麻生内閣は、衆議院議員・自由民主党総裁の麻生太郎が第92代内閣総理大臣に任命され、2008年(平成20年)9月24日から2009年(平成21年)9月16日まで続いた日本の内閣である。
第91代内閣総理大臣福田康夫(第22代自由民主党総裁)の辞任と、それに伴い総辞職した福田内閣の後を受けて発足した。2009年7月21日、衆議院を解散し、8月30日に選挙を施行したが、鳩山由紀夫代表率いる民主党に惨敗。鳩山由紀夫内閣の発足を受け9月16日に総辞職し、約9年続いた自公政権時代に幕を閉じた。
特徴
当内閣の特徴としては、閣僚の平均年齢は58.2歳と前内閣から4歳近く若返ったことがあげられる。これは、内閣府特命担当大臣で初入閣した小渕優子が任命時34歳と9か月と戦後最年少での閣僚就任となったことを含めて50代以下が10人を占めたことによる。しかし、前内閣からの再任者が5名おり、初入閣も5人と安倍内閣の11人の半分以下で、平均当選回数(衆院議員のみ)は6.5回で安倍内閣と同じで小泉内閣の5.8回を上回り、必ずしも「若返り」を意図した結果ではない。
父または祖父が内閣総理大臣経験者である閣僚が、吉田茂の孫である麻生首相を筆頭に、鳩山、中曾根、小渕と4人おり、これらを含めた“世襲政治家”が福田改造内閣の9人を上回る11人の多数に及び、マスコミや野党は“世襲内閣”“若旦那内閣”などと称し、安倍に次いで“おぼっちゃま内閣”とまで揶揄した。また、小泉以来4代続いて地盤を世襲した政治家であること、安倍以来3代続いて父祖に内閣総理大臣経験者を持つことも批判された。
相次ぐ離任
内閣の発足から一年も経たないうちに、主要な役職に就く者の離任が相次ぐ事態となった。
組閣から5日後、失言問題を理由に中山成彬が国土交通大臣を辞任した。
2009年1月には、松浪健太が定額給付金制度に反対し第2次補正予算案採決を棄権したため、内閣府大臣政務官を罷免された。
2月には、中川昭一が先進7か国財務大臣・中央銀行総裁会議にて酩酊状態で会見を行い、財務大臣と内閣府特命担当大臣(金融担当)を辞任した。
3月には平田耕一の「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」違反が発覚し、財務副大臣を辞任した。
5月には鴻池祥肇の女性問題と議員歳費法抵触が発覚し、内閣官房副長官を辞任した。
6月12日には鳩山邦夫が日本郵政社長の西川善文の続投に抗議し、総務大臣と内閣府特命担当大臣(地方分権改革担当)を辞任した。
同日、戸井田徹が鳩山の更迭に抗議して、厚生労働大臣政務官を辞任した。また、麻生の郵政民営化見直し発言に反発した早川忠孝が法務大臣政務官の辞任を表明するが、慰留を受け撤回した。
鳩山の更迭に反発した古川禎久も環境大臣政務官を辞任する考えを近未来政治研究会に伝えたが、その後撤回した。閣僚の辞任が相次いだが、2009年7月1日までに新任されたのは金子一義のみであり、それ以外は既存の閣僚に兼任させる手法を採ったため、同日までは中央省庁再編後としては最少の閣僚数の内閣であった。
その後、7月2日に前内閣で入閣した林芳正と林幹雄の2名がそれぞれ、与謝野財務・金融相の経財相職及び佐藤総務相の国家公安委員長職の兼務解消のため補充入閣した。
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