり、自然がかなり失われてしまいました。物不足の時代であっても、子供の頃の札幌は住みやすかったですね。

190万都市札幌
 夏場、札幌では、昼間の気温が30度以上になったとしても、夜間は20度前後にまで下がりますし、湿度も低いので、夜、寝苦しいということはまずありません。過ごしやすいことも、住んでみたい町として挙げられるようです。
 また、水も美味しいのですが、キタキツネによるエキノコックス病が問題となっております。時々、ヒグマやエゾシカ、キタキツネが、周辺の山から住宅地まで下りてくると言うことは、自然が破壊されて、餌が少なくなっている証拠と思われます。
おわり
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国立大学の独立行政法人化
 国立大学の独立行政法人化は、大学改革の論議とは全く別に、行政改革の流れの中で突如対象となったと思われます。
これは、長期展望に基づく教育政策の裏付けではなく、行政改革推進の数合わせに利用されたと言っても過言ではありません。
つまり、当時の自公保連立政権は、公約実現に向けて数合わせに四苦八苦しており、国立大学は甘い果実に映ったとの指摘もありました。

北大工学部(五月)
「大学の独立行政法人化の問題点」
 当時、大学の独立行政法人化は、大学の独立性が高まるとともに個性を発揮できるのではないかという意見がありましたが、次のような問題点があったのです。
 1.大学の自治の根幹に関わる問題である。
 2.大学の教育・研究とは、大学自らが企画立案し行っていくものであり、それ以外の形はない。
 3.評価委員会の構成員の不明さ、さらに総務省の審査があり、国家権力による大学に対する介入が見え見えだった。
 ●通則法の問題点
 ① 学長の任命権は主務大臣がもつ。
 ② 3~5年の中期目標の設定、大学の改廃措置と関連。
 ③ 中期目標の達成度の度合い、評価委員会や総務省が判断。

「独立行政法人化の問題点を個別法で穴埋め」
 文部省(当時)は、大学の独立行政法人化による「問題点を個別法で穴埋」するのではないか、という憶測がありましたが、これについても次のような反論がありました。
 1.個別法は通則法の枠内である。
 2.特例法の形なら検討の可能性があるが、それは独立行政法人と呼ばれないものになろう。
 3.なぜ独立行政法人化という教育政策不在の方策で、手を着けねばならないのかという無力感。これはモラルの低下を招く。

総務省からの夜景
「国立大学は聖域か」
 国立大学が聖域でよいのかという意見もありましたが、行政改革で聖域化されたのは、むしろ中央官庁のほうです。特に、改革されなければならなかった「総務庁は、総務省に昇格」したのです。
 国立大学の独立行政法人化は、官僚の一人勝ちに終わった行政改革から、人目をそらす口実でしかないという意見が多かったということです。
おわり
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これからの大学
 最初に、最近、話題になっている大学生の学力低下の理由を述べたいと思います。確かに平均点では、10年前のほうが高いのですが、この理由は、優れた人がいなくなったのではなく、少子化のため、同じ世代の若者が減少した為に「競争倍率が低下」し、更に「進学率が増加」したのが大きな原因と思います。
 これが悪い傾向とは言えませんが、大学生の学力低下のみを大きく捉えるのであれば、その背景を考えなければダメだと言うことです。

北大工学部(昨年5月撮影)
 現在、大学において、研究機能は大幅に高くなり、ほとんどの国立大学が大学院大学へと変貌してきました。
 また、多くの教官は、完全な国際競争力を保持し、世界に進出しております。しかしながら「大学が就職のための機関」となっており、入ることと出ることの役割しか評価されていないのが現状といわれております。

 これからの大学は、「年齢に関係なく、幾つか学びたい学問だけを選択できる多様な大学」が必要という意見が少なくありません。
例えば、社会人の定年退職後も高い教養を身につけるために、大学および大学院への進学を推進させることが重要と思います。

北大工学部
講義室

北大工学部
玄関ロビーから続く廊下と公用掲示板
 次に、「官僚の学歴」について一言。
 我が国では昔から東大法学部が高級官僚養成マシーンといわれております。しかし、東大法学部卒というのは学歴というよりも、単なる「ブランド」と言ったほうが相応しいかも知れません。これは、日本人のブランド志向が最大の問題なのです。
 外国の多くの高官は博士号を持っています。それと比べれば、日本の官僚は、「日本では”最高”学歴」かも知れませんが、「世界では”最低”の学歴」しか所持していないのです。
 修士や博士コースで学ぶ過程で官僚になるにしても、その志の中身は違ってくるはずというのが、蓮見重彦先生のお言葉であります。
おわり
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バイク事故
 私は30年ほど前に、バイクで通勤していたことがあります。朝夕のラッシュ時間帯は、車が混んでいて非常に危険を感じました。
 また、交通事故に遭ったことも2回ほどあります。1回目は、旧5号線の「交番の前」(現在の西友札幌西町店の付近)、2回目は「札幌トヨタ自動車の前」でした。
 1回目の時は、旧5号線を直進していた私のバイクが、「交番の前」で右折車と衝突したのですが、かすり傷程度で済みました。
 もしも、打ち所が悪ければ、指の2~3本は失っていたものと思われます。
 この時、事故処理に来た警察が「私のバイクが事故の原因」のように言っておりました。また警察官から「人身事故にすると貴方が罰則を科せられます」と言われました。しかし私は直進車で、優先と思い不満でした。

 2回目の時は、1回目と同じ旧5号線で「トヨタ自動車」の前でした。その時は、直進していた私のバイクが、トヨタ社員運転のクルマに衝突されたのです。私のバイクは、横からぶっつけられたため横転しましたが、その時もかすり傷程度で済みました。
 この時、事故処理に来た警察官は「トヨタ自動車社員のクルマが事故の原因です。人身事故になるとトヨタ自動車の社員に罰則が科せられます」と述べましたが、私はかすり傷程度でしたので、人身事故扱いにせずに、札幌トヨタ自動車側にバイクの補償をして貰うことにしました。
 1回目も2回目も、衝突した場所が多少違いますが、状況は同じようなものです。それが、何故、交番の前で衝突した時には、私が事故の原因になり、トヨタ自動車の前で衝突した時はトヨタ自動車社員が原因になるのでしょうね。今でも疑問を感じております。
 私のバイクの修理にも1ヶ月以上日数がかかりました。なかなか修理が出来てこないため、自宅近くの札幌トヨタ自動車の社長宅(現・相茶取締役名誉会長)にも電話をした結果、ようやくバイクが元通りに直って引き渡されました。

 その社長の後継者が、現在の「札幌トヨタ自動車 代表取締役会長 相茶俊介氏」なんですが、彼は北大工学部に在学当時、私が代表を務めるサークル「北工会レコード鑑賞会(当時)」の中心メンバーだったのです。
彼は当時、オーディオに熱中していて、活発に活動しておりました。
その頃の「小話」は、後日述べたいと思います。
おわり
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とっつぁんバイク
 新聞配達や郵便配達が、ツルツルの雪道を50ccの「とっつぁんバイク」で走っているのを見かけます。
 よくまあ、滑るのも、おっかながらない(方言)で走るものだと半分は感心し、あと半分は迷惑を感じております。
 その理由は、もしも、そのバイクが目の前で転倒されて、それをクルマで轢いてしまったら、業務上過失致死罪や致傷罪になるからです。
 雪道の、特にアイスバーン状態でのバイクの運転はやめて貰いたいものです。これは自転車も同じです。特に自転車の場合、2輪車用の滑り止めを付けているかどうか疑問を感じます。これがなければ違反でしょうね。
おわり
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交通違反の反則金を10倍に
 先日も、駐車違反取り締まりの光景を見たのですが、どしどし検挙すべきと思いましたね。それにしても、駐車違反の反則金は安すぎると思います。
その理由ですが、違反車両は片側2車線の場合、1車線を占有しているに等しいわけですから、断固とした対応が要求されると思います。
 また、駐車違反のドライバーは「故意」に違反するわけですから、無意識のうちに違反する(場合が多い)スピード違反よりも、たちが悪いと思います。 私は、駐車違反やスピード違反のドライバーには、現在の反則金制度を取りやめ、現行の10倍以上の「罰金」を科すようにすべきと思います。
 そうでもしなければ、交通違反や交通事故は一向に減らないと思いますし、安心してクルマを運転することはできません。
2000年の段階で、我が国における車の保有台数は、約9千万台、運転免許保有者は、実に7千万人に達したと言われております。
 交通違反の反則金は、交通反則告知件数(青キップ違反取締り件数)が、毎年、約8百万人というように一定しており、その理由として、反則金収入が、今や国の重要な財源になっているようです。
   この8百万人から徴収した反則金は青キップですから、せいぜい一台当たりの駐車違反、普通車15,000円で、反則金収入は1200億円(普通車のみの場合)くらいにしかなりません。
 そこで、駐車違反の反則金を現在の10倍にすれば、国への税収が増え、赤字国債などの穴埋めになるのではないかと思います。

 あるいは、反則金を「従量制」とする方法もあります。
現在は、駐停車違反や駐車違反の反則金は「定額制」であり、5分でも1時間でも、反則金の金額に変わりはありません。同じ違反でも不公平です。
 そこで例えば、反則金を、駐車違反を現認してから1分経過する毎に、1,000円ずつ増額していくというように「従量制」とするのです。
この結果、迷惑駐車が解消されて、交通事故が減少すれば、税収も増えて、一石二鳥です。まあ、反対者が多いと思いますが、迷惑駐車を根絶する一つと方法と思います。
おわり
新しい駐車禁止違反と罰金について
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時差出勤
 冬場、降雪量が多いときは、必ずと言って良いくらい道路が渋滞しております。昔から、時差出勤という話が出ておりましたが、一向に導入されないのは何故でしょうか。
 サラリーマンの休日の日までも、官と民は大体同じです。
 少なくとも、一般企業と官公庁で時差出勤を導入したら、道路の渋滞や地下鉄などのラッシュが緩和されるのではないかと思います。
 例えば、一般企業の勤務時間が午前9時からとしたら、官公庁は午前8時からという具合に、1時間くらいの時差出勤にするのです。
 こうすることにより、渋滞が緩和され、エネルギーの無駄を省き、クルマの排気ガスなどが減少し、少しは公害が防止されるのではないでしょうか。しかし、昼間でも道路が渋滞している現実を見ますと、時差出勤だけではなく、マイカーの市街中心部乗り入れの禁止や通行税というのを徴収するのも渋滞緩和の一つの方法と考えられます。
 イタリアのフィレンツェでは、バスの市内通行税を取っています。
これは観光目的だけかも知れませんが、日本でも市内中心部では、時間帯によって、一般車両にも市内通行税を課すべきと思います。
おわり
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学生の個性
 北大に在職の時いつも思っていたのですが、1960年代の大学紛争時の学生と比べますと、最近の学生には個性が感じられません。
また、学生の資質が、ほとんど平均化されてしまっているように思えます。いまもそれほど変わらないでしょう。世間でも言われているように、他力本願で、一人では、何もできない学生がほとんどと思われます。

 あるいは「仲間同士で行動しなければ浮いてしまう」と言う考えがあるのかも知れません。私が若い頃は「正しいと思ったことは一人になっても完全にやり抜く」という、いわゆる「一匹狼」的な学生が多かったわけです。しかし、大学側から見れば、そのような個性的な学生は、非常に指導しにくかったと思われます。
 現在の学生は、ろくに挨拶もできない者が多いです。
少なくとも「お早うございます」くらいできなければ、近所付き合いや就職してからの勤務にも支障を来すのではないかと思います。
 学生の多くが、世間の人とまともに会話が出来ない一つの理由として、いつも受け身で、コンピュータばかりを相手にしている事が根底にあるのではないかと思います。
 つまりこれは、コンピュータ(機械)とばかり会話して、人間と会話をすることを忘れてしまっているのではないかと思います。恐らく、就職した場合も上司や同僚との会話や、更に窓口業務や営業にまわされた場合、非常に困ると思いますね。
おわり
目次
消防士に殴られた子供
 私が小学生の頃(昭和20年代)、自宅向かいの桑園市場(当時)でボヤ騒ぎがあったのですが、その時、野次馬の中に、私よりもちょっと大きい中学生くらいの子供がいて、その火事を見ながら「ニヤニヤ」と笑っておりました。
それを見た消防士が、「何が可笑しい!」とその中学生を殴ったのです。
私はビックリしましたね。
それ以来、私は消防士って怖いんだという認識を持ったわけです。
 それから約50年、私の自宅近くで、ガス爆発による火災が起きたのですが、その時、消防士が「ニヤニヤ」と笑いながら消火活動をしていましたが、これは許されるんでしょうか。
 また、その火事を見ていた近所の奥さんの話によると、消防車が「梯子を積んでこなかった」そうで、消防士が梯子を探しに火事場近くの住宅を一軒一軒回っていたそうです。
呆れて物が言えませんね。
おわり
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同世代の消息 
私くらいの年齢になると、その昔、何かの縁があって想い出として残っている同世代の消息が気になるものであります。
私が、まだ3歳くらいの頃の話です。ある日、母親とカルタやトランプ遊びをしていたとき、玄関をガラガラと開けて、私くらいの子供を連れた母子が来て「何か食べる物を下さいませんか」と訴えるのです。

いわゆる、当時の言葉で「物もらい(乞食)」なんですが、戦後の混乱期から数年経過しても、立ち直れないで乞食や物もらいをしながら生活をしている人々が多く、まだ、戦時中の傷跡が癒されていなかったのであります。

私の母親が、おにぎりを作って、その母子に与えていた光景が目に焼き付いています。いま思えば、その物もらいの母子は、貧困生活をしていた私と母よりも、良い着物を着ていたのが何となく印象的でした。当時、私の母親の年齢は21歳でした。
(昭和25年3月頃、札幌市北4条西20丁目 電停付近)
自宅前から父が撮影
私と同年代の子供の中には、知的障害者の子供もいました。その頃は施設も充実されておらず、その子供が、よく自宅の近くまで遊びに来るのですが、近所の子供達は相手にしませんでしたね。

ある日、私はその子供と水鉄砲で遊ぼうと思い、自宅の近くまで誘ったのですが、保護者がスクーターでやって来て連れて帰りました。その保護者、私に何か言いたそうでしたね。その子供も、健康であれば、私と同じくらいの歳になっていると思いますが、元気にしているかどうか、消息が気になるものであります。
おわり
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マグロ
戦後の混乱期は自殺者が多かったですね。当時は生活保護といった制度もありませんでしたので、将来を悲観しての自殺が多かったようです。
戦後、多くの国民は、食べていくのでさえ困窮していた時代でしたので、食料品の買い出しの日々だったようです。また、ヤミ米も横行し、警察に見つかると没収されたそうです。
私の母が言うには、叔母の家から貰った米でさえ、警察に没収されたそうです。母はいま「あの米(没収された米)は警察が食べたんでしょうね」と言っています。戦後の混乱期に、ヤミ米として没収した米は、いったいどこに消えたのでしょうね。
戦後の混乱期 食料品の買い出し風景
さて、戦後の自殺と言えば、鉄道自殺が多くて、鉄道公安官だった父親は、その度に現場検証に行ったようです。現場は、機関車と客車の車輪で、細切れにされた死体が横たわっており、丁度、「マグロ」の刺身のようだったそうです。
それで、父親は、鉄道自殺があれば「マグロがあがった」と呼んでおりました。以前、桑園駅の近くの「開かずの踏切(現在は高架で踏切はありません)」に、お地蔵さんが立っておりましたが、それは、鉄道自殺者を供養するために建てられたそうです。
父親は、それから間もなく、鉄道公安局から札幌駅勤務に移動しましたが、酷たらしい自殺者の遺体を見るのが辛かったのかも知れません。
しかし父親は、戦時中、中国で敵を7人殺したと豪語していましたから、死体を見ることには慣れていると思うのですが、同胞の場合は別なのかも知れませんね。
同胞でも、搾取する者、される者、騙す者、騙される者、殺す者、殺される者・・・このような事を思えば、とても同胞とは思えない人間が多すぎます。もっと、平和で豊かな社会を築くために、公正に、清く正しく美しく、生きていけないものでしょうか。
おわり
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自殺者には厳しい大学
以前、京都・小学生殺害事件の被疑者が、マンションから飛び降りて自殺したという事件がありましたが、被疑者は高校を卒業させられた事に不満をもっていたようですね。

ほとんどの生徒は、単位が足りなければ、卒業できないことを悩むはずです。しかし被疑者はその逆で、卒業したことを悩み、中退にしてもらえなかったことに不満を抱いていたようです。私にはその心境が分かりません。

かつて、私の周りにも、単位が取れないことを悩んで自殺した学生がおりました。自殺の要因は、ただそれだけではないと思いますが、少なくとも単位が足りなくて卒業できないため、希望していた会社にも就職が出来なかったことが大きな要因になったと思います。

北大工学部の噴水
その学生が自殺する前、私にこんな質問をしました。
   「生きていて何か良いことありましたか
私には、質問の意味がよく分かりませんでしたが、子供の頃の貧困生活と青年期の大学闘争を思い起こし、
   「生きていて良いことよりも、辛いことの方が多かったと思います」 と答えました。
その後、その学生は、大学を休むようになり、海水浴シーズンが終わったある日、石狩浜の番屋で首を吊って自殺しました。残念なことです。一番ショックを受けたのは、指導教官である教授でしょうね。
学生が自殺したことについて、ある就職担当教授は「学生のうちに自殺して良かった、もし就職してから自殺でもされたら、会社に迷惑をかけることになった」等と冷たく扱っておりましたね。

はまなすの丘公園と石狩浜
なんとまあ、厳しいお言葉でありました。
その後、教授会は、自殺したこの学生について「かつて母親も精神を患い自殺しているため、学生も精神的に異常だった」という結論を出し、指導教官の教授に対しては、何のお咎めなしとなりました。
おわり 
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親の仕付
 最近、話題になっている、青少年による凶悪事件などを見ますと、どうも「親の仕付」がなっていないような気がしてなりません。また、変な仕付をしますと、トンでもない人間が出来てしまうと言うことでしょうか。
人は皆、生まれながらにして平等であるはずですが、子供は、親の収入や生活環境によって、どうしても影響を受けてしまいます。
古今東西を問わず、ある人は栄華栄達を成し遂げ、ある人は借金地獄で苦しみます。額に汗して働く者が報われる社会になって貰いたいものです。

親の仕付けの極端な例として、昔、戦後の混乱期を舞台にした「この子の七つのお祝いに」というサスペンス映画があったのを思い出します。
この映画、親の仕付という観点から捉えると、充分に有り得る物語かと思います。
この子の七つのお祝いに (1982松竹)予告編
とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの 細道じゃ...母から娘へ
一枚の手型が奏でる"殺し"の子守唄。
●原作 斎藤澪 ●制作 角川春樹 ●監督 増村保造
 ●主演 岩下志麻
(あらすじ)
ある少女が、母親から毎日のように「お前の父親は悪い父だから、私が死んだら仇を討っておくれ」と言われながら育ち、そして母親は自殺してしまいます。成長した女性は、連続殺人を起こします。
そして、本当の父親が現れたとき、女性は、亡き母の遺言通り、父親を殺そうとしますが、真相を聞かされ・・・。

この映画では、自殺した母親の本当の子供は、戦後の混乱期に「ネズミにかじられて死んでしまった」という設定ですから、その頃の状況が分かるような気がします。(最近、福島第一原発の停電もネズミが原因だったようですが、まるで戦後の混乱期並みですね)

私が、超貧乏生活の環境で生まれ育ったのも、戦後の混乱期でした。
私の母親に聞かされた話ですが、なんと、小さいネズミが布団の中に潜んでいて「赤ん坊の私の隣に寝ていたそうです」そうです。
母親はビックリして、そのネズミのしっぽを持って叩きつぶしたそうですが、いやあ、昔の母親って強かったんですね。
おわり
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若い頃の苦労
 子供の頃の貧困生活、そして青春時代の大学闘争といった苦労をしてくると、歳を取ってからの苦労は何とも思わないものです。
私が若い頃は、新聞配達、電気店や駐車場での作業員、道庁や市役所・新聞社でのアルバイトなど、どのような仕事もやってきました。
革マル派に封鎖された北大図書館
(1969年9月8日 撮影:石川栄一)
図書館の玄関ロビーには、閲覧室の机や椅子が山積みでした。
動画「激動の北大史」過激派の大学封鎖と機動隊導入
 国家公務員試験に合格した際、道警や開発局、高専などから本採用の為の面接通知が来たのですが、それらを丁重にお断りし、大学職員の仕事に就いたわけです。

電子、情報工学などの技術や資格を身につけたのは、将来、仕事に役に立てるためです。若い人には、大いに技術と教養を身につけ、努力されますようお勧めします。
今の若い人の中には、「楽をして生活を楽しみたい」という傾向がありますが、そのような人達には、次の名言をお贈りしたいと思います。
 「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし(徳川光圀)」
今の苦労は、将来の幸せにつながるかもしれません。
今の苦しみは、自分を強くしてくれるかもしれません。
不幸な事は、いい経験やいいきっかけになるかもしれません。

油断していると、落とし穴にはまってしまうかもしれません。
楽ばかりしていると、自分が弱くなってしまうのではないでしょうか。
幸せを失うことで、不幸になってしまうことがあります。

「苦は楽の種」と知っていれば、苦しい時に「そうかもしれない」と思える可能性があります。知らなければ、まず思いつかないでしょう。
「楽は苦の種」と知っていれば、将来の不幸を未然に防げるかもしれません。知らなければ、不幸になってから後悔することになるのではないでしょうか。いい知恵をたくさん知り、それを活かせるようになれたらと思います。
おわり
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貧乏性
私は、幼い頃から貧乏生活だったせいか、未だに貧乏性から抜け切れませんね。例えば、ヨドバシカメラやホームセンターなどの広告が入ってきたら、目を皿のようにして見てしまいます。
また、特に買う物もないのに、バーゲンショップの方に足が向いてしまうこともあります。

(上)ヨドバシカメラの店舗内
(右)ホームセンターのチラシ
また、ヤフー(Yahoo)のオークションも毎日のように見てしまいます。
最近は、PCの電源が不安定のため、600ワット以上の電源を漁っています。
ところで、以前、SONYのベータ方式のビデオデッキを落札したのですが、出品者から何の連絡もありません。
落札してから5日以上も経過したので、出品者をマイナス評価にして諦めようと思っていた矢先、6日目にしてようやくメールで連絡がありました。
それも、何のお詫びの言葉もなく、ただ「銀行口座に代金を振り込んで下さい」という内容です。
私は、出品者に信頼性の問題があると思い、「住所氏名電話番号」を知らせるようメールで連絡したところ、出品者から電話連絡がありました。
やはり、今の若い人(おそらく)には、きちんと言ってあげた方が良さそうです。
おわり
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大嘘つきの外国人
私がまだ独身の頃、叔父の紹介で、登別市の女性とお見合いをし婚約しました。休日に二人で室蘭市の水族館を見学したその晩に、気を使いすぎたかどうか分かりませんが、急性胃炎を起こしてしまいました。
札幌の自宅で寝込んでいたその時、玄関に来客があったのですが、私は胃が激痛を起こしているため接客に出られませんでした。玄関には鍵がかかっていなかったので、その客は、図々しく私の寝床まで上がり込み、様子を見て、帰ったわけです。その客が後々問題になる外国人でした。

その年の秋に、私は結婚し子供を授かりました。問題の外国人は、私の自宅の前の建物を購入して改築工事を始めました。
私は「何の工事ですか」と聞いたら、外国人は「雑貨屋を建てるんです」と答えたため一応、安心をしておりました。
その工事中の迷惑さは言葉では表せません。パワーショベルの振動で家は揺れるわ、飼っていた熱帯魚の水はこぼれるわで、まるで地震のようでした。
約半年の間、そのような状態がつづき、翌年の3月頃、工事が終わりました。しかし、出来上がった建物を見たら、なんと「パチンコ屋」だったのです。私はその外国人に「雑貨屋を建てると言っていたのに騙したんですか」と言ったら、外国人は「(私の)父親から承諾を受けています」というのです。 私が父に確認したところ「自宅の前にパチンコ屋を建てて良いなどと承諾したことはない」という返事でした。

私は、その外国人を信用できなくなった訳ですが、自宅の前にパチンコ屋があると、子供を育てる環境ではないので、どこか良い土地がないかと思っておりました。
その頃、北海道新聞の広告に「小川のせせらぎや、小鳥の声が聞こえる、札幌市内希少の素晴らしい環境」という東急不動産の物件が載っていました。早速、家族揃って、西区西野の土地を見に行き、大変気に入り購入することになったわけです。

そうして、北洋銀行と住宅金融公庫に膨大な借金をして、翌々年5月、ついに夢にまで見た新居が完成しました。私には、ローンの返済に追われる貧乏生活が待っておりましたが、大嘘吐きの外国人とパチンコ屋の環境から解放されるのが、何よりも嬉しかったですね。
おわり
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貧乏からの脱出また貧乏へ
私が小学5年生の頃、突然、当時住んでいた札幌市中央区の家から立ち退くことになりました。
これも貧乏のためかと思いましたが、立ち退き料に当時100万円も地主から貰ったのです。これは、現在の貨幣価値で1千~2千万円位でしょうか。

私たち家族は、そのお金で、札幌市北区に土地を買い新居を建て、新しい生活を始めることになります。
現在、その辺りは地下鉄駅やスーパーマーケット、大型家電店などが建ち並んでおりますが、当時はまだ見渡す限りの「レントコーン畑」でした。
夜ともなれば、どこからともなく、牛の「モーモー」という鳴き声や、カエルの「ゲロゲロゲロ」という鳴き声が聞こえてまいりました。ホタルも沢山見かけました。

昭和32年頃の新居(北区)

昭和32年頃の白黒テレビ(真空管式)
新居には、まだ出始めの東芝白黒テレビ、東芝洗濯機、東芝サークラインなどの電化製品が備えられ、以前の貧乏生活から見れば、夢みたいな生活になりました。
しかし両親は、マイカーのことは夢にも考えておらず、新居への通路が、一間幅(約1.8メートル)しかないため、クルマは入れなかったのです。
 
その後、少年期から青年期の約20年間は北区の家で生活し、やがて私は、登別市の叔父の紹介で、見合い結婚することになります。
そうして子供もできて、楽しい家庭を作ろうとしていた矢先に、自宅の目の前に、外国人が経営するパチンコ屋を建てられてしまいました。
その結果、子供を育てる環境が損なわれてしまったため、北区の家を捨て、札幌市西区に家を新築(現在の家)し、移り住まなければならないことになりました。

昭和52年頃の新居(西区、リフォーム前)

新居の庭に作った池
当然、パチンコ屋の外国人から立ち退き料など貰えませんから、公庫と銀行に膨大な借金をして、土地を買い、家を新築することになり、またまた、貧乏生活が始まりました。
おわり
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常識のないバスの乗客
数年前の話です。自宅に帰ると、登別市の実家から帰って来た妻が、何となく機嫌が悪いのです。事情を聞いたら、バスの乗客の常識の無さには呆れたそうです。
それは、実家から札幌に帰ろうと登別市幌別からバスに乗車したとき、荷物を座席に置いて、二人分も占有している客が6~7名も居たというのです。

普通なら、荷物を膝の上などに置いて、あとから乗車してきた客に席を譲らなければならないのに、誰一人として譲ろうとしなかったと言います。
妻は大声で「座席に荷物を置かないで下さい」と、注意したそうです。
私は、「そのような注意は、バスの運転手がするんじゃないかい」と言いましたら、おとなしそうな運転手で、どうにもならなかったそうです。

本当に常識がない乗客が多くて困ります。座席に荷物を置いて占有する客の年齢は、四十から五十歳代の女性に多いようです。
 
道南バス
札幌の市営地下鉄やバスの場合、車両の中に荷棚がないですね。
東京の山手線や地下鉄には、荷棚があるのですが、札幌の公共交通機関に荷棚がない理由が分かりませんね。
理由として考えられるのは、車両の振動で、荷物が棚から落ちると、周囲の乗客がケガをする恐れがあるからでしょうか。

札幌市営地下鉄
車輪は世界的にも珍しいゴムタイヤ

札幌市営地下鉄(車内)
荷棚がない
航空機の場合、荷物の機内持ち込みは、ハンドバック程度の手荷物に制限されていますね。
札幌の市営地下鉄やバスの場合も、大型のスーツケースやボストンバックなどの「大きな荷物」の車内持ち込みは制限したらどうでしょう。
あるいは、座席に荷物を置く場合、「二人分の乗車料金」を徴集しても、誰も文句は言えないと思います。

荷物の話ではないのですが、私の中学時代、教頭先生が、幼児料金が只なのに、親が幼児を座席に座らせていることに、腹を立てていましたね。
その教頭は軍国調の先生で、すごく怖かったのが印象に残っています。
おわり 
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白タクの出現
昭和30年代、当時、マイカーの所有者はいなかったと申しましても、札幌の一部の大富豪や政治家は、自家用車を所有しておりましたね。ここで言うマイカーとは「一般庶民」が所有するマイカーのことです。

マイカーが出現する直前に、白タク(※)というが流行りました。白タクというのは無許可のタクシーで、かなり安い料金で利用できたのですが、取り締まりが厳しくなり、数年で廃れてしまいました。
当時、小学生だった私は、安ければ、白タクでも正規のタクシーでも良いと思っていましたから、なぜ取り締まるのか分かりませんでした。
何れにしましても、タクシー代金は親が払っておりましたので、子供の私にはどうでも良かったことなんです。

最初に白タクを利用したのは、確か、札幌円山動物園に見学に行った帰りでしたね。白タクの車種は「ダットサン」でした。白タクの中で、親が運転手に「儲かりますか」と聞いたら、運転手は「大変なんですよ」と答えたのが、50年以上経った今でも記憶に残っています。

次に、白タクを利用したのが、叔父たちと小樽に行ったときです。
昭和30年代の、札幌から小樽駅前までの白タク料金の相場は、2000円位でした。現在、正規のタクシーを利用した場合でも、小樽駅前までの料金は8000円くらいですから、50年前の白タク料金は、それほど割安ではなかったですね。(現在のタクシー料金の目安)

それよりも、白タクが小樽駅前に着いたとき、正規のタクシーの場合は、ドアボーイ(小樽駅の駅員)がドアを開いてくれる(後部座席が自動ドアでない時代)のですが、白タクと分かると、駅員はドアーを開くことを避けていましたね。私は子供ながら、やはり、白タクはまずいのではないかと思いましたね。

白タクが廃れてから、やがて高度成長時代に突入し、マイカーもどんどん一般庶民に普及して行くわけですが、当時、周囲の子供たちから「日本一の貧乏人」と言われていた私の家には、縁がありませんでした。

(※)『白タク』の解説
白タク
とは営業許可を受けず、自家用車を使ってタクシー営業している車のことである。タクシーは事業用自動車になる為、営業許可を受け、緑地に白文字のナンバープレートを付ける必要がある。しかし、無許可で緑ナンバーを受け取っていない場合、自家用車と同じ白地のナンバーを付けてタクシー営業をすることになる。ここからこういった無許可の違法タクシーを白タクと呼ぶ。海外の違法タクシーの場合、ナンバーの色は白と限らないが、これらも白タクという。海外の白タクには法外な値段をふっかけるものも多く、初めて行く国では空港に降り立った際、正規タクシーか白タクかを見極める知識が必要である。
『日本語俗語辞書』より
おわり
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クルマが少なかった昔
札幌市の人口は、現在、約193万人ですが、私が子供の頃は、その1/5程度でした。1/5と申しましても、人口は40万人くらいでしたので、当時でも札幌市は大都市でしたね。
昭和20年代の札幌は、マイカーはほとんど無く、タクシーは冠婚葬祭の時くらいしか利用しなかったようです。荷物は、馬車や馬ソリを使って運搬しておりました。
私は、時々、馬ソリに乗せて貰ったのですが、いやー楽しかったですね。
しかし、私の目の前で馬糞をタレられたのには子供ながら驚いたものです。
また、当時のトイレは水洗ではなく、汲み取り式トイレのため、コヤシ(糞尿)汲みも、馬車や馬ソリを使っておりましたね。
コヤシ汲み屋のおじさんが、家庭の便槽から汲み取ったコヤシを大きな桶に入れて担いで運び、馬車や馬ソリに組み付けた大きな肥樽に入れておりました。

「北海道開拓の村」にて
当時、「糞尿」の事を「コヤシ」と呼んでいたのは、糞尿を「肥だめ」に溜めておいて、畑の肥料に利用したからのようです。農作物に、農薬や化学肥料を一切使用しないので、安全で健康的だったようです。
人間の糞尿で育った農作物を人間が食べる」、これこそまさしく、真の再利用です。昔の人は賢かったですね。

汲み取りのバキュームカーが出て来てたのは、私が小学校に入った頃からですね。その頃には、馬車や馬ソリは少しずつ姿を消して、オート三輪や小型トラックが取って代わりました。その頃の札幌は、道路渋滞や交通事故も少なく、住み易い時代でした。

旅行には、父親が鉄道員(鉄道公安官)でしたので、大いに汽車を利用しました。当時は、家族保養の為のパス(家族パス)が全職員に配布されていたので、鉄道の交通費は、ほとんど掛かりませんでしたね。
古き良き時代でありました。
おわり
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路上駐車
真冬の札幌では、一昼夜に、30センチ以上の雪が積もる事は、決して珍しくありません。それくらいの積雪がありますと、せっかく除雪しても、住宅地の道路幅が狭くなってしまいます。
一番厄介なのは、路上駐車です。もし火事が起きても、一台の路上駐車のために、消防車が現場に入って来られなくなり、消火作業が出来ません。
また、路上駐車のクルマの陰から、子供が飛び出して大きな事故にもなりかねません。
 
住民の皆さんは、日常的な路上駐車を軽く見ているようですが、これは立派な犯罪です。
軽く見ていた路上駐車によって「保管場所法違反」で検挙され有罪になると「前科」がつきます。
つまり、『道路上に継続して十二時間以上駐車する』、『道路上に夜間八時間以上駐車する』といった行為が「保管場所法違反」です。

保管場所法違反は、道路交通法違反とは別の法律で、青切符ではなく、赤切符になります。
また、保管場所法違反は、駐停車違反と比べても罰則が重く、最高で「3 か月以下の懲役または20万円以下の罰金」。違反点は2 、3 点となっています。
罰金の相場は、昼間の路上駐車で5万円、夜間の路上駐車で4万円くらいでしょう。

ただし、罰金は刑罰であり、刑罰を受ければ前科になります。
また、医師の国家試験など前科のある人は受験できないこともあります。
しかし、保管場所法違反に関して、警察による取締は、札幌の場合、区によって相当違うようです。北区は厳しいのですが、西区は甘いですね。

次に、道路の除雪についてですが、もう少し、道幅を広くして貰いたいものです。
また除雪車が、車庫の前に大きな雪の固まりを置いていくと、本当に困ります。
今年も、直径50センチくらいの雪の固まり(殆どが氷)を置かれていったときは、その処置に困り果てました。
保管する場所の要件
・自動車の使用の本拠の位置との距離が2キロメートル以内。
・自動車を支障なく出入りさせ、かつ、その全体を収容できること。
・自動車の保有者が、自動車の保管場所として使用する権限を有すること。
※使用の本拠の位置(住所地など)から保管場所までの距離が2キロメートルを超える場合は申請が出来ません。
(例外的な場合があるので、窓口まで問い合わせして下さい。)
『札幌西警察署のホームページより』
それはそうと、私がまだ現役の時、出勤時に見かけた殆どのクルマの屋根の上には、30センチ以上も雪が乗っかっているクルマが多かったですね。
それを見て私は、夜間、長時間路上駐車しているクルマが多いと思いました。屋根付きの車庫でなくとも、車庫証明を取った敷地内にクルマを駐めてあれば、全く問題がないのですが、車庫飛ばしや重複駐車等で取った不正車庫証明のクルマも多いと思います。
例えば、子供が免許を取って車を買うと、クルマ1台の駐車スペース(保管場所)に、親と子供の複数台の「車庫証明」を取る家庭も多いですね。
あるいは、駐車スペースがある実家や他人名義でクルマを購入して、車庫証明を取るといった手段もあります。

クルマの保管場所を調べに来る警察関係者(殆どが警察OB)も、その事には目を瞑り、特に調べませんから、おそらく「保管場所を厳しく取り締まれば、クルマが売れなくなる」といったディーラー側の事情を考慮しているのではないかと勘ぐってしまいます。
また、保管場所法違反を強く取り締まって、違反者をすべて前科者にすると、日常的に路上駐車をしている「町民皆前科者」となってしまうので、警察もなかなか取り締まれないと思います。
それはともかく、危険な路上駐車を何とかして欲しいものです。
(軽自動車の場合も、人口10万人以上の地域では車庫証明が必要です。)
おわり
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北海道の「道」の由来
北海道は、江戸時代まで蝦夷地とよばれていましたが、1869(明治2)年に北海道と改名しました。これは、奈良時代の地方行政区画として、都の近辺の五国を畿内、他の諸国を、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道に分けたことに由来します。
この五畿七道の制度によりますと、南海道が四国、西海道が九州にあたります。
明治政府は、奈良時代の官制を復活させて、神祇官、太政官とか、大蔵省、兵部省などの名称を使いましたが、これは奈良時代も明治時代も、ともに天皇中心の国家という点で同じだったからです。
奈良時代の方法に従えば、蝦夷地には北海道という名称がふさわしいと思われます。

北海道は一時、札幌県、函館県、根室県の三県に分け、本州と同じ行政区画制度を実施しましたが、うまくいかず、北海道庁の管轄に置かれ、北海道の名称が定着したのです。
おわり
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札幌のどこかいい場所
◎ 展望のいい場所
旭山公園から見た札幌市内の夜景をお勧めします。
200万都市の札幌市内を一望できます。
藻岩山からも見えますが、多少距離がありますし天候が悪いときはよく見えません。
その点、旭山公園からは、宝石をちりばめたような札幌市内の夜景を、天候に関わらず展望できます。

◎ グルメのいい場所
サッポロビール園がお勧めです。
赤煉瓦造りのサッポロビール園は、開拓時代の面影を残す名所としても親しみがあり、サッポロビールとジンギスカンを比較的安価な料金で食べ放題、飲み放題できます。広い敷地内には、醸造から瓶詰めまでの全行程を見学できるサッポロビール資料館もあります。

◎ その他
観光スポットである北大のポプラ並木は、老木で危険のため通行できないようになっています。
カンカン接待やカラ出張そして公文書(証拠)隠滅で一躍有名になった道庁の赤レンガは「見るだけ」の価値はあります。
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北海道の観光名所
札幌でも雪融けが進み、待ち遠しかった春が到来します。いよいよ北海道旅行シーズンですね。
さて、観光名所ですが、家族構成や年齢、性別などによって、好みは異なると思いますので、旅行するメンバーと相談して決めましょう。

札幌の名所では「北海道開拓の村」をお勧めします。
北海道開拓の村は、愛知県犬山市にある「明治村」のような感じですが、一日掛けて十分楽しめます。また北海道開拓の村内にある「開拓記念館」では、アイヌ文化や北海道の歴史を探ることができます。
函館の名所では、ロープウェイで函館山に登ってみて下さい。
東洋一と呼ばれる夜景を楽しむことができます。クルマは通行止めのため、登れないようですので注意して下さい。

しかし、北海道観光といえば、やはり道東でしょう。
阿寒国立公園」阿寒、摩周、そして世界自然遺産に登録された「知床国立公園」をぜひ訪れてみて下さい。北海道の大自然を満喫することができます。
各観光地までの所要時間ですが、私の経験を言いますと、札幌から函館まで乗用車で約五時間、札幌から釧路まで約六時間、釧路から根室、納沙布岬まで約三時間。札幌から網走まで約八時間、網走から斜里まで約一時間。
斜里からウトロまで約1時間、札幌から稚内まで約八時間。
いずれも、一般国道の利用で乗用車の場合です。休憩時間は含まれません。
北海道の国道を、乗用車で走る場合は、「距離50Kmを約一時間」として計算してみると、観光地までの所要時間を計算できると思います。

気温は、日本海側と太平洋側とは違いますし、オホーツク海側でも異なります。また、旭川や帯広では、内陸性の気候ですので複雑になってきます。
したがいまして、服装は3月でもジャンバーが必要なことがあります。
それは3月であっても、2月下旬の気温まで下がることが珍しくないからです。 更に、峠では気温が下がりますので要注意です。

次に宿泊場所ですが、ホテル、旅館、国民宿舎、官公庁共済宿泊所、YH、キャンプ場そして野宿などに分けられます。
個人であれば、どこに寝泊まりしても問題はないと思いますが、老人や子供が一緒なら、キャンプや野宿とはいかないでしょう。

そこで、安く泊まれる施設として、市町村が経営する国民宿舎がお勧めです。官公庁関係者では、共済組合が経営する宿泊所がよろしいと思います。
国家公務員関係では、KKR札幌というようにKKR(国家公務員共済組合連合会)です。
素泊まりなら一泊3千円前後。ただし夕食、朝食込みでは8千円位になるので、食事は、パンか札幌ラーメンなど外食で済ませて、宿泊はあくまで「素泊まり」とするのが、KKRを利用するコツです。
もし、一泊2食付きで7~8千円(平日)なら、定山渓や登別などの有名ホテルに宿泊することが可能です。
おわり
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カラス蛇退治
20年ほど前、自宅の敷地内に、カラス蛇の子供が侵入したことがあります。私は勤務のため不在でしたので、家族が保健所に連絡をしたところ、保健所の担当者は「市道や公園などの”公共の場所”であれば、市は駆除などの対応をするが、個人の敷地内であるので、専門業者に依頼して下さい」という返答でした。そのとき、駆除のための専門業者の手数料は、約2万円もかかると言われたそうです。
保健所の返答を受け取った家族から私の勤務先に、いきなり「カラス蛇をなんとかして欲しい」と連絡が入ったときはビックリしました。
私は「カラス蛇は毒蛇のため危険であり、専門業者に頼むか、蛇をなんとか”公道まで追い払う”ことができないか」と返答しました。
家族が保健所に「カラス蛇は、山から公道を通って自宅の敷地内に侵入したのだから、公道まで追い払っていいですか」と問い合わせたら、保健所は、公道にカラス蛇が入ってきたら大変と慌てたらしく、即座に係員が来て駆除してくれました。カラス蛇の体長は約20cmくらいで、まだ子供だったようです。
保健所の係員は、そのカラス蛇をビニールの袋に入れて持っていきました。
その時係員は「カラス蛇の子供が居るのだから親が出てくるかも知れない」という言葉を言い残して帰ったそうです。
おわり
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音声装置
大学に在職中、私の先輩に交通事故で視力を無くした視覚障害者がおりました。当時、その先輩のために音声装置を探してパソコンにセッティングしたり、パソコン通信のオートパイロットのプログラムを作成していました。

しかしながら、その頃、音声を文字に変換する装置はまだ研究段階らしく、当時(1995年頃)、市販されていたのは、富士通のVSUや高知システムのAOKなどの音声出力装置くらいでした。
これは、キー入力した文字を、一文字単位でリアルタイムで音声出力するという装置で、視覚障害者は耳で確認しながら文章を入力できるという装置です
結局、先輩が職場でも使用しているということで、高知システムのAOKを採用しました。

それにしましても、マルチメディア時代といわれている割には、音声認識の研究が非常に遅れているという事や、視覚障害者のための支援システムが少ないこと、そして高価であることがあらためて認識できました。
視覚障害者相手に暴利をむさぼっていると思いたくなるような製品もありました。
おわり
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ストーブと煙突の話
北海道の暖房用エネルギーの主流は、石油(灯油)です。
札幌では、FF式(強制給排気式)のストーブを据え付けられる家が多いようです。またマンションも、集中暖房よりもFF式の個別暖房を採用する場合が多くなっています。
その理由は、設備費用が10万円前後と安いことと、燃焼に必要な空気を屋外から取り込み、排気ガスは屋外に排出するので酸欠事故が起こりにくく、室内の空気が汚れないという長所があるからです。
しかし、室内が乾燥しやすいので、加湿を十分に行い、風邪をひかぬよう注意しなければなりません。

そのようなわけで、北海道の住宅には煙突(FF式の場合は給排気筒が煙突の役目もします)のある家が少なくなっており、屋根の形もスノーダクト方式が増えているため、家の形は本州の陸屋根の家とそれほど変わりはません。しかし、まだまだ煙突のある家が多いですね。
ちなみに、私の自宅には集合煙突が2本も建っていますし、2階のベランダから町内周辺を見渡すと、煙突がニョキニョキ建っている家が見えます。

私の家では、かつて中央区や北区に住んでいた頃、カマダ貯炭式ストーブやキングストーブ、ルンペンストーブなどの石炭ストーブを使っていましたが、定期的に煙突掃除をしなければなりませんでした。
質の悪い石炭を使うと、1週間に1度くらいは煙突掃除をしなければ、石炭が良く燃えなくなります。煙突掃除と簡単にいっても、ススで室内や衣服などが汚れるため、難しい作業です。むかし「煙突掃除屋」という専門的な業種があったくらいです。
焚き付けも面倒でした。新聞紙と細かく切った木っ端の上に石炭をかぶせてマッチで火を付けるのですが、これがなかなかうまくいきません。
新聞紙だけ燃えて、焚き付け用の木と石炭が残ってしまう場合が多かったですね。
■スノーダクト■
スノーダクトの家は、三角屋根ではなく、なだらかな逆三角のような形の屋根ですが、外見は、平らな陸屋根のように見えます。屋根のほぼ中央にダクトの穴があり、雪が融けて下水に流れるように配管されています。

自宅(2011年秋撮影)
スノーダクト方式は、雪下ろしの必要がないため、隣接する家に雪害で迷惑をかけることが少ないのが大きな特長です。また、三角屋根と比べて部屋数を多くとれることや、敷地の有効利用ができることも特長です。
おわり
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事故を誘発した作業車
雪融けが始まり、道路も走りやすくなりました。
私がまだ現役時代のある日、西野の交差点で、信号が青に変わったので左折しようとしたところ、いきなり、札幌市の黄色い作業車が右折してきました。私は危険を感じ、急停車したところ後続車に追突されてしまいました。
私は事故を誘発した市の作業車に対し「止まれ」と大声で叫んだのですが、一目散に逃げていきました。

またある日、自宅付近の交差点で、直進しようとしたところ、むりやり右折車が突っ込んできました。私は交差点の半分くらいまで進んでおり、まさかと思いながらブレーキを踏みました。
右折車と私の車のバンパーが接触しているように見えましたが、運良く別に支障はありませんでした。
相手のドライバーは、20歳前後の学生風の男で、スミマセンも言わずに立ち去っていきました。こうゆうドライバーはおそらく、どこかで必ず事故を起こしているものと思います。
しかし、やはり横柄な運転をするのは、4WDのワゴン車やRV車などの大型の乗用車です。これらのクルマを運転するドライバーは、遊び半分で運転をしているとしか思えません。
トヨタ系ディーラーの社員の言によると、冬場の交通事故の場合、4WDのワゴン車やRV車がからむ大事故が多いとのこと。

また、RV車(四輪駆動のアウトドアを目的とするクルマ)でありながら、早め点灯をしているのを見たことがありません。お日様が沈んでも、周囲が明るければ、無灯火で走行しているのをよく見かけます。
早朝や夕方あるいは降雪時や雨天などでは、ライトを点灯してほしいものです。 私は早め点灯で、交通事故がかなり減少するものと思っております。
おわり
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パトカーも予見運転が必要
パトカーに追跡されて、ドライバーが事故を起こすケースが増えておりますが、自宅近くでも数年前、地下鉄琴似駅付近で、2人乗りのバイクの少年がパトカーと衝突して死亡しました。
警察の調べによると、少年らは無免許運転でヘルメットをかぶっていなかったようです。
警察側は、この件について、適切であったと述べていますが、ヘルメットなしのバイクを追跡し、進行を遮ったらどのような結果になるか十分予見できたと思います。
バイクは、転倒しただけでも生命に関わるのに、ノンヘルであれば、なおさら重大事故に繋がります。このような結果になったという事は、警察側にも重大な過失があると考えます。バイクを追跡するのなら、白バイでするべきです。
西署管内では、以前も宮の沢通りで、パトカーに追跡されたクルマが事故を起こし21歳の男性が死亡しております。
警察は、パトカーに関わる事故が発生したら、必ずといってよいほど「パトカーを”振り切り”事故を起こした」などと責任逃れの発表をしておりますが、検問を突破した場合、パトカーを振り切れることは、まずありません。
パトカーは、サイレンも鳴らさず猛スピードで追跡してくるのです。
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「捨てる」の方言
北海道では、「捨てる」のことを「なげる」あるいは「なげろ」を使うことがあります。関東の田舎の方では、「ほかせ」と言うらしいですね。
方言は消えつつありますが、言葉は時代によって変わるものです。
たとえば、江戸時代と室町時代とでは、言葉が異なります。
その伝達の仕方は、発生源(中央、都)に近いほど早く伝達されますが、遠くなればなるほど周期が長くなり時間が掛かります。その間、地方は現地の言葉づかいや発音が残ります。

現在は、情報化時代ですから言葉の伝達の早さは、遠くても近くても変わりませんが、昔は何十年もかかって全国に伝わったのです。
たとえば、室町時代末期までの言葉は、現在の日本人にはまったく通じないと言われています。
いま「方言」と呼ばれている言葉でも、その昔は「中央、都」の言葉であったかも知れません。
おわり
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小話 「北朝鮮の核実験」
 北朝鮮問題において、いま最も話題になっているのは、核実験であろうかと思います。以前、米国はマーシャル諸島で、広島・長崎に投下された原子爆弾の1000倍以上の水爆実験をおこなった結果、我国の第五福竜丸ほか、多大な被害を太平洋の広い地域に及ぼしました。
このように米国は今まで多数の犠牲者を出しながら、核実験をおこなってもそれ程問題にならなかったのに、何故北朝鮮の核実験がこれほど大きな問題になるのでしょう。

その理由は、北朝鮮と韓国は朝鮮半島38度線を挟んで休戦状態であることと、米国と日本そして韓国が軍事条約を締結しているため、もし北朝鮮と韓国が開戦となったときは、日本も韓国と同様に北朝鮮による核ミサイルの標的になってしまうからです。
もし、米国が北朝鮮に対し、イラクと同様に先制攻撃をおこなったら、韓国の首都ソウルと同様、首都東京が核ミサイルの攻撃の的になることは間違い有りません。
当然、横田基地や横須賀、沖縄、千歳などの米軍基地にも着弾すると思います。また標的は基地だけではなく、各地方の原子力発電所もミサイル攻撃を受けると思われます。
イラク戦争の結果を見ても分かるように、北朝鮮のミサイル基地を一撃で粉砕できるわけがないのです。
当然、北朝鮮の核ミサイルは、米軍による空爆を受けても安全な地下100m以下の場所に配備されていると思います。
もし、米国による先制攻撃を受けた場合、北朝鮮は韓国や米国そして日本に対し反撃の大義名分が立つわけですから、怖いものはありません。
当然、自国の国民からも支持されるでしょうし、盟友であるロシアや中国からも反撃の支持を受けると思います。
これはもう第3次世界大戦の勃発です。仮に大戦には至らなくても、中東のようにイスラエルとパレスチナが攻撃と報復合戦に明け暮れる状況が、極東でも北朝鮮・ロシア・中国対韓国・米国・日本が報復合戦に明け暮れるのは間違い有りません。

こうなると東京や大阪のみならず地方都市まで焼け野原になり、第2次世界大戦で被った被害よりも、はるかに大きな被害になると予想されます。
かつて北朝鮮による核実験に対し、米国のブッシュ大統領が「北朝鮮攻撃はない」と言明した事は間違いなく、先制攻撃は極東での報復合戦につながるものと見えていたのでしょう。

さらに北朝鮮とロシア、中国は、有事の際、物的にも人的にも援助するという密約があると考えてもよいでしょう。
日本は諸外国に先駆けて、北朝鮮への経済制裁をおこなっていますが、これで一番喜んでいるのは、対北朝鮮以外の大手輸入業者でしょう。
安価で人気があった北朝鮮産(表向きは中国産)のウニやアワビなど魚介類を扱っていた業者、その結果、貧困層は打撃を受け、高価な国産品を買わなければなりません。
経済制裁は北朝鮮には全く効果がないものと思われます。北朝鮮の交易先は日本だけではなく、中国やロシアなどもあるわけです。

そのうちに、日本の経済制裁を口実に報復処置として東京、霞ヶ関あたりに核ミサイルが一発飛んでくるかも知れません。
但し、技術的に小型化された核弾頭を搭載できても、ミサイルの自動制御装置が貧弱であれば、正確な誘導制御や姿勢制御などが不十分な状態のまま日本に飛来して、首都東京まで到達しないで、日本海側の高浜原発や刈羽原発あたりに着弾する可能性もあります。

このように精度の悪い核ミサイルを飛ばされると、日本だけではなく北朝鮮に誤爆される可能性があるロシアや中国も大迷惑を被ることになるのです。そこで、北朝鮮の核ミサイルを基地から発射させないための知恵を絞らなければなりません。たとえば、発射台に供給する電力の遮断やミサイル基地に対する超強力妨害電波による自動制御装置の無能化なども考えられます。さらに無人飛行物体を利用した妨害もミサイルを発射させないための戦略になるかと思います。
そもそもミサイルは予想よりもかなり高価なマシンです。
北朝鮮のノドンやテポドンの価格は分かりませんが、たとえば米軍の潜水艦発射用弾道ミサイルは1基約3000万ドルと公表されています。北朝鮮は経済的にも末期状態のようですから、核武装は諦め諸外国に対し経済支援を要望すべきかと思います。
安倍内閣による北朝鮮に対する経済制裁は、北朝鮮政府ではなく一般国民に対する制裁になるという意見もあります。これからは北朝鮮国民を援助するための外交努力も重要かと思います。

テポドン1号 略図
我国も米国の核の傘にすがっているわけですから、北朝鮮のことは批判できません。これは韓国も同様です。
もし正々堂々と北朝鮮に対し経済制裁を行うためには、米国の核の傘を投げ捨てるべきかと思います。
我が国は朝鮮半島植民地時代に数万人にも及ぶ多数の朝鮮人に対して行った強制連行や搾取収奪など、様々な問題を日本国政府は一つも解決もせず、経済制裁を実施しています。
このように安倍首相を初めとした内閣の姿勢は「美しい日本」ではなく、「嘘と欺瞞と誤魔化し」にまみれた愚か者の体制かと思われます。

2013.3.10  石川 栄一
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