藤井治芳
人物
東京都立戸山高等学校、東京大学工学部土木工学科卒、東京大学大学院工学研究科修士修了。建設省入省後は、技官として道路畑一筋に歩み、「道路のドン」「ミスター道路」などと呼ばれた。
道路公団総裁時には道路公団の民営化に抵抗し、さらに総務部調査役の片桐幸雄の内部告発により債務超過である財務諸表の存在が明らかになったが、藤井は一貫してその存在を否定した上に片桐を左遷したことで批判が高まった。直後の小泉再改造内閣で就任した国土交通大臣の石原伸晃から促された辞表提出を拒否し続けた結果、2003年10月に日本道路公団法の規定によって解任された。
解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴したが、2006年9月6日に解任処分は相当であると、藤井敗訴の判決が下された。
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小泉内閣 |
小泉内閣は、衆議院議員・自由民主党総裁の小泉純一郎が第87代内閣総理大臣に任命され、2001年4月26日から2006年9月26日に内閣総理大臣を退任するまで続いた日本の内閣である。自由民主党、公明党、保守党を与党とする自公保連立政権である。
小泉旋風
森の退陣後、2001年4月の自民党総裁選に、橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香と共に出馬。敗れれば政治生命にも関わるとも言われたが、清新なイメージで人気があった小泉への待望論もあり、今回は森派・加藤派・山崎派の支持を固めて出馬した。小泉は主婦層を中心に大衆に人気のあった田中眞紀子(田中角栄の長女)の協力を受けた。
最大派閥の橋本の勝利が有力視されたが、小泉が一般の党員・党友組織自由国民会議会員・政治資金団体国民政治協会会員を対象とした予備選で眞紀子とともに派手な選挙戦を展開した。
小泉は「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と熱弁を振るい、街頭演説では数万の観衆が押し寄せ、閉塞した状況に変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、小泉旋風と呼ばれる現象を引き起こす。
小泉劇場
2005年、小泉が「改革の本丸」に位置付ける郵政民営化関連法案は、党内から反対が続出して紛糾した。小泉は一歩も引かぬ姿勢を示し、党内調整は難航する。
反対派は亀井静香、平沼赳夫が中心となり長老の綿貫民輔を旗頭に100人近い議員を集めた。
法案を審理する党総務会は亀井ら反対派の反発で紛糾し、遂に小泉支持派は総務会での全会一致の慣例を破って多数決で強行突破した。
反対派はこれに激しく反発し、事態は郵政民営化関連法案を巡る小泉と亀井・平沼ら反対派との政争と化した。
7月5日の採決では賛成233票、反対228票で辛うじて可決されたが、亀井、平沼をはじめ37人が反対票を投じた。
参議院では与野党の議席差が少なく、亀井は否決への自信を示した。
2005年8月8日、参議院本会議の採決で自民党議員22人が反対票を投じ、賛成108票、反対125票で郵政民営化関連法案は否決された。
小泉は即座に衆議院解散に踏み切り、署名を最後まで拒否した島村宜伸農林水産大臣を罷免、自ら兼務して解散を閣議決定し、同日小泉は、憲法第7条に基づき衆議院解散を強行した。
小泉は、法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えず、その選挙区には自民党公認の「刺客」候補を落下傘的に送り込む戦術を展開。
小泉は自らこの解散を「郵政解散」と命名し、郵政民営化の賛否を問う選挙とすることを明確にし、反対派を「抵抗勢力」とするイメージ戦略に成功。また、マスコミ報道を利用した劇場型政治は、都市部の大衆に受け、政治に関心がない層を投票場へ動員することに成功した。
それにより9月11日の投票結果は高い投票率を記録し、自民党だけで296議席、公明党と併せた与党で327議席を獲得した。この選挙はマスコミにより「小泉劇場」と呼ばれた。
ポスト小泉
2005年10月、第3次小泉改造内閣が発足。ポスト小泉と目される麻生太郎が外務大臣に、谷垣禎一が財務大臣に、安倍晋三が内閣官房長官に起用された。
この後、2005年11月~2006年1月にかけて、構造計算書偽造問題、皇位継承問題、ライブドア・ショックと堀江貴文の逮捕、米国産牛肉輸入再開問題など、政権への逆風となる出来事が相次いで発生した。
野党は攻勢を強め、9月の退陣へ向けて小泉内閣はレームダックに陥るのではないかとの予測もあった。しかし、堀江メール問題で民主党が自壊したため、内閣の求心力が衰えることはなく、通常国会では「健康保険法等の一部を改正する法律」(後期高齢者医療制度を創設)などの重要法案を成立させている。
2006年9月20日の自民党総裁選では、選挙前から確実視された安倍晋三が後継に選ばれる。
翌9月21日 に小泉の自民党総裁任期は満了し、9月26日に小泉内閣は総辞職して内閣総理大臣を退任した。
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日歯連闇献金事件 |
2004年7月、日歯連事件に絡んで発覚した。橋本派は政治収支報告書を訂正し、橋本は橋本派会長を辞任した。
日本歯科医師連盟から橋本派への1億円をはじめ、多くの自民党有力議員に巨額の闇献金や迂回献金が行なわれた事件。診療報酬改定など医療政策で有利な政策をとってもらうための工作資金だったとされる。東京地検特捜部は2004年に橋本派会長代理の村岡兼造・元官房長官を政治資金規正法違反で立件(有罪確定)したが、捜査の過程で橋本派以外にも、山崎拓氏、石原伸晃氏などへの迂回献金疑惑が発覚して国会で追及され、時の小泉政権を揺るがす大きな問題となった。
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西松建設事件 |
経緯
2009年3月3日、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の会計責任者兼公設第一秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕され、東京地検特捜部により、東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所の家宅捜索が行われ、ついで2009年3月4日には小沢の地元事務所も捜索された。
2009年3月5日、自民党では二階派及び森が西松建設からの献金の返還を表明。大阪府吹田市の阪口善雄市長も「違法性のある献金ならば何らかの形で返したい」と西松建設が購入した70万円分のパーティー券について述べている。
一方、衆議院議員時代に西松建設に20万円のパーティー券を購入してもらった長野県知事村井仁は西松建設からの献金の返却について考慮しないと答えている。
2009年3月12日、東京地検特捜部は小沢の元秘書・石川知裕衆院議員を参考人聴取した。
2009年3月13日、西松建設の捜査について民主党内から検事総長の証人喚問を求められていることに対して森法相は「検察官を証人として国会に出頭させることは、検察官の独立性と公正性の保持の観点から悪影響を及ぼす」として反対を表明した。
2009年3月27日、民主党代議士会は小沢の代表続投を了承した。
検察の捜査姿勢への
賛否 |
小沢側は事件に対する検察の捜査が国策捜査に当たると非難した。民主党の原口一博衆議院議員はこれを否定する一方で捜査当局でしか知り得ない情報がメディアから流布されることを問題とし、国家公務員による秘密漏えいの疑いを指摘している。
上杉隆によれば、週刊朝日をはじめとした一部のマスコミが、小沢よりも検察側に疑義があるとキャンペーンを張ったことで、小沢への批判は弱まったとしている。
公設第一秘書らの起訴の際、東京地検の次席検事は記者会見において「国会議員の政治団体が、特定の建設業者から長年にわたり多額の金銭提供を受けてきた事実を、国民の目から覆い隠したもの。規正法の趣旨に照らして見過ごせない重大で悪質な事案と判断したと説明し、記者から「なぜ悪質といえるのか」「被告の認識は」との質問がなされていたが、特捜部長は刑事訴訟法第47条において公判前の書類開示は禁止されていることから、公判において明らかにすると回答した。
また、収支報告書上に記載された献金についての立件については「寄付者の名義を変えてしまうことをどう評価するか。みなさんにご判断いただきたい」と答えている。これについて、国民新党の亀井静香代表代行は、「自民党は国民政治協会を通じて、小沢氏や民主党の何十倍もゼネコンから献金を受けている。この協会は全くダミーだ。検察はお構いなしなのか」「捜査がこれだけで終わるのであれば、なぜ今やったのかを国民に説明しないといけない」と述べた。
小沢と同様に西松建設から献金を受け取った議員のうち、二階を除く自民党議員(森、尾身など)に対し検察側が捜査の動きを見せていないことについて、『SAPIO』は、角福戦争以降歴史的に旧田中派と敵対して来た清和政策研究会の意向が検察の捜査に反映されていると指摘した(同誌は、小泉政権以降の自民党が検察に対して強い影響力を持つようになったことを指摘している)。
一方、「政治家側がダミー団体と認識していた明確な証拠がないだけ」とする報道もある。
『産経新聞』がFNNと合同でおこなった世論調査では、半数近くが「検察側の捜査は政治的に不公平」と回答し、「公平」とする回答を上回った(次期衆院選が近づく時期に国政に影響する捜査が不適切かという件については、「思わない」が「思う」を上回った)。
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